◆こんにちは。物言わぬディスクジョッキー、寡黙な皿回しの菅佐原英二です。タイトルどおりとりあえず101枚を感想をまじえて紹介していきます。(以下、敬称を略す)◆
作詞:橋本 淳、作・編曲:すぎやま・こういち、歌:青山ミチ。発売:1966(昭和41)年11月、日本グラモフォン(ポリドール)。
この埋もれた名作が『亜麻色の髪の乙女』と改題されGS曲として日本コロムビアのCBSレーベルからリリースされるのは1968(昭和43)年2月ですから、いささか間があります。
『逢いたくて逢いたくて』、『また逢う日まで』などタイトルや歌詞を変えヒットにつなげたケースは多々あり、また創唱者でない人が大ヒットさせる『南国土佐を後にして』、『矢切の渡し』、『テネシー・ワルツ』、『マイウェイ』のような事例も数え切れません。
このオリジナル盤は爽やかなフォーク調で、仕上がりも上々なのですが、歌唱者・青山ミチのイメージに合わずヒットしませんでした。その年(1966年)の9月には加藤登紀子がやはりポリドールからデビューしており話題もそちらが勝っておりました。
制作側としては、師匠筋の伊部晴美が指摘するように「彼女のもつ声の祈りににた音色の特色を出す方向」、すなわち和製R&B路線に進ませるべきであったと思います。このあと彼女はクラウンへ移籍。例の最後のヒット曲『叱らないで』マリア様…を出します。彼女の歌のうまさが存分に発揮され、名盤となりました。
15歳で歌手デビュー、そこそこヒットを放ち、将来を嘱望されていた彼女でしたが、あまりに早すぎた栄光だったのかもしれません。
その後、彼女を見たのは、1983年5月16日放送の『酒井広のうわさのスタジオ』の取材Vで、その惨憺たる情況から“再起はムリだろう”との印象を受けました。
2002年5月、エイベックスが『亜麻色の髪の乙女』(歌:島谷ひとみ)をダンサブルなアレンジでリリース。これが大ヒットしたのは記憶に新しいことですね。
同年7月には、ヴィレッジ・シンガーズのボーカル兼12弦ギター担当だった清水道夫の名を騙る者がカラオケ大会の審査員報酬15万円を詐取する、という事件が発生して話題になりました。
翌2003年7月25日、本物のヴィレッジ・シンガーズ5人がリユニオンし、事件の起きた長野県御代田町(みよたまち)で『日本のポップスの夜明け』と題するコンサートを行ないました。メンバーらは最初、事件にこだわり行きたくないと渋っていたそうですが、商店会長の熱意に負け、引き受けたとのことです。大雨洪水警報が出てテントに避難しての開催でした。
(2002年8月28日)
(2004年2月11日改稿)
¶postscript―*
03年の暮も押し迫った12月27日、『泣いた笑った壮絶人生 超豪華! あの人は今!! 夢の紅白歌合戦』という懐メロ番組がオンエアされ、なんと青山ミチが娘さんとともにスタジオに登場、デビューヒットとなった『ヴァケイション』を親子で熱唱しました。その表情も15年前とはまったく違って明るく輝いたものでした。私は一ファンとして、ほんとによかったなぁーと・・・目頭が熱くなるのを感じたのでした。
(2003年12月27日)