002 どこかでだれかに
作詞:大橋巨泉、作曲:杉原 淳、編曲:渋谷 毅、歌:木元 泉、コーラス:大橋巨泉とザ・サラブレッズ。
日本ビクターから発売されていた頃のフィリップス盤でリリースは1970(昭和45)年7月。私が中古盤として入手したのはその数年後でした。
木元 泉については、ポリドール音源の『風の子ジョニー』(きもといづみ名義)が収録されたCD『ソフトロック・ドライヴィン スノー・ドルフィン・サンバ』のライナーでつぶさに、
演奏・コーラスの大橋巨泉とザ・サラブレッズについては、東芝(EXPRESS)音源の『都会をあとに』が収録されたCD『ソフトロック・ドライヴィン 恋人中心世界』のライナーに粗々述べられておりますので、機会があればぜひそちらをご参照いただきたいと思います。
ポリドールにおける きもといづみ(木元 泉)のシングル盤は、
DR-1642 『風の子ジョニー』『笑わないでね』 1971(昭和46)年11月発売
DR-1697 『オレンジ色の夢』『神話』 1972(昭和47)年 8月発売
の2枚だけのようです。
『風の子ジョニー』は由紀さおりの『初恋の丘』と酷似しているため、あたしゃ同じ歌かと思ったくらいです。実はレコード会社こそ違え両方とも渋谷毅の作曲・編曲で、発売も同年同月。こりゃ一種の自己模倣というべきですかね。そういえば木元 泉と由紀さおりは声質まで似ています。
あ、そうそう、翌72年6月に出た麻丘めぐみ『芽ばえ』もほとんど同系統のムードですけど、こっちは筒美京平の作品でした。
さて、今回採りあげた『どこかでだれかに』はその木元泉のデビュー・シングル『お願いがあるの』のB面曲で、A・B面ともに木元が歌っております。
個人的にはこのB面曲にベタ惚れでして、かつて私のラジオ番組『SONO-COLOアワー』でも昭和元禄を代表する曲のひとつとして取り上げたことがありました。
本格的な歌謡ボサノバで、小品ながら実によくあの時代の都会の空気を封じ込めています。パパパヤのスキャット、ココンコンコンのリズムショット、……まぁ悲しきチェンバロの調べこそありませんが、60年代の掉尾を飾る万博の年(1970年)の、更けゆく東京は南青山あたりのリッチな高揚感が横溢していて、私のように音楽で〃60年代三昧〃をする人間には、実に珍重すべき逸品なのです。
せっかくですから、ジャケット裏のライナーノーツ(筆者不明)とメンバー紹介を転載しておきましょう。
大橋巨泉のもとに集った音楽界のサラブレッド……ザ・サラブレッズがレコード界にデピューします。
大橋巨泉とザ・サラブレッズは、TV番組(11PM、巨泉にまかせろ等)で既に皆様に御馴染ですが、パンドの紅一点・木元泉の唄を中心にして、まとまったクールなサウンドはヤングエイジからオールルドエイジに至る迄非常に巾広いファンの支持を受けておりレコードの発売が長い間待たれておりました。
★「お願いがあるの」は非常に甘い夢のある曲で恋する女性の美しい感情がよく表現されていますが、それもそのはずTVラジオ等の司会で大活躍の一谷伸江が大恋愛中に満ち足りた気持を何とか表わしたいと云う純粋な乙女心から書いた詩をもとにして作られたものだからです。その上一谷伸江の旦那さんである大柿隆一が編曲を担当・アツアツムードの二人による作品なので甘い曲に仕上がるのも当然の事かもしれません。
★「どこかでだれかに」は、大橋巨泉が作詞したもので、ボサノバの軽快なリズムに乗せて、スキャトが印象的なザ・サラブレッズならではの爽やかな曲です。
★メンバー紹介
■木元泉(ヴォ一カル)
昭和24年3月8日生
広島市立鈴峰女子短期大学外国学部卒
趣味 絵を画く事 星を見る事
■大橋巨泉(コーラス)
昭和5年3月22日生
■杉原淳(テナーサックス)
昭和11年8月6日生
東京教育大学 理工学部 卒
■根市タカオ(ベース)
昭和10年5月1日生
慶応大学経済学部 卒
■池貝まさとし(ドラム)
昭和12年3月27日生
成城大学 経済学部 卒
■中島一郎(ピアノ)
昭和14年5月15日生
横浜国立大学 学芸学部 卒
大橋巨泉自身が歌っているこんな歌もありました。
フジテレビ『巨泉のスター百面相』主題歌『おれは天下の百面相』。B面は『こりゃまたみなさん百面相』。どちらも作詞:井上ひさし、作曲:筒美京平。1969年の発売です。
(2002年9月26日)
¶postscript―*
『どこかでだれかに』は2002年10月に発売されたオムニバス・アルバム『JAPANESE BOSSA NOVA 今宵歌わん』に収録されました。
(2002年12月15日)