追悼 朱里エイコ
歌手の朱里エイコ(しゅり・えいこ=本名・田辺栄子)さんが7月31日に急死していたことが2日、分かった。警視庁竹の塚署の調べによると、朱里さんは1946年3月19日生まれの58歳。31日午後1時半ごろ、知人からの通報を受けて署員が東京都足立区内の自宅に駆けつけ、死亡を確認した。外傷がないことなどから事件性はなく、病死とみられる。葬儀などは未定。
東京生まれ。64年に田辺エイコの名前でデビュー。同年、歌の勉強のため渡米し、帰国後の67年に朱里エイコとして再デビューした。72年に「北国行きで」がヒットし、紅白歌合戦に初出場。「恋の衝撃」「ジェット最終便」などのヒット曲のほか、レナウンのCMソング「イエ・イエ」も歌っていた。
力強い歌唱とミニスカートからすらりと伸びた脚が人気を集め、「100万ドルの脚線美」などと脚光を浴びた。01年に芸名を「朱理エイ子」に変えていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040802-00000026-mai-peo
朱里エイコさん。あのときのあの脚線美は強く印象に残ってます。黄金時代でしたね。
歌手としての初吹き込みは、コダマプレスが1962年4月8日に発行した『KODAMA 26号』(写真右)の、 ソノシート「シンデレラ」(作詞・作曲:ポール・アンカ)でした。(表紙の帯には田辺栄子と本名が表示されています) 上の写真はその時の録音風景です。
ライナーノーツにはこう書かれていました。
“シンデレラ”を歌う田辺エイ子について
おおきな熊の人形をだいてスタジオ入りした田辺エイ子は、21年3月19日生れの16才 バレーの朱里ミサオ氏のお嬢さんで 佐々木功のバンドであるロリーポップについてヒットソングを歌いまくっている お得意はこの“シンデレラ”のほか“2万4千のキッス”“小さい悪魔”など
「朱里ミサオ氏」とあるのは、宝塚歌劇団舞踊講師もなさっていた母みさをさんのことです。
朱里さんは病を得たこともあり、精神的な遍歴を重ねておられたようですね。
実力派であっただけにご本人のジレンマやストレスは相当なものだったでしょう。その心中は察して余りあるものがあります。しかしやはりあの黄金時代があったということは歌手として幸福だったのではないか、、、そう思います。
どうか安らかにお瞑(ねむ)りください。合掌。
EIKO SHURI OFFICIAL HomePage
http://www.eiko-s.com/
¶postscript―*
2004年11月18日に発売された『新潮45』12月号(写真左)に、能勢理子(ジャーナリスト)の『歌手「朱里エイコ」の超壮絶人生』が掲載されました。
(2004年11月22日)