028 フランシーヌの場合

 『フランシーヌの場合』 作詞:いまいずみあきら、作曲:郷伍郎、編曲:テディ池谷 歌:新谷のり子、古賀力 発売:1969年5月、日本コロムビア。

毎年3月30日になると、この歌を思い出します。
この歌についての一番適切な解説であろうと思われる、当時のシングル盤歌詞カード表2にあるプロフィールと曲紹介を引用しておきましょう。

新谷しんたにのり子
昭和24年10月3日、函館市日吉野37に生れる。函館商業高校卒業後、歌の勉強のため上京、三佳令二氏に師事、かたわら虎の門”ミュージックラウンジしんくら”のシンガーとして活躍中、作曲家郷伍郎氏に見出され、同氏の作曲になる”フランシーヌの場合”をデノンレコードより発売される事になりました。

フランシーヌの場合
3月30日の朝、パリのベトナム和平拡大会議場からわずか200メートルの路上で、フランシーヌルコントと云う若い女性が焼身自殺しました。
彼女はビアフラの独立をめぐって泥沼の戦いが続く、ナイジェリア内戦の新聞の切り抜きを持っており、ビアフラの飢餓と悲惨な現状を憂えた死の抗議でした。「フランシーヌの場合」はこの事件を知った作曲家、郷伍郎氏と作詩のいまいずみあきら氏がすぐさまその感動をフォークソングとして書き上げたものです。
美しく覚えやすいメロディーと弾き語り風のギターが、この曲にこめられた純粋性を見事に表現しています。
特にバックに流れるフランシーヌ事件を報じるニュースとシャンソン歌手、古賀力のフランス語の唄が独創的なフォークソングとして注目されています。

フランス人女性が政治的な主張と抗議をするために衆人環視の中での自殺、それも焼身自殺を択んだというのは大変ショッキングな出来事です。
ベトナム人僧侶ティック・クアン・ドクがサイゴンのアメリカ大使館前で抗議の焼身自殺(1963年6月11日)をしている映像が世界中で流され、それに対してゴ・ディン・ヌー秘密警察長官の妻マダム・ヌーが「あんなものは単なる人間バーベキューだ」とテレビで語った、そのことをおそらくは踏まえての仕儀であったと考えられます。
詳しい経緯が不明なので、その「理由」が自殺をするために必要だった「大義名分」であった疑いも拭いきれず、ために彼女が反戦平和運動の聖女に祭り上げられることもなく、今にちに至ってます。この歌がなければ恐らく日本では忘れ去られていた事件だったでしょう。
実際に起きた事件を歌にしている点では、ブロードサイド・バラッド、ニュース歌謡の範疇に入れても私は間違いではないと思っています。

当時、テレビの歌番組で、レコードで共演している古賀力も呼ばれてレコードどおりに歌っているのを見た覚えがあります。
フォークがすっかり市民権を得て、レコード会社も積極的にリリースしていた時期でして、楽曲的に良くできているこの歌はかなりヒットしました。
「あまりにもおばかさん」「ホントのことを言ったら」というようなフレーズが左翼運動とか、反戦、反政府運動といったレベルを超えて、人間としての生き方のレベルでの感想を伝えているように感じられて、違う世代にも受け容れられたのでしょう。

新谷はヒット曲を持ちながら新左翼に近い位置にいる(いた?)女性歌手ということでイメージ的には加藤登紀子に連なるところがあります。現在も積極的に反戦・人権擁護・平和を訴えられているようですね。

(上左)シングル『さよならの総括』c/w『雨降る20世紀』新谷のり子 1969年10月 日本コロムビア
AB両面ともに作詞:山上路夫、作曲:田辺信一、編曲:小谷 充。
(上右)シングル『娘たちは風にむかって』c/w『あたらしい旅』新谷のり子 1972年 日本フォノグラム フィリップス
A面は映画『娘たちは風にむかって』主題歌、B面は同挿入歌。AB両面ともに作詞:土居大助、作曲:いずみ・たく、編曲:親泊正昇。

1972年6月12日に初公開された『娘たちは風にむかって』という映画は左翼系の独立プロ作品(製作:共同映画全国系列会議、民藝映画社/配給:ほるぷ映画)で、内容も1966(昭和41)年に大阪・西淀川にある被服工場で実際に起こった労働争議をモデルにしたものだそうです。

新谷のり子は1972年当時、フィリップス・レーベルに移籍していて、『フランシーヌの場合』も再録音しています。この時のアレンジャーは大柿隆で、意外性のあるコードを使って、オヤッと思わせる仕上がりになってました。

(2012年3月30日)

追加記事

プルトニウムの場合

原発事故関連の替え歌はほかにも幾つかあるようです。
詞が秀逸であること、歌い方をオリジナルに似せているところが面白いですね。

(2012年3月30日)

027 男と女のお話

わたしをつくった101枚

訃報:日吉ミミさん64歳=歌手
 1970年に「男と女のお話」がヒットした歌手の日吉ミミ(ひよし・みみ、本名・黒岩和子=くろいわ・かずこ)さんが10日午前5時半、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。64歳。葬儀は親族のみで済ませた。喪主は夫慶三(けいぞう)さん。
 埼玉県出身。67年に池和子としてデビュー後、69年に日吉ミミに改名。70年に「男と女の数え唄」などで人気が出て、同年のNHK紅白歌合戦に初出場した。TBSドラマ「ムー一族」の劇中歌「世迷い言」なども話題を呼んだ。09年にがんが見つかり、闘病を続けていた。

http://mainichi.jp/select/person/news/20110812k0000m040076000c.html

(左)『男と女のお話』作詞:久仁京介、作曲:水島正和、編曲:近藤進、歌:日吉ミミ 発売:ビクター、1970年5月。

きょう(8月11日)、突然の訃報に接し、ただただ驚いてます。
『男と女のお話』のヒットはリアルタイムで見てまして、「現代」の空気、気分をよく写し取っている、里程標的な作品だなぁと、そのころ感じておりました。
1994年10月4日に放送された『昭和歌謡大全集 第八弾 第二夜』というテレビ番組でご本人が話してましたが、『男と女のお話』は元々B面曲で、評判がいいためA面にするにあたって録音しなおしたのだそうです。そして、あの独特の歌い方は、浅川マキ『夜が明けたら』に影響されたんだとか。

浅川マキ – 夜が明けたら

  ※(追記:この動画は削除されました

 

日吉ミミ – 男と女のお話

  ※(追記:この動画は削除されました

『男と女のお話』は、バーやスナックで交わされる男女の会話の断片をふくらませたような内容ですが、世の中も人の心も変わりつつあるという認識が、まず冒頭で語られる。ここが重要でして、どう変わっているのかが詞で明示されない代わりに、メロディー・アレンジ・ボーカルによって、真摯な情熱が冷めてしまったような、ソフィスティケイトされた一種の達観ムードが、くどいくらいに表現されている。
それは『雨の中の二人/長崎は今日も雨だった』の項でも述べた69年後半~70年前半の燃え尽き感で、私自身も子供心に感じていたものでした。
後にいうバーンアウト(燃え尽き)症候群とはちょっと違いまして、社会全体の価値感が変わっていったというんでしょうかねぇ、五輪も万博もやり遂げて経済大国にもなり、滅私奉公のモーレツ社員にもミーイズムが芽生えた、そんな時代です。小狡くなったというか、利己心が強まったというか、特に都市生活者にそうした傾向が顕著になった感じでした。

日吉ミミのあの声、あの歌い方は当時ずいぶんと話題になったもんです。そしてそれが受け入れられた事自体が、あの時代の「変わりよう」を物語っておりましたね。
良くも悪くもあの強烈な歌声が日吉ミミのイメージを決定づけてしまい、のちのヒット『世迷い言』もその延長線上に企図されたものでした。

日吉ミミ – 世迷い言

  ※(追記:この動画は削除されました