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2004年08月29日

パクリのパクリ進行中?

 8月28日(土)放送のテレビ朝日『ビートたけしのこんなはずでは!! 2時間まるごと映画スペシャル』で、1960〜70年代初期にかけて韓国が日活映画をパクっていたという話を実例をまじえてやってました。こりゃなかなか面白かった。しかも当時の主演女優が今回取材されるまでそのことを知らなかったというのですから、これはもう何をか況やですね。
 もっとも日活アクション映画自体もフィルム・ノワールなどの換骨奪胎を盛んにやってましたし、戦後日本のラジオ・テレビでは米英番組のパクリは日常的だったわけですから、一概に韓国を責めるわけにもいきません。
 「巨泉・前武のゲバゲバ90分」が「Rowan & Martin's Laugh-In」という番組の日本版だったと知ったときにはショックでしたねー。あの番組考えた人は天才的なセンスの持ち主だって思ってましたから・・・

Rowan & Martin's Laugh-In
www.rowanandmartinslaughin.com
Rowan and Martin's Laugh-In
Laugh-in
"Rowan & Martin's Laugh-In" (1968)
Rowan & Martin's Laugh-In - TV Series - TV Tome
BobbyDarin.com/BobbyDarin.net - Bobby Darin on "Laugh-In"
BBC - Comedy Guide - Rowan And Martin's Laugh-In
Rowan & Martin's Laugh In - Nostalgia Central
Dan Rowan and Dick Martin's Laugh-in The 1st and Only Collection on the 'Net
SoundAmerica : LAUGH-IN
(※スパイウェアのダウンロードに要注意)

¶postscript―*

 一九七二年の日本映画に斎藤耕一監督、岸恵子、萩原健一主演の「約束」という佳作があるが、これは韓国映画一九六六年の名作「晩秋」をリメークしたものだった。不幸な恋人たちの出会いと別れを一途に感傷的に謳いあげたもので、「冬のソナタ」に通じる情感がある。韓流の源流をここに認めることもできる。

<佐藤忠男 文藝春秋2004年10月号82ページより引用>

逆の場合もあったという例です。
(2004年9月17日)

2004年08月27日

肴は炙ったユリイカでいい

040827_01.jpg青土社刊『ユリイカ』9月号 特集『はっぴいえんど』1300円。
過日「はっぴいえんど」のムックが出ましたね。まだ買ってません。
こっちは月刊誌なんで店頭から消える前に購入。それにしてもユリイカがねぇ〜、、、まさか「はっぴいえんどBOX」とのタイアップ企画?!
日本語ロックというところで松本隆氏へのインタビューがしょっぱなにきています。

007 花粉症

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シングル「花粉症」沢田亜矢子 作詞・ちあき哲也、作曲・小笠原寛、編曲・水谷公生、歌・沢田亜矢子。クラウンレコードのPANAMレーベルから1982(昭和57)年のおそらく春ごろにリリースされたものです。
 当時、花粉症は今ほど知られてはいず、蝶やミツバチが花粉を運んでいるような「メルヘンチック」なイメージで捉えられていたようです。そうでなければ、鼻腔がムズムズして鼻水は止まらないわ、目は痒いわ、クシャミはところかまわず連発するわで、ヒジョーにみっともなく、またハタ迷惑なこのビョーキを、オシャレな恋愛ソングに仕立てるわけがありませんから。

 私が花粉症になったのは、たしか1995年ころだったでしょうか。まさか自分がなるとは思わなかった。花粉症だという人をちょっとバカにしてたところもありました。その報いですかね。
 花粉症と水虫とぎっくり腰は同情されない病気だそうです。私は幸い今ンとこ水虫にもインキンにもなっておりませんが、腰痛と花粉症と冬の乾燥肌にはほとほと参ってます。考えてみれば私はいわゆる蒲柳の質(ほりゅうのしつ)で、十代のころはそれを克服しようと、空手やウエイト・リフティングに手を出したこともありました。しかしそれが裏目に出て、ぎっくり腰をやり、それ以来なにかと腰が痛い。……イヤ、愚痴になりました。失敬失敬。

 病名をタイトルにした歌で思い出されるのが、ちかごろCMでパクリ盤や再録盤が使われている、ヒューイ・ピアノ・スミス・アンド・ザ・クラウンズの『ロッキン・ニューモーニア・アンド・ザ・ブギウギ・フルー』=ロック肺炎ブギウギ流感。ヒットしたんで、それじゃということでこの人は『ハイ・ブラッド・プレッシャー』=高血圧、とか『トゥバー・キュ・ルーカス・アンド・ザ・サイナス・ブルース』=肺結核と瘻炎、なんて同工異曲の病気ソングを連発したのでした。

「ロッキン・ニューモーニア・アンド・ザ・ブギウギ・フルー」を含むLP「HAVING A GOOD TIME」Huey Piano Smith & His ClownsLP「FEVER」Little Willie John

 そのほかに、リトル・ウィリー・ジョン『フィーバー』、サント&ジョニーの『スリープ・ウォーク』=夢遊病、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの『便秘のブルース』、ナポレオン14世の『狂ったナポレオン、ヒヒ、ハハ……』、
 あるいはボンゾ・ドッグ・バンドの『Strain』=気ばる、『King of Scurf』=フケの王者、
 日本のではピンキーとキラーズ『風の季節』(総合感冒薬のCMソング)、ザ・リリーズの『高所恐怖症』、伊藤銀次の『日射病』、
――等といったところが思い浮かびます。そもそも恋愛そのものがある種の病(やまい)みたいなものですから、病気と歌は切っても切れない関係、と云えるかもしれませんね。

「スリープ・ウォーク」を含むLP「IN THE STILL OF THE NIGHT」Santo & Johnnyシングル「狂ったナポレオン、ヒヒ、ハハ……」ナポレオン14世

 さて、病気にも軽重があって、「死に至る病」というものは確かにあります。実は歌の世界では「病気」よりも「死」のほうがずっと取り上げやすいのです。1970年ころまで、だったでしょうか、、、恋人や仲間の死をテーマにした「デス・ディスク」というジャンルが、アメリカのヒットソングの世界にありました。

 カントリーやブルースといった民俗音楽では、バラッドの伝統――恋愛・決闘・戦争といった歴史的な伝承譚から、次第にニュースやトピックを扱うようになった――を受け継いでいるせいか〃死〃を突き放した形でドライに歌うということがよくあります。(1965年の西部劇映画『キャット・バルー』に出てきますね。)
 そうした要素がヒットソングの中にじわじわと滲出してきたこと、そして1950年代も半ばに至ると、交通事故や不良少年グループの抗争、さらにはベトナム戦争の拡大などティーンエイジャーの身辺に悲劇的な死が忍び寄るようになってきたこと等により、ティーン向けのポップスにデス・ディスクが多く登場するようになったのです。

 このジャンルでは『デッドマンズ・カーブ』 『エンドレス・スリープ』 『ティーン・エンジェル』 『悲しきインディアン』 『エボニー・アイズ』などが有名です。(クミコの日本語版でヒットした『わが麗しき恋物語』もこのジャンルに入れたいところです)
 ことアメリカにおいてはお国柄でしょうか民族性でしょうか、日本のように『暗い日曜日』や『天国に結ぶ恋』に感化されて自殺や心中をする、みたいな現象はさすがになかったようですが、甘美な悲劇性が若い人の心を摶つのは、洋の東西を問わない、今も昔も変わらぬ人類普遍の現象のようですね。

 またデス・ディスクと云うよりは災害や大事件を歌にした「ニュース・ソング」に近いのですが、亡くなった有名歌手や大統領を讃え偲ぶという歌も外国では珍しくありません。アメリカでは選挙の立候補者が手前味噌なCMソングを作らせることは当り前ですし、それどころか生きているうちに自分の讃歌を作らせる独裁者も世界には大勢いらっしゃいます。自讃だけでなく毀他がセットになるとかなりキナ臭くなってきます。
 戦前の日本では国家のために死ぬことを美化し勧める『特攻隊節』『同期の桜』のような歌が作られましたし、幽霊戦車隊が活躍するというオカルト軍歌『幻の戦車隊』などというものまでありました。
 幻覚を視るということでは60年代のサイケデリック・ロックも「病気ソング」の一端を占めているかもしれませんね。ただし中毒の苦しみそのものを歌っているワケじゃありませんから、しょせんは「ムード」ですが……。

 『愛と死をみつめて』や『ある愛の詩』のような難病+純愛ドラマのテーマソングもヒットしました。
 大島みち子・河野実著『愛と死をみつめて』関連では、そのイメージソングの及川三千代『愛と死のかたみ』(1962年)、日活映画主題歌の吉永小百合『愛と死のテーマ』(1964年)、TBS東芝日曜劇場主題歌の青山和子『愛と死をみつめて』(1964年)が知られております。
 美樹克彦の『花はおそかった』は多分に『江梨子』(橋幸夫)を意識した歌でした。堤大二郎のカバーでリバイバルしましたっけね。

 とは申せ、やはり歌と現実では大違い。近ごろでは死んだ後まで夫と一緒にいたくないなどと嫁ぎ先の墓へ入ることを拒否する主婦が増えたそうで、『骨まで愛して』なんてのは牡丹灯籠なみに古臭くなったということでしょう。

シングル「愛と死をみつめて」青山和子シングル「愛と死のテーマ」吉永小百合
シングル「花はおそかった」美樹克彦シングル「花はおそかった」堤大二郎

 マ、生きてるうちが花です。いづれも様方、病気や怪我にはくれぐれもお気をつけになって下さい。
 微熱(川本真琴)、恋は微熱(網浜直子)、20才の微熱(郷ひろみ)、微熱かな(伊藤麻衣子)……と感じたら、お前にマラリア(沖田浩之)になる前に、セントジェームス病院へ行きましょう。
 走れパトカー(エディとショウメン)と急かしても、D.O.A.=搬入時心肺停止患者(ブラッドロック)となってはオシマイです。
 えっ? リーマンなんでこの春から3割負担ですって? おやマァ、うっかりクシャミも出来ませんねぇ。
(2003年3月5日)

¶postscript―*

都内の花粉飛散、史上最大の恐れ 昨夏猛暑で花芽成長

 東京都は20日、今春のスギとヒノキ科の花粉飛散が「都内で観測史上最大になる恐れがある」との予測を発表、注意を呼び掛けた。
 飛散量が過去3番目に少なかった昨年春と比べて、平均して約21−31倍の飛散が予測されるとしている。
 都福祉保健局によると、大量飛散の原因は、昨年夏の猛暑でスギやヒノキの花の芽が良く成長したため。飛散開始日は昨年並みの2月19−20日ごろとみられている。
 都内9カ所の測定地点での飛散予測数の平均は1平方センチ当たり8378−1万2211個。多かった場合、1985年の観測開始以来最大だった95年を上回る可能性があるという。
 地点別では千代田区で対前年比13・9−18・9倍、八王子市で同47・3−65・1倍などとなっている。
http://www.sankei.co.jp/news/050120/sha086.htm

東京では観測開始が1985年だったんですね。
(2005年1月20日)

¶postscript―*

再び燃える“純愛”の炎…「愛と死をみつめて」 姉妹編、きょう発売

 昭和30年代に出版され、ドラマや映画も大ヒットした往復書簡集「愛と死をみつめて」(大和書房)が純愛ブームで人気再燃。41年ぶりのドラマ化や前作の再放送が相次いで決まった。きょう29日には本の姉妹編「若きいのちの日記」も復刊。「愛と死」人気はさらに熱くなりそう。
(中略)
 その後、本は絶版となったが、純愛ブームの昨年暮れに復刊。7刷を重ね、このほどテレビ朝日での単発ドラマ化、年内放送が決まった。
(中略)
 一方、長らく“秘蔵”されてきたTBSのドラマも、開局50周年記念企画として4月30日正午からCSのTBSチャンネルで再放送されることになった。
(中略)
 ■「若きいのちの日記 愛と死の記録」 39年に出版、「愛と死を…」とともにドラマなどの原作になったみち子さんの日記。「いつでも死ねるように薬を買う」「生きよう 愛する人のために」「また手術台にのせられて」など手紙には書けなかった胸の内が綴られている。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_03/g2005032913.html

(2005年3月29日)

¶postscript―*

50年前のウイルスを誤送 致死インフルエンザ

 1957年から58年にかけて大流行し、世界で最大400万人が死亡したとされるインフルエンザウイルスのサンプルが、保存していた米国の実験施設から誤って全米と世界17カ国の計6500カ所以上の研究施設などに送られていたことが分かった。13日付の米紙ワシントン・ポストなどが報じた。世界保健機関(WHO)は、研究員らの感染の報告はなく、一般の人が感染する危険性は低いとしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050413-00000158-kyodo-int

「ロッキン・ニューモーニア・アンド・ザ・ブギウギ・フルー」の正体はこれ?

(2005年4月13日)

¶postscript―*

ドリカム歌う昭和の名曲…青山和子の「愛と死をみつめて」

 人気アーティスト、DREAMS COME TRUEが昭和の名曲「愛と死をみつめて」をカバーすることになった。SMAPの草なぎ剛(31)、広末涼子(25)が主演する3月18、19日放送のテレビ朝日系スペシャルドラマ「愛と死をみつめて」(両日とも後9時)のテーマ曲を歌うもので、あのマコ、甘えてばかりでごめんね…がドリカムバージョンでよみがえる。
(中略)
 「大ヒット曲に見合ったアーティストが必要」という中込卓也プロデューサーの依頼を快諾したドリカムの2人は、「名曲をリメークすることの責任の重大さに身が引き締まりました。リアレンジし歌うことによって、この曲が多くの人に愛されてきた理由を改めて感じました」と話している。同曲の発売予定はなく、2夜限定曲として注目を集めそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060211-00000032-sanspo-ent

ドリカムと「愛と死をみつめて」。かなりミスマッチです。
こういう仕事も受けるということですかね。
(2006年2月11日)

2004年08月24日

ビデオ・オン・デマンド

 懐かしのテレビ番組を、好きな時に楽しめる――。NHKは、映像作品を各家庭のテレビに直接配信する「ビデオ・オン・デマンド(VOD)」への番組提供を始めた。
 TBS、フジテレビ、テレビ朝日の民放3局による配信企画会社「トレソーラ」も今月から、期間限定で番組提供中。放送終了した番組も自宅のテレビで気軽に見られるサービスが本格化してきそうだ。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20040820i313.htm

いろいろ見たい番組はあります。でも見る側の持っている時間は限られている。選らばないといけません。
ところで、原作・脚本・音楽や俳優へのロイヤリティの問題はどうクリアされてるんでしょうか。再配分はあるのかな?

2004年08月21日

人気家族パートリッジ スターはつらいよ!

8月20日深夜、テレビ朝日で『人気家族パートリッジ スターはつらいよ!』COME ON GET HAPPY The Partridge Family Storyという映画が放送されました。
初めその邦題から1972、3年ころの作品かと思いましたが、なんと作られたのは1999年。

これは70年代前半に大ヒットしたアメリカのファミリー・コメディー『人気家族パートリッジ』の内幕を描いた再現ドラマなのでした。どうも劇場用映画らしくないので、あるいはテレビ用なのかもしれません(未確認)。
それにしてもこんな映画あったんですねぇ! あたしゃちーとも知らなかった。

アーチスト願望の強いデビッド・キャシディー(長男役)が、当時、ファミリー向けのドラマ設定が気に入らず、何かとゴネて撮影を混乱させたというエピソードと、次男ダニー役だったダニー・ボナデュースの家庭が番組への出演がきっかけで崩壊していった話が、ストーリーの柱となっております。

製作:ティモシー・マルクス
脚本:ジョン・S・デニー、ジャクリーン・フェザー、デヴィッド・セイドラー
監督:デヴィッド・バートン・モリス
音楽:スティーヴ・ティレル
出演:ロドニー・スコット、イヴ・ゴードン、ロクサーヌ・ハート、ウィリアム・ラス、ウィリー・ガーソン、リチャード・ファンシー、マーク・ハレリック、マイケル・シェフォー、キャシー・ワグナー、デビー・ブーン、ショーン・パイフロム、ダニー・ボナデュース


ABC-TV制作『人気家族パートリッジ』The Partridge Familyはアメリカで毎週金曜日の午後8:30〜9:00(第3シーズンの途中からは土曜日の午後8:00〜8:30)に放送されていた30分の連続ドラマでした。
放送期間は1970年9月25日〜1974年3月23日。

『人気家族パートリッジ』の配役
シャーリー・パートリッジ(母親)・・・・シャーリー・ジョーンズ Shirley Jones
キース・パートリッジ(長男)・・・・デビッド・キャシディー David Cassidy
ローリー・パートリッジ(長女)・・・スーザン・デイ Susan Dey
ダニー・パートリッジ(次男)・・・・ダニー・ボナデュース Danny Bonaduce
クリス・パートリッジ(三男)・・・・ジェレミー・ゲルフワークス Jeremy Gelbwaks/途中からブライアン・フォースター Brian Forster
トレイシー・パートリッジ(次女)・・スザンヌ・クルー Suzanne Crough
ムク犬シモーヌ

パートリッジ・ファミリーといえば、「悲しき初恋」I Think I Love Youのヒットですね。1970年11月21日号のビルボードで第1位になってます。アメリカではその後もシングル、アルバムのヒットが続きましたが、日本では番組放映が遅れたためか、はたまた国産アイドル・郷ひろみが登場したためか、「悲しき初恋」以降はイマイチでした。

悲しき初恋デビッドキャシディーのすべて
悲しき青春いつか会う日まで
夢みるデビッドさよなら初恋

つい最近、私は、デビッド・キャシディーが当時出したアルバムの中の一曲『チェリッシュ』(アソシエーションのヒット曲)を、或るオムニバスCDで初めて聞きました。やっぱりアイドルの歌で、シンガーという感じじゃなかったですね。

C'mon, Get Happy!
http://www.cmongethappy.com/
COME ON GET HAPPY The Partridge Family Story
http://www.ycdtotv.de/cogh/

2004年08月17日

…といえば、ロボット工学の三原則

昨日、テレビで映画『アイ、ロボット』のCMを見ました。それがアシモフの『われはロボット(I, ROBOT)』の映画化であることは、瞬間的に理解しました。
040817_01.jpgへーぇ、映画化されたんだ・・・
知りませんでした。
私が原作を読んだのは1981年(創元推理文庫版=伊藤哲・訳/写真右)ですから、けっこう最近です。
ネットで検索すると、かなり原作とは違った内容であるらしいことが分かりました。原作でも原案でもなくて、原典という扱いです。
鋼鉄都市のあのメガネをかけた懐古主義者みたいな人物が刑事として出てくるようですね。公開が楽しみです。

Official Site “I Robot Now”
http://www.irobotnow.com/

日本版公式サイト『アイ,ロボット』
http://www.foxjapan.com/movies/irobot/

2004年08月15日

バリサンとは携帯電波受信良好、転じて元気いっぱい

安倍なつみ 3rd single『恋のテレフォン GOAL』を聞くと、聞きなれたモータウン・サウンドを髣髴(ほうふつ)とさせるところや、ラスト近く、おッ『アイ・ウィル・フォロー・ヒム』か? なんて思わせる小技があったりして、つんくの相変わらずの60年代好きがよく分かります。

電話というのはドラマでも歌でも昔からよく登場します。それだけ生活に溶け込んでいるということでしょう。
映画では東陽一監督の『やさしい日本人』が印象に残ってます。東山千栄子が公衆電話から孫にかけるシーン。「おばあちゃん、遠いとこへ行きますから。もう会えませんから」と、淡々と、あやすように話すんですね。
ヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』とは正反対のムードなんですが、どちらも生死に関わる重要な電話。洋の東西でこれだけ違うってのも、なんだか不思議な気がします。
山のアナアナで有名なあの歌奴(現・三遊亭圓歌)の師匠が、新作派の大真打だった二代目三遊亭圓歌で、この方の十八番に「電話もの」というシリーズがあったそうです。あたしゃ寄席には行ったことがないもんでよく知らないんですけどね。

ついでといっちゃぁなんですが、電話の歌というのをここで列記しておきましょう。

 電話かけても/筆香
 電話の歌/フランキ−堺
 メイコの電話/中村メイコ
 赤い電話で/鶴 美幸
 お別れ公衆電話/松山恵子
 コール・ミー・アップ・サム・レイニー・アフタヌーン ※アーヴィング・バーリン作詞作曲
 ローヤル・テレフォン/セラ・ジュビリー
 ゴナ・バイ・ミー・ア・テレフォン/ヘレン・ヒュームズ
 シャンティリー・レース/ビッグ・ボッパー
 ザット・メイクス・イット/ジェーン・マンスフィールド
 電話でキッス/ポール・アンカ
 電話でキッス/佐野修
 電話でキッス/竹田公彦
 電話でキッス/フランツ・フリーデル
 電話にご用心/ボビー・ダーリン
 悲しきテレフォンデイト/シェリー・フェブレー
 悲しきテレフォンデイト/伊東ゆかり
 ビーチウッド4−5789/ザ・マーベレッツ
 恋のビーチウッド/カーペンターズ
 恋のL.D.CALL/ジミー・オズモンド
 お電話してね/司富子
 恵子の電話/浜恵子
 悲しみの向うがわ/我妻理沙
 リキの電話番号/スティーリー・ダン
 恋ぬ赤電話/座間美江子 with 山内昌徳
 愛の国際電話/ザ・ビーバー
 いじっぱり/高岡美智子
 電話/友川かずき
 電話/Belle
 電話/早坂紘子
 電話/稲葉喜美子
 電話/宮本けんじ
 電話/松山千春
 恋のダイヤル6700/フィンガー5
 恋のダイヤル6.4.3.2.9/ドリー・ドッツ
 ダイヤル2026/田中邦子
 ダイヤル177/野口五郎
 ダイヤル045/濱田金吾
 045/杉浦幸
 長距離電話/あべ静江
 雨のテレフォン/岡田奈々
 ハロー Mr.Telephone/ハイファイセット
 Telephone/スラップ・スティックス
 SATURDAY NIGHT ZOMBIES/松任谷由実 ※留守番電話
 まちがい電話/伊藤咲子
 夜明けの電話/とんぼ
 糸電話/古谷一行
 告白/竹内まりや
 携帯電話/井上陽水
 顔のない電話/ロックウェル
 恋におちて/小林明子 ♪ダイヤル回して 手を止めた…
 話し中/大根夕佳
 急げ赤デンワ/ドクター南雲とシルバー・ヘッドホーン
 絶望行進曲/モダンチョキチョキズ ♪あなたの人生 話し中…
 電話の向こうに故郷が/松居直美
 ミニモニ。テレフォン!リンリンリン/ミニモニ。
 はるかぜ電話/NHKおかあさんといっしょ(杉田あきひろ、つのだりょうこ)
 アルバム「るす電メッセージSHOW!」(お笑いユニット「ほっちきす」)

ほかに、どんなのありましたっけ?

まだちょっと先ですけど、10月23日は電信電話記念日です。
これは明治2年9月19日に東京―横浜間で電信線の設置工事が始まったことを記念するものです。旧暦9月19日が新暦だと10月23日らしいんですよ。
旧暦の特定の日にちを新暦で換算して推定するという作業はそう単純な話ではないはずですが、明治くらいの近さなら、なんとかなるんですかね。


¶postscript―*

私のようなPC音痴に何かと目をかけてくださる「さぶろー」さんから、嬉しい情報のお中元を頂戴いたしました。あり難さで涙チョチョ切れちゃいます。お手数かけて申し訳ありません。

ご努力いただいた結果だけを、トンビがアブラゲ攫うように、コッソリ自分の手柄にしちゃうわけにはまいりません。
あえてそのまま掲載させていただくことを、どうかどうかお赦しいただきたく存じます。
ワタクシも、これからは心を入れ替え、まっとまっと、ぐぅわんばりますぅ!
「さぶろー」さん、俺はやる。俺ァやるゼ!

英二さま

ぁ〜あ ぅ〜う どもども、ってことで電話系の歌です。
しかし暑いなぁ〜 今日は・・・

HANG UP THE PHONE/CHAGE&ASKA
Hanging On The Telephone/Blondie
Hanging On The Telephone/Acid Reign (Blondieのカバー)
Hanging On The Telephone/L7 (Blondieのカバー)
Hanging On The Telephone/Sinergy (Blondieのカバー)
Phonemate/PHYLLIS ST JAMES
Piange il telephono/Domenico Modugno
TELEPHONE MURDER/BUCK-TICK
Telephone Baby/Johnny Otis
Telephone Craze/L⇔R
Telephone Line/Electric Light Orchestra
Telephone number/八神純子
Telephone(Won't You Ring)/Shelley Fabares(悲しきテレフォンデイト/シェリー・フェブレー ?)
Telephone/矢沢永吉
The Lonely Telephone/The Quintones
ふろく〜実用留守番電話/清水ミチコ
ゴールデン・ハーフの電話でキッス/ゴールデン・ハーフ
ダイヤルまわして…/中原めいこ
チンチン電話/ベニ・シスターズ
テレフォン・ノイローゼ/甲斐バンド
テレフォン・ナンバー/大橋純子
テレフォン・ラインはライフ・ライン/10cc
ロンサム・ロードの赤電話/石野真子
七夕ダイヤル/NAVY & IVORY
上着とテレフォン/沢田聖子
僕は電話をかけない/L⇔R
告白テレフォン/遠藤京子
居留守番電話/チューリップ
気がむけば電話して/南沙織
涙のテレフォン/シャネルズ
無言電話のブルース/THE BLUE HEARTS
片想いダイヤル/大塚愛
真夜中のテレフォン・コール/柳ジョージ
真夜中の電話/あんべ光俊
真夜中の電話/加藤登紀子
突然の電話/真璃子
糸電話/レーズン
電話ください/大場久美子
電話でツイスト/ジョニー・アリディ
電話/レミオロメン
電話/加藤登紀子
電話/森高千里
電話/香坂みゆき
電話/高橋真梨子

ざっと探したらこんなモンです。手持ちの歌詞で「電話」「受話器」「ダイヤル」
「phon」で文字列検索すると670件ほどありましたが決算で忙しいんで後は歌詞サイトで
適当に調べてくださいな。いっぱいあるぜぇ〜!

んじゃまたねー!

(2006年8月3日)

2004年08月14日

麺をすすると必ずむせる僕、ってヘンですか?

本場で「うどん」熱唱 東京のロックグループ

 讃岐うどんで知られる香川県出身の男性をドラマーに擁するロックグループが同県内のうどん店でデビュー曲「うどん」のライブを開催し、うどんブームに乗って知名度を上げたいと意気込んでいる。
 グループは東京を拠点に活動する「ばんどえんど.」で、元営業マンや現役のシステムエンジニア、音大卒業生ら20―40代の男性4人で2000年に結成。一時活動を休止したが、昨年再開し、今年7月にCD「うどん」を発売した。
 「うどん」は都会で就職したが夢破れ、あす故郷に帰るサラリーマンがうどん店で吐露する切ない気持ちを歌詞にした。うどん製品のキャンペーンソングに選ばれ、都内のスーパーなどで流されているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040814-00000029-kyodo-soci

シングル「けつねうどん」三原チコうどんの歌は珍しいですね。
真正面からうどんを扱った歌では、1968年9月にミノルフォンから出た三原チコの「けつねうどん」(写真左)があります。
しかしまったくヒットしていません。
歌詞の主旨としては「私にとって、けつねうどんは失恋の味だ」ということのようです。


博多では「うろん」ですか。こっちの方が本家かもしれませんね。
「うろーん、、、夜なきうろーーん」「おっさん頼むで」「へぇおおきに」「なんや、あんたも大阪かいな」
江戸ッ子の心中は品川、駆け落ちなら八王子か葛飾、と相場が決まってますが、関西人の落ち行く先は関門海峡の先というイメージでしょうか。

関東ではそばです。そばといえば杉野十兵次次房。
「営業部の杉野はうどん屋になっているのだ」「えっ!? そば屋ではないのですか」「近年、江戸ではうどんが流行っておる。明日の集合場所もうどん屋の二階じゃ」
サラリーマン忠臣蔵じゃないっちゅーの。

蕎麦の歌は知りません。なんかありますかね? 都々逸にその例を見るだけです。
「時そば」のオリジナルは上方落語の「時うどん」だそうです。
あまりに有名なオチなんでチョイと捻る噺家もおりますね。
 「ひぃふぅみぃよぅいつむぅななやぁ、、いまなんどきだい?」
 「四つですよ」
 「いつむぅななやぁ、、いまなんどきだい?」
 「だから、四つだってば」
 「(泣きながら)いつむぅななやぁ、、いまなんどきだい?」
 「もういいよ、ちょうど十六文だ」
この下げは三遊亭小遊三さんで聞いたことがあります。

 「ひぃふぅみぃよぅいつむぅななやぁ、、いまなんどきだい?」
 「たしか9時半ごろだと思いますが」
 「すると死亡時刻の直前ですな」
これは、時そば殺人事件の発端ですか?

SP歌詞カード「チャルメラそば屋」美空ひばりラーメンの歌は多いですね。
 チャルメラそば屋/美空ひばり
 ラーメン節/白根一男
 涙のラーメン/こまどり姉妹
 東京ラーメン娘/三村和子
 母娘チャルメラ/深津文子
 ウマウマラーメン/橋本潮(NHK「みんなのうた」)
 ラーメン人生/田中慎夜
 ラーメン大好き小池さんの歌/シャ乱Q
 ラーメンパワー/嘉門達夫
 ラーメン・ブルース/青江三奈、清水アキラ
ほかにもあるでしょう。

シングルCD「冷麺で恋をして」小滝詠一日清カップヌードルの最初のCMソング「ハッピーじゃないか」を笠井紀美子が歌ったことはけっこう知られております。小林亜星・作曲のこの歌は大阪MBS毎日放送の人気番組「ヤングおー!おー!」でやってましたね。麺類では、ほかに
 やきソバの唄/三宅バンド
 冷麺で恋をして/小滝詠一(しょうたき・えいいち)(写真左)
なんてのがあります。

エイコーラ、エイコーラ、♪とーちゃんのためーなァら…

040813_01.jpgレコード・コレクターズ9月号 特集「ブリティッシュ・フォーク/トラッド」
ブリティッシュ・フォーク/トラッドは、私が不得手なジャンルのひとつ。
ウチのレコード棚にあるのはせいぜいロニー・ドネガンくらいです。
トラディショナルの「スカボロー・フェア」をサイモンとガーファンクルが自作とクレジットしたと書いてあるのを読んで、私は丸山明宏が「ヨイトマケの唄」の「とーちゃんのためならエーンヤコーラ・・・」のところまで“自作”として著作権登録していることを連想しました。そのために、あの労働歌のメロディを使おうとすると著作権に引っかかるようになってしまったのです。

2004年08月10日

石立鉄男の消息

伊代はまだ16だから、がいけないと言っておりましたね。自己宣伝はいけないと。
ひばりのマドロスさん、ひばりの渡り鳥だよは、しかし、いいと。
これはつじつまが合いませんね。
今夜また美空ひばりの特番をゴールデンにやってますが、出入り禁止にし、出場拒否された経緯は、そのまんま。
時々の都合でコロコロ方針が変わるんじゃ、どっかのコウモリ政党みたいですね。
マツケン・サンバIIの国民的番組へのノミネートは貢献度しだいでしょうか?

040810_01.jpg話かわって――、
週刊新潮8月24日号別冊『FOCUS』330円。
『日本の「ハワイ」に隠遁する「石立鉄男」のお相手』という記事が出てましたので買いました。
石立鉄男は一連のTVドラマで人気を得る前、つまりあのモシャモシャ頭になる前は、実にナイーヴな、まるでジェームス・ディーンみたいな演技をする、どちらかといえばシリアスな役が似合う役者でした。『父子草』という木下恵介が脚本(ホン)を書いたモノクロ作品などはその真骨頂が発揮されております。
もちろんモシャモシャ後の、コミカルな演技も素晴らしく、私もその大ファンでした。
ところが「わかめラーメンCM」のころから、あまり見かけなくなりました。
TVというのは不思議なもので、たまに出ると容貌の変化が目立って、見る側はなにかこうショックを受けるわけですが、ちょうどそんな感じで、アレ!? ついこないだまで若々しかった石立鉄男がどうしてこんなにトシとってんだ! みたいなことになるわけです。
まだ62歳。これからいちばんいい演技ができる時だと思うんですけどね。

 オレンジ色と深緑の「湘南色」と呼ばれるツートンカラーで東海道線を走ってきた湘南電車が東京駅から消えることが決まった。JR東日本は10月のダイヤ改定で、新型のステンレス車両を本格導入するため、古い湘南色の電車は06年1月までにすべて消える。http://www.asahi.com/national/update/0806/007.html

私のサイト
5-6-7 Oldies but Goodies and SONO-COLO
https://pointex.biz/eiji/
のトップページで走ってるのがこの湘南電車です。
私自身はあまり縁がありませんでしたが、いかにもあの時代の雰囲気がして好きでした。

¶postscript―*
テレビ朝日『ミステリー民俗学者・八雲樹』で、石立鉄男を発見。村の老人役でした。
(2004年10月15日)

2004年08月09日

昭和30年代を歩く

040809_01.jpg三推社・講談社発行『ベストカー情報版 懐かしいあの頃に出会える 昭和30年代を歩く』1143円+税。
いきなり別冊でこういうムックを出すという必然性というか流れがよく判りませんけど、情報の鮮度もまとめ方も高レベル。
編集者たちのセンスの良さが伝わってきます。


040809_02.jpgサンデー毎日8月15・22日号。特集『元祖にんげんワイド 黄金の70年代 青春のテレビ』。
サンデー毎日って毒気が無くってツマラナイという人が多いですね。「合格者出身校一覧」のたぐいのデータ記事以外、なんかセールスポイントがあるのかと。独占インタビューと称して一方的に喋らせるだけの、どう見てもタイアップとしか思えない記事を平気で載せちゃったりしますしね。私もほとんど買うことはありません。
今回は“あの人は今”的特集なんで、はじめは立ち読みで済ますつもりでしたが、まぁ資料だと思って買っておくことにしました。

富士レコード社から暑中見舞いのはがきが届きました。日野てる子の「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー/夏の日の想い出」のシングルジャケット写真が貼り付けてありました。
このレコード店へ行くようになってから、おそらく二十数年以上は経ってると思います。

¶postscript―*
終戦記念日の今日、テレビ東京が『昭和30年代を歩く』の内容をそのまま番組にしたようなのをやってました。
日曜ビッグバラエティ『今甦る懐かしき“昭和”30年−50年代…日本が元気だったあの時代』(20:54〜22:18)昭和に会える場所&町々▽思い出の味と物に再会▽学生街の喫茶店&神田川&給食▽昭和復活
(2004年8月15日)

2004年08月08日

ザ・ガードマン

 昭和40年代の人気ドラマ「ザ・ガードマン」のDVDボックス(ポニーキャニオン)第2弾発売記念試写会が5日、都内で開かれた。会場には当時の出演者で俳優の藤巻潤(68)、倉石功(60)も出席、約150人のオールドファンらを喜ばせた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040806-00000011-ykf-ent

「ザ・ガードマン」は実在する会社「日本警備保障」をモデルにしている大映のテレビドラマで、1965(昭和40)年4月9日から1971(昭和46)年12月24日までの約7年間、毎週金曜日・夜9:30〜10:26に、全350回が放送されました。
私は中条静夫(ちゅうじょう・しずお)と神山繁(こうやま・しげる)のファンでした。
“ドラマのTBS”は、「七人の刑事」「七人の孫」「ただいま11人」「キイハンター」など、集団が主人公の劇が多く、外国ドラマでも「宇宙家族ロビンソン」「コンバット」「FBI」などをやってました。

高度成長期の都会の風景を見ていると、そのころの気分までが蘇えってきますね。
こればっかりはその時代に生きていた者でないと分かりません。
地方ロケも多かった。
悪役で出るゲスト俳優が、これまた個性派が揃ってて、ヨカッたですね。

栄光、その後の身の処し方

NHK「第36回 思い出のメロディー」が昨夜放送されたようですね。
私は仕事で見れませんでした。
かわりにNHKサイトで出演者と歌の一覧をチェックしたのですが、活躍当時、NHKが出演拒否した方々がまたまた大挙して出ておられます。今も、世間やマスコミが認知しなければダメ、認知すればOKですからね。これも定見ですか。
個人的には、以下の方々の歌をぜひ見たかったですね。
 山田太郎「新聞少年」
 飯田久彦「ルイジアナ・ママ」
 安西マリア「涙の太陽」
 初代コロンビア・ローズ「東京のバスガール」
 新川二朗「東京の灯よいつまでも」
 渚ゆう子「京都慕情」
 松坂慶子「愛の水中花」
 杉田かおる「鳥の詩」
 山本リンダ「狙いうち」
 天地真理「恋する夏の日」
 りりィ「私は泣いています」

ソニー傘下のソニー・ミュージックとドイツのメディア大手ベルテルスマン傘下のBMGは、両社の合併が完了したことを明らかにした。これにより、ユニバーサル・ミュージックに次ぐ音楽業界2位の企業が誕生した。
 新会社名はソニーBMGミュージックエンタテインメントで、今後幅広く人員削減が実施される見込み。
 新会社はベルテルスマンとソニー・アメリカが50%ずつ出資し、ニューヨークに本社が置かれる予定。最高経営責任者(CEO)には、ソニー・ミュージックのアンドリュー・ラック会長兼CEOが就任した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040806-00000469-reu-ent

「ソニー危機…業績大不振、ポスト出井混迷」
http://www.zakzak.co.jp/top/2004_08/t2004080654.html
と伝えられる中での合併。体のいい身売りではないのか、という気がします。
「今後幅広く人員削減が実施される見込み」って、ドカッとリストラされるッてことでしょ?
日本支社の態勢はどうなるんですかね。

2004年08月07日

チャイナ・ナイツ

 85年8月12日の日航機墜落事故で死去した歌手、坂本九さんの二十回忌を前に代表曲を集めたCD「坂本九 メモリアル・ベスト」が発売された。その中の一曲として、米国向けに作られ、日本では未発表だった曲「チャイナ・ナイツ」が初めてCD化され、話題を呼んでいる。
 「チャイナ・ナイツ」は、63年に米ビルボード誌1位の大ヒットとなった「上を向いて歩こう(スキヤキ)」に次いで、同年に米国で発表された。渡辺はま子さんの「支那の夜」を中村八大さんが編曲したもので、同ヒットチャートで58位を記録した。
 坂本さんが所属したマナセプロダクションの曲直瀬道枝社長は「完全にアメリカ向けに作った曲だったので、日本での発表は控えていた。東洋的なアレンジなので、九ちゃんはちょっと照れながら歌っていましたね」と振り返る。妻の柏木由紀子さんは「彼を知らない世代も増えた。このCDを通じて、改めて彼の名前や曲を知ってもらえればうれしい」と語った。
http://www.asahi.com/culture/update/0806/ 003.html

スキヤキの次の曲が「支那の夜」じゃ当時としてもセンスが疑われます。
「支那の夜」自体は名曲ですが、アメリカ進出という僥倖を活かせないチョイスと言わざるをえません。
指示したのは誰だったんでしょうね?

2004年08月05日

ビーチボーイズへのトリビュート

彼らをリスペクトするトリビュートアルバムを日本人のアーチストが作り上げた。それが8/4リリースの『BEACH BOYS BEST of TRIBUTE』である。レコーディングには、ビーチボーイズ信望者として名高い槇原敬之を始めとして、大黒摩季、山弦、naja、高野寛、柴田俊文などが参加している。
http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/ barks/20040805/lauent001.html

01.Wouldn't It Be Nice/槇原敬之
02.Do You Want To Dance/大黒摩季
03.Surfin' U.S.A./小倉博和(山弦)
04.Kokomo/Great3 with 佐橋佳幸(山弦)
05.Sail On Sailor/GB's
06.Fun,Fun,Fun/naja
07.Caroline no/佐橋佳幸(山弦) with B-Girls(A.K.A-Ms,T)
08.California Girls/渡辺等
09.Good Vibrations/槇原敬之 with 高野寛
10.Surfer Girl/Ai Miyakawa
11.In My Room/GB's featuring 柴田俊文

試聴したら悪くないですよ。ヘンにいじってないところは好感が持てます。

東京という街の折返し地点、いやサ時点

040805_01.jpg『東京人』9月号 特集『東京オリンピック1964』。
まもなくアテネ・オリンピックだからって、じゃぁ東京五輪の特集をやろうという発想がいかにもこの編集部らしいですね。900円もする雑誌ですよコレ。
私だったら10月号でやりますけど(笑)

2004年08月02日

追悼 朱里エイコ

歌手の朱里エイコ(しゅり・えいこ=本名・田辺栄子)さんが7月31日に急死していたことが2日、分かった。警視庁竹の塚署の調べによると、朱里さんは1946年3月19日生まれの58歳。31日午後1時半ごろ、知人からの通報を受けて署員が東京都足立区内の自宅に駆けつけ、死亡を確認した。外傷がないことなどから事件性はなく、病死とみられる。葬儀などは未定。
 東京生まれ。64年に田辺エイコの名前でデビュー。同年、歌の勉強のため渡米し、帰国後の67年に朱里エイコとして再デビューした。72年に「北国行きで」がヒットし、紅白歌合戦に初出場。「恋の衝撃」「ジェット最終便」などのヒット曲のほか、レナウンのCMソング「イエ・イエ」も歌っていた。
 力強い歌唱とミニスカートからすらりと伸びた脚が人気を集め、「100万ドルの脚線美」などと脚光を浴びた。01年に芸名を「朱理エイ子」に変えていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040802-00000026-mai-peo

040802_01.jpg040802_02.jpg

 朱里エイコさん。あのときのあの脚線美は強く印象に残ってます。黄金時代でしたね。
KODAMA NO-26 歌手としての初吹き込みは、コダマプレスが1962年4月8日に発行した『KODAMA 26号』(写真右)の、 ソノシート「シンデレラ」(作詞・作曲:ポール・アンカ)でした。(表紙の帯には田辺栄子と本名が表示されています)  上の写真はその時の録音風景です。

ライナーノーツにはこう書かれていました。


“シンデレラ”を歌う田辺エイ子について

 おおきな熊の人形をだいてスタジオ入りした田辺エイ子は、21年3月19日生れの16才 バレーの朱里ミサオ氏のお嬢さんで 佐々木功のバンドであるロリーポップについてヒットソングを歌いまくっている お得意はこの“シンデレラ”のほか“2万4千のキッス”“小さい悪魔”など

「朱里ミサオ氏」とあるのは、宝塚歌劇団舞踊講師もなさっていた母みさをさんのことです。

 朱里さんは病を得たこともあり、精神的な遍歴を重ねておられたようですね。
 実力派であっただけにご本人のジレンマやストレスは相当なものだったでしょう。その心中は察して余りあるものがあります。しかしやはりあの黄金時代があったということは歌手として幸福だったのではないか、、、そう思います。
 どうか安らかにお瞑(ねむ)りください。合掌。

EIKO SHURI OFFICIAL HomePage
http://www.eiko-s.com/


041122_01.jpg¶postscript―*
2004年11月18日に発売された『新潮45』12月号(写真左)に、能勢理子(ジャーナリスト)の『歌手「朱里エイコ」の超壮絶人生』が掲載されました。
(2004年11月22日)

006 星空に両手を

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シングル「星空に両手を」島倉千代子・守屋浩 作詞・西沢 爽、作曲・神津善行、歌・島倉千代子、守屋浩。
 1963(昭和38)年9月、日本コロムビアのリリースです。
  『いつでも夢を』が市川右太衛門なら、この歌はさしづめ片岡知恵蔵でしょう。あるいは三波春夫と村田英雄とでも申しますか、華やかさではちょっとかないませんけど、その代わり、飽きのこない深い味わい、静かな感動があるんですね。
 デュエットでありながら男性から「あの娘」への一方的な思い入れを歌う『いつでも夢を』とは違って、こちらはプロポーズ直後というか結婚前夜というか、そういうムードで、しかもどちらかの母親がおそらく亡くなっているだろうことを暗示してたりして、未来(行く末)への希望とか心の持ちようだけでなくて、過去(来し方)へのまなざしというものがちゃんとある。今の二人の関係・境遇に加えて、時間という縦軸が二人の人物像に強い陰影と深みを与えている……つまりはこちらのほうがドラマ性が濃厚だというわけです。しかも貧乏で〃指輪の代わりに星明かり〃ってンだから、いぢましいじゃありませんか。それよりもなによりも、メロディが素晴らしい。
 流行歌が人の心をなぐさめ励ます、そういう時代の、宝石のような歌のひとつです。

シングル「咲子さんちょっと」江利チエミ 作曲した神津善行といえば大物有名人の葬儀のVで夫婦そろってコメントする姿が印象的ですが、ひところはタレント活動も盛んに行い、長寿番組『家族そろって歌合戦』のレギュラー審査員をはじめ、TV・ラジオ・CMで活躍、ドラマで演技にもチャレンジしておりましたね。さらにそれらと平行して、音楽イベントのプロデュース、オーケストラの指揮、楽団の理事、公益法人の役員・顧問、古楽器の復興(小楽器集団「六華仙」主宰)、著作活動(『実録ぼくの英才教育』『音楽の落とし物』『浪曲の音楽的考察』『植物と話がしたい』ほか)などにも全力投球していたわけですから、見かけによらずタフな方のようです。
 第一の肩書きである作曲家としては、「海ゆかば」を曲にした信時 潔(のぶとき・きよし)に師事し、交響詩『月山』、小交響詩『依代』、『サカラメンタによるキリシタンの子守唄』、『十八鳴浜の幻想』、『風の中の人』、音楽物語『傷ついた渡り鳥』などを発表。
 歌謡曲や主題歌の方面では、
シングル「大学のお姐ちゃん」中島そのみ中村メイコ『ママ横を向いてて』(1955年)、『夢をみたっけな』
江利チエミ『新妻に捧げる歌』、『サザエさん』、『咲子さんちょっと』、『東京さのさ娘』(写真右上)
中島そのみ『大学のお姐ちゃん』(写真左)
団令子・重山規子・中島そのみ『お姐ちゃんに任しとキ』(写真右下)
美空ひばり『髪』、『小さなクラブ』、『喜びの日の涙』
守屋浩『長いおさげ髪』
倍賞千恵子『明日あなたに』
西郷輝彦『どてらい男(ヤツ)』
植木等『チョッと一言多すぎる』
アントニオ・古賀『朝が泣いている』
常田富士男『私のビートルズ』
テレビ朝日スポーツテーマ『朝日に栄光あれ』
NHKみんなのうた『札幌の空』、『あだ名のうた』
シングル「お姐ちゃんに任しとキ」団・中島・重山――などが知られており、妻=中村メイコの詞、また自作の詞に曲をつけた例もかなりの数に上ります。
(お二人のご結婚は1957年。恋愛時代の恋がたきは永六輔だったと云いますからトリロー文芸部で先輩・後輩の恋の鞘当てがあったということになります。神津は1948年頃から三木鶏郎の編曲を担当しており、1952年初夏から参加した永からすれば先輩に当たるわけです。)
 東宝・松竹を中心とした映画音楽の分野では、松本清張原作の名作『黒い画集 ある遭難』をはじめ、ひばり・チエミ・いづみの三人娘もの、サザエさんシリーズ、お姐ちゃんシリーズ、落語野郎シリーズ、そして社長シリーズ・無責任シリーズのいくつかの作品など、プログラム・ピクチャーを中心として、その多産ぶりを遺憾なく発揮しています。
 というわけで私の神津善行ベスト3ですが、
 (1)星空に両手を
 (2)お姐ちゃんに任しとキ
 (3)私のビートルズ
となっております。
 各社共同企画の神津善行全集がそろそろ作られてしかるべきではないか、と思うのは私だけでしょうか。
(2003年2月1日)

 ¶postscript―*
 『私のビートルズ』は大槻モヨコ(ケンヂ)がボーカルを務める『電車』が1stアルバム『電車トーマソ』(2001年4月)でカバーしています。
(2003年2月5日)