癡者猫(チェシャーキャット)だって未萌(みほう)に見る。
ごめんくださいまし。
アタシでございます。お忘れでございましょうか?
今を去ること一ヶ月と六日前、ふいにこのウェブログが消えたのでございます。
いいえ、ウェブログのみならず、サイト全部が神隠しにあったように、すっ・・・と消えちゃったのでございます。
原因? 存じません。
全てのログを失いました。アハハハハ。
なんの、かまいやしやせん。人間本来無一物ですから。
アタシはそういう男です。
♪生ッまれたとーきがひっとりならァー、死んでいくのもひっとりぢゃなーいーかァー♪
ヤケッパチぢゃないですよ。一遍上人のテーマソングです、これは。
でも、いいぢゃないッすか。ね。また始まるんですよ、これが。
仕切り直しです。初心に返って、また一から出直しです。
始まりの終わりがようやく終わり、これから終わりの始まりの始まりが終わりかけているところにさしかかろうとしているのです。
すなわち、終わりは始まりであり、始まりは始まり、終わりはしょせん終わりです。どこから始まっても、またどこで終わっても、それは始まりであり、同時に終わりであるのです。スタートはエンドであり、レッツ・ビギンはレッツ・フィニッシュなのです。
察しのいいアナタならもうおわかりでしょぉ?
アソコはここでここはアソコなんです。
ぢゃぁ、アナタとアタシは同じなのか? そりゃ、そりゃァははは、違いますよぉ。
誤解を懼れずに申し上げれば、過去は未来であり、未来は過去なんですぅ!
違う?! あ、違う? ぜんぜん違いますって?
う〜む、そうかもしれん、また、そうでないかもしれん。
そうとも云えるし、そうでないとも云えます。
よいのです。それで、おおむねよろしーのです。善きかな善きかな、でアリマス。
現実を肯定的に観るということは必ずしもオノレが保守化しているということではありませんね。逆もまた然り。
昔はヨカッた、などとは申しません。今の方がずっと良いこともたくさんある。そうでしょう? そしてその逆もある。
しかして、同時代の空気と折り合いの悪い者にとっては、たとえば60年代の“Now !”を持ち込んだり、来るべき懐かしい未来(レトロ・フューチャー)を引き寄せたりすることは、手の込んだ延命処置であり、さまよえる死者への鎮魂・慰霊・回向に他ならない、ということ。
ちなみに――、
今回付した題名“register movement”は印刷用語で云うところの「見当ずれ」、いわゆる版ズレのことでございますよ。out of registerとも申します。print gapというのもマァ似たような意味でしょうね、きっと。
「パパ、ズレてるぅ!」……って、べつにズラがズレてるわけぢゃござんせん。
昨今の作法と、ひっきょう現代感覚と、ズレちゃってる。ね。ズレまくっちゃってる。
人見明が思わず「調子くるっちゃうなー」とつぶやいてしまうような、そんな版ズレ野郎のウェブログですよ、という意味なんです。
このウェブログで何が言いたいかといえば、フランキー・ヴァリのことではない。およそ考えられるヴァリエーションが出そろってしまった以上は、時間軸にそった生成・発展という見方は歴史としての知識でしかなくなり、すべてのヴァリエーションの、そのテイストは現在(座標軸ゼロ)から等距離、または等距離に等しい距離にある、、、のだろう、ということなんです。
わっかンないかナーァ。
たとえばねー、ジャズの歴史でニューオーリンズ・スタイル、シカゴ・ジャズ、スイング、ビバップ、モダンジャズ、フリージャズ、クロスオーヴァーとかいろいろあって、それらは一応は時代とともに発展してきたのだけれども、では、最新のジャズがデキシーランド・ジャズより価値があるのかといえばそうぢゃァない。それは違う。
三国伝来のブディズムなんかもそう。古い・新しいだけが尺度ぢゃないし、恣意的なソートの結果を規範として押しつけるべきぢゃないんです。文化ってやつァそーゆーもんなんです。
そしてそうしたヴァリエーションは、インターネット時代にふさわしく、データとして随時アクセス可能であり、個々人に固有であるところの“現在(座標軸ゼロ)”が無限に異なるように、その価値判断もまた、もはや無限に相対化されるに至った、と宣言すべき「時」がついについに訪れたのだ、ということ。
それはパンドラの箱を開けるようなもので、いったんそのような状態に至ったら、一切合切すべてを抹消するか、システムを含めて復元不可能なまでに破壊するか、しか逆戻りの方法はないのである。いわば文化の最終ステージ、もう後は、日の下に新しきものは無し、ってコトであります。
それでも創造に較べればまだ易しいかもしれない。…いえネ、今後は発見は困難でしょうという話。もちろん、知ってる者は知らない者より知っている、とか、あー先に言ってくれりゃいいのにぃ〜、といった程度の発見はいくらでもある。けれども人類史上の、みたいな発見はムズかしい。
一人の人間が一生のうちに世界中すべてのホームページを見ることはムリでしょう。それにその必要はない。相呼ぶ魂が無言の裡に引き合う、価値観の似通った者がコミュニティを作るということもある。アタシャそういうのは好きぢゃないが。
だから、知ってる者は知らない者より知っている程度の発見をしたけりゃ、インターネットはうってつけの玩具ですな。
――えーっと、、、なんの話だったっけ?
とにかくね、またやるんです。始まります。
プロローグにしてエピローグ、イントロにしてアウトロ、プレリュードにしてポストリュード、序にして跋、キューにしてタグ、高貴にして卑賤、先駆けにしてどん尻、中心にして周縁、最新流行にして時代遅れ、マクロコスモスにしてミクロコスモス、鶏口にして牛後、……ま、ほとんどオバケです。よ、よろピク。
眼鏡をかけたMedievalist 菅佐原 英二
(cf.“THE CAVES OF STEEL” http://www.625.org.uk/cavesofs/sb21cofs.htm )
コメント
つーことで、この場をお借りいたしまして、「なんちてチャハ」と申し上げ、挨拶に代えさせていただきます。本日はお足元の悪いなか、まことに有難うございました。
投稿者: eiji | 2004年01月13日 15:51