ブルドッグ・滝
昭和30〜40年代、ブックレットにソノシートを綴じ込んだ(あるいは組み合わせた)、いわゆる「朝日ソノラマ」スタイルのソノシート本が数多く発売されました。
(左)1959年12月1日発行の「朝日ソノラマ」1960年1月号(創刊号)。
(右)ビクターミュージックブック「ビートルズ特集16曲」。演奏:東京ビートルズ他(1964年)
「朝日ソノラマ」は創刊から約1年間、ソノシートを外せない形に綴じ込んだ製本をしていたので、聞くためにはターンテーブルにブックレットごと置かなければならなりませんでした(写真中央に開いている穴はそのためののもです)。これが不評だったため、その後はレコード盤のように丸くプレスカットしたソノシートをスリーブに入れるという一般的なスタイルに変わりました。
写真右の「ビートルズ特集16曲」は日本ビクターが「ミュージックブック」と称して発売したソノシート本のひとつです。
「ソノシート」「ソノラマ」はセメダインや味の素と同じく特定の商品名で、朝日新聞社傘下の朝日ソノプレス社(=当時。現在は朝日ソノラマ)が当時から所有する登録商標でしたので、他の会社は確信犯的にあえて「ソノシート」と呼んでしまうか、単に「シート」あるいは「フォノシート」と表記することが多く、
また、「朝日ソノラマ」スタイルのソノシート本は、各社それぞれに
「ミュージックブック」(日本ビクター)
「コロ・シート」(日本コロムビア)
「ソノ・ジャーナル」「音の出る月刊誌 若い音楽」(現代芸術社)
「KODAMA(ステレオシート)」(コダマプレス)
「エンゼル・ブックス」(日本エンゼルレコード)
「芸能フォノ・グラフ」(サン出版社)
「ソノレコード」(ソノブックス社)
といった名で販売しておりました。
内容としては、ポップスや映画音楽、事件のドキュメント、テレビ主題歌、アニメや怪獣物のドラマ…等が多く、メジャーのレコード会社が例外的に人気歌手の廉価版アルバムとして発売することもありましたが、いしだあゆみや朱里エイコ、菅原洋一らが、正式なレコード・デビュー前にカバー・ポップスをソノシートで吹き込んでいたりすることからも判るとおり、ベテラン・新人に関わらず、大方はレコード会社と契約のない人たちが録音していた、かなりチープでお手軽なメディアなのでした。
そうしたものの元祖である朝日ソノラマが、単独のソノシートを通常のレコードと同じように発売していたことがありました。価格は100円。若い人にとっては、シングル盤ですらそうちょくちょく買えるものではなかった時代ですから、この価格はかなり魅力的だったに違いありません。
その中から今回、ブルドッグ・滝の2枚のソノシートを紹介したいと思います。
(左)ソノラマレコード「黒田節のロカブギ」「真室川音頭のロカブギ」SEP-3007
(右)ソノラマレコード「ルイジアナ・ママ」「トラスト・ミー」 SEP-3009
ブルドッグ・滝。プロボクサーみたいな名前です。面構えはというと、演歌系ですネ。
上記の他に、1964年12月17日に発行された「朝日ソノラマ JUKE BOX 3 リトル・ホンダ/朝日のあたる家」(定価180円)
というソノシート本で、B面の「朝日のあたる家」を歌っています。
さらに同じく朝日ソノラマから「ポエトリー・イン・モ−ション」EEP1が出ておりますが、これはソノシートではなく或いは普通のレコード盤だったかもしれません(未確認)。
「黒田節のロカブギ」
戦後、ブギがはやった時、民謡や日本調歌謡をブギで歌うという試みはすでに行われてましたし(林伊佐緒の「真室川ブギ」は1954年)、ロカビリー・ブームの時も、平尾昌章が「五木の子守唄ロック」や「ロックおてもやん」を出して、歌謡曲に転進する道筋を早くからつけておりました。
ロックンロールやツイスト、ディスコサウンド、シンセサイザー物が流行したときも、スタンダードや懐メロ、映画音楽などをそうしたアレンジ・楽器・スタイルで演奏した便乗レコードが、雨後のタケノコのように現れたものです。
日本においては、そうした事例は和魂洋才音楽(by大滝詠一)とでも云うべきものでありまして、こと既製曲の場合は、ミルス・ブラザース・スタイルで再構築された「山寺の和尚さん」の例があるように、出来不出来はたぶんにアレンジャーの腕しだい。そしてたいていは凡作となることが多いようです。
そういうわけですから、黒田節をブギにするというアイデア自体は取り立ててどうこう云うべきものではないのですが、あえて「ロカブギ」と称したところに、ブルドッグ・滝の意気込みというか歌に対する理念が窺えるわけです。
ロカブギ(ロッカブギ)といいますと、
ザ・ダウンチャイルド・ブルース・バンド The Downchild Blues Band「ロッキン・リトル・ブギ」ROCKIN' LITTLE BOOGIE
トレニアーズ The Treniers「ロッカビーティン・ブギ」ROCK-A-BEATIN' BOOGIE(1954年)
ビル・ダーネル Bill Darnelと、女優ダイアナ・デッカー Diana Deckerの競作となった「ロッカブギ・ベイビー」ROCK-A-BOOGIE BABY(1956年)
アンディ・クイン Andy Quinn「ロッカブギ」ROCK-A-BOOGIE(1957年)
ジョニー・バーネット Johnny Burnette 「ロック・ビリー・ブギ」ROCK BILLY BOOGIE(1957年)
グレン・リーヴス Glenn Reeves 「ロッカブギー・ルー」ROCK-A-BOOGIE LOU(1958年)
ジーン・サマーズ Gene Summers「ロッカブギ・シェイク」ROCKABOOGIE SHAKE(1959年録音)
というような楽曲が挙げられます。
すなわちロッカブギとは、よりブギのビートを強調(4ビートから8ビートへ)した50年代前半のジャンプ系のレイス・ミュージック(後に云うR&B)と、それらをカントリーミュージック・シーンの白人が摂取して作ったウエスタン・スイング〜ロカビリーに共通するところの、タイトでハードなリズム感を表した言葉であって、
特にロカビリーにおいては、ブギならではのベースパターンはどちらかというと影をひそめ、ビートと、狂おしくひっくり返るシャックリ(ヒカップ)唱法が前面に押し出されているのが特徴となっております。
上に挙げた曲の中で、米国以外、とりわけ日本で知られていたのはビル・ヘイリーと彼のコメッツ Bill Haley and his Cometsが1955年にカバーした「ロッカビーティン・ブギ」でしょうから、ブルドッグ・滝のイメージするロカブギもそれに近いものだったと推測されます。
実際聞いてみると、ビル・ヘイリーのサウンドに近い雰囲気です。ブルドッグ・滝の歌唱はというと、ジャズをベースにしながらも独特のロカビリー唱法となっており、今風に云えばかなりカルト的な味わいがあります。
このブルドッグ・滝さん、その後はどうされたのでしょうか?
ぜひ会ってみたいですね。そしてその音楽人生を語っていただきたいと思います。
さて、以下に「黒田節のロカブギ」「ルイジアナ・ママ」にあるライナーノーツを、時代の資料として、全文引用しておきましょう。(無断引用御免!)
SEP-3007
★黒田節のロカブギ 2:06
★真室川音頭のロカブギ 2:57
歌:ブルドッグ・滝
文字通り「揺さぶり転がる」リズム、これがロック・アンド・ロールだった。第二次大戦後数年ののち全世界を席巻したこのリズムは、今や完全にマンポ、チャチャチャ以上に、新しいリズムの決定版となって若い人達の間に根強く受け継がれている。
以来、ロカピリー、ロッカパラード、ロカマンポ、など、すぺてのリズムはこのロックのリズムをべースにした複合リズムであった。今やハリケーンのような勢で世界をかけめぐっているツイストのリズムもまた、このロックのリズムをべースにしていることはいうまでもない。
このレコードで聞く二つの民謡、黒田節と真室川音頭は、このロックのリズムをべースにして、ひところ大変に流行したブギウギを複合、合成したものである。人呼んで、これを「ロカブギ」という。一聴するところでは、このリズムは今流行のツイストと似ている。すこぶる威勢のいい、パンチのきいた音楽である。ロカブギのリズムと民謡のメロディーが、うまく融合して、一寸ごきげんな黒田節と真室川音頭が出来上っている。
正調民謡の良さもさることながら、古い民謡の、こういう時代に即応した激しい音楽への衣更えもまた別の良さを持っているといえよう。
強烈なブラスの響きと、若い情熱をぷちかましたような歌は、現代の要求に応える傑作といえるだろう。
この種類の歌は、その歌を歌う歌手の能力が決定的にその作品の良否を左右するものである。活力のない歌手では、この種の歌はどうにもこなしきれないだろう。また反面、馬力だけでは、適確にこのリズムを消化することはむずかしい。その点、この歌を歌っている新人ブルドッグ・滝は、全く理想的な歌手である。生れならがのロック・シンガーといえよう。リズムの適確なことはこのレコードを聞いても解るとおり、一寸例がない。ジャズの感覚を完全に身につけているといえよう。将来が楽しめる新人である。
生れは、インドネシアのジャカルタで、昭和16年12月というからまだ20歳になったぱかりである。戦後日本に引揚げて、学校へ通うかたわら、自分で好きな歌を勉強したという。南国の風土で育てられた、とてつもない活力、彼の歌に潜むバイタリティーは、そんなところに由来しているようだ。東京飯倉のアメリカン・クラブでドラムをたたいているところをスカウトされて、ソノラマの専属歌手となった。このレコードはそのデビュー盤である。(武光真雄)
SEP-3009
★ルイジアナ・ママ
LOUISIANA MAMA 2:19
★トラスト・ミー
TRUST ME 2:16
歌:ブルドッグ・滝
トアン(インドネシア語でミスターの意)ブルドッグ・滝はインドネシアのジャカルタに生れた。子供の頃から歌ぱかり歌っていた。戦後引上げて来た少年ブルドッグは朝から晩まで歌を歌いずめだった。ドラマーとして下手くそな太鼓をたたいていた時朝日ソノラマのプロデューサーの目にとまり、歌ってみないかと初の録音をしたのが、このレコードに収録された「トラスト・ミー」。イタリー映画「情事」の主題曲である。ぷっつけでこの新曲をこんなにこなすとは! というわけで早速専属歌手としてスタートをきったというラッキー・ポーイである。今後の活躍が期待されている。今年20才のエネルギッシュな歌手である。 ☆ルィジアナ・ママは「電話でキッス」で大当りをとったジーン・ピトニーの作詩、作曲。そしてピトニー自身の歌のレコードがアメリカでは本命盤となっている。早いテンポのロック調だが、自然な美しいコードの流れをもった曲である。メロディーが非常にきれいなのできっと広く愛好されるだろう。
☆トラスト・ミーはイタリー映画「情事」のテーマである。映画では歌はなく演奏でこのメロディーが流れているが、アメリカでこのメロディーに歌詩をつけた歌が流行しはじめた。いわゆるウルトラーレ(絶叫型)の唱法で歌われるこの歌は、ロック調の、ヨーロッパ流行歌の典型といってもよいような情熱的なものである。ブルドッグ・滝の体当り的歌い方には大変ぴったりしている。
このように近頃はアメリカものがヨーロッパに渡り、多少姿を変えてヒットし、逆にヨーロッパからアメリカに渡り大流行をきたす歌が大変多いようである。しかし、ここ数年は数の上はともかくも、内容的な充実という点では、ヨーロッパの方が優秀といえるだろう。特に、古くから歌の王国といわれるイタリアは、今なお数々の美しい歌を生み、全世界で愛唱されている。歌の良さを決定するのはなんといってもメロディーの個性と美しさであるわけで、イタリアはこの無限の宝庫であるようだ。それをアメリカの器用な歌い手達が料理して、ジャズィーなリズムを盛り込んでヒット・ソング化する……。まさにキャデラックやリンカーンのように、ボディー・デザインをイタリアに依頼しそれをアメリカ工業の粋をこらして成品化するという過程に一脈通じるようである。このトラスト・ミーは見事に両者の特徴が融け合って熱狂的なロックのフィーリングをもつ美しいウルトラーレになったわけである。(津川 隆)
『「電話でキッス」で大当りをとったジーン・ピトニー』というのは『ポール・アンカ』の誤りですね。