2010/3/6 土曜日

022 雨のドライブ

カテゴリー: わたしをつくった101枚 — eiji @ 22:10:32

わたしをつくった101枚

 (左)『雨のドライブ』 作詞:安井かずみ、作曲:(クレジットなし)、編曲:森岡賢一郎、歌:クッキーズ。
発売:1966年、ビクター。

 「クッキーズ」とは、のちに「じゅん&ネネ」(じゅんとネネ、略称じゅんネネ)を名乗ることになる女性2人組です。
 ビクターから発売されたこのデビューシングル『可愛い花』c/w『雨のドライブ』はヒットしませんでしたが、キングに移ってからスターダムへ駆けのぼりました。同じくビクターでデビューして芽が出ず、キングで大成した例ではピンキラの今陽子がいます。

 この『雨のドライブ』、一聴すぐにそれと分かりますが、ハーブ・アルパートとテファナ・ブラスでヒットした『ア・テイスト・オブ・ハニー(蜜の味)』のパクリです。
 もっとも『蜜の味』(元は同名イギリス映画の主題歌)だってジャズの名曲『クール・ストラッティン』をダブル・テンポにしたようなものですから、責められた話じゃありません。

 いや、私自身は『クール・ストラッティン』『蜜の味』『雨のドライブ』の三曲それぞれが、オリジナルであろうがパクリであろうがそんなこととは関係なく、名曲中の名曲だと確信しております。特に『雨のドライブ』こそは日本のアメリアッチ、いえメキシコの公用語はスペイン語ですからハポリアッチの名作であると(笑)

 ところがですね、ジャケットとレーベルのクレジットを見ると、

ポピュラーソング 可愛い花(Tansy)  安井かずみ作詩 森岡賢一郎編曲
ポピュラーソング 雨のドライブ(Lollipop) 橋本 淳作詩 森岡賢一郎編曲

となってるんですよ。
 これだけ見るとカバーのようです。作曲者名のクレジットがどこにもありませんが、当時のビクターのシングル盤ではそういうことは普通でした。
 でもちょっとアヤシイ・・・

 原タイトルの「Tansy」「Lollipop」どちらも、ポップスのタイトルにしてはあまりにあっさりしすぎてます。また、日本語歌詞がカバー曲にしては、かなり書き込んだ内容になっている。
 私が把握している「Lollipop」はロナルド&ルディやザ・コーデッツの1958年の歌のほかは、60年代に流行ったラテンジャズ、ラテンロックの一ジャンルBOOGALOO(ブーガルー)の曲フレディー・ロドリゲス(Freddie Rodrigues)の『Lolypop』だけで、これは別の楽曲です。
ハーブ・アルパートの『蜜の味』シングルはアメリカでは1965年、日本は66年発売。一方クッキーズの『可愛い花』c/w『雨のドライブ』もまた1966年。

 もしかしたら、これはカバーではないんじゃないか。
 A面はともかくとしてB面『雨のドライブ』は誰が聞いても『蜜の味』そっくりと気づきます。あまりに酷似してるんで、クレジットが憚られ、あたかもそういう外国曲があって、そのカバーをした風に装っているんじゃないか。著作権登録名義とレコードジャケット、レーベルの表記が異なってるんじゃないか? そういう裏技も当然ありえるでしょう。
 違っていたらごめんなさい。オリジナルを知らないもんで、つい、そんな考えがすっかり毛の薄い私の頭をかすめたのでした。ゲスの勘繰りってやつです。

 じゅん&ネネは再結成し、現在も音楽活動を続けています。
じゅん&ネネ オフィシャルウエブサイト
の「ヒストリー」という項目には、

1963年 ホイホイミュージックスクール(NTV)合格

1964年 4月、東京音楽学院でレッスン、スクールメイツの初代メンバーに。11月、デュオ「クッキーズ」結成、渡辺プロダクションに所属。『可愛い花』(ビクタレコード)リリース

1968年 4月、大野プロへ移籍「じゅん&ネネ」結成
5月、『愛するってこわい』(山口あかり作詞/平尾昌晃作曲/小谷充編曲/キングレコード)リリース

と出ていました。

 ネネが『ホイホイミュージックスクール』に合格した時はまだ12歳だったそうです。渡辺プロから奨学金を貰い、歌の勉強をしながら、同番組にレギュラー出演。その若さでもういっぱしの芸能人でした。二人がスクールメイツの初代メンバーというのもすごいですね。

 『可愛い花』から『愛するってこわい』までの間が少しあります。私としてはこの時代がいちばん気になります。まさに1960年代真っ只中。
 遊んだんでしょうねぇけっこう。その頃ぜひ会いたかった。
 ビクターではほかにこんな歌も歌ってます。

恋をおしえて/クッキーズ

 歌い出しの音がコレット・テンピア楽団の『太陽はひとりぼっち』を連想させますね。なかなかいい曲です。

 じゅん&ネネは宝塚の男役と女優、あるいはレズビアン(もっと昔風にいえばエス)のカップルみたいなムードが「ウリ」でしたが、それはユニセックス風なイメージで売れたピーターの存在を踏まえてのことでしょう。もちろん売り出すにあたり戦略的に練り上げられたイメージでした。
 じゅんがボーイフレンドをマンションの部屋に連れてきた時はネネは一人ぽつねんと外にいたなんてこともあったようです。

 1970年8月11日(火)午後8時~9時25分にフジテレビが放送した『第1回 紅白スター対抗水泳大会』にじゅんネネが出ています。あの頃じゅんさん細かったですねぇ~、今も細いですが(イヤホント)。

(下)1984年にキングレコードが発売した復刻盤LP『愛するってこわい じゅん&ネネの世界』(オリジナルのリリースは1969年)。
「DELUXE」の文字が黒く塗りつぶされているのは、あるいは金色の箔押しででもあったからか。

 
知らない町で じゅん&ネネ

 

 

じゅん&ネネ「プリーズ プリーズ プリーズ Please Please Please」

 

 初期の演歌調ポップスの時代よりも、人気が下降し始めてからのほうが名曲が多かった、というのが私の認識です。和製ソフトロックの名盤『プリーズ プリーズ プリーズ』は奇しくも『雨のドライブ』と符合する内容となってます。

 じゅん&ネネは結成5年目で解散しました。
 ネネはすぐにロンドンへ向います。なぜロンドンかというと海外で音楽の勉強をするというタテマエだったので、当時そういう意味でいちばん聞こえがよかったロンドンにしたそうです。本心では外国ならどこでもよかったのだとか。
 ネネはロンドンで元ズーニーヴーのギタリスト高橋英介(当時22歳)と偶然出会い、スイスへ移動し、知り合ってからわずか2週間で結婚しました。
 この時代のじゅんの情報はなぜか見当たりません。歌手活動をセーブし、軸足を喫茶店経営に移していたようですね。

 英介・ネネ夫妻は結婚後、東京へ戻り、そこで約十年ほど音楽活動をしてましたが、1987年、二人して八丈島へ転居。築百年の一軒家(1996年当時、家賃月2万円)に居を定めました。高橋英介はミュージシャン・作詞・作曲家として必要に応じて島と本土を行き来する生活で、これはその後もずっと続いています。

 ネネは1989年1月、町長選に出馬。
 同年1月26日に日本テレビが放送した『芸能スクランブル』では『速報!!「じゅん&ネネ」のネネさん出馬 八丈島町長選挙』のタイトルで立候補が伝えられました。
 結果は4128票対1224票で落選しましたが、島をきれいにしようというメッセージは島民に届いたようですね。
 その後もネネは環境問題や反戦・護憲の市民運動に関わっていて、その熱心な姿はジェーン・フォンダやブリジット・バルドーを彷彿とさせるものがあります。

 この夫婦には面白いエピソードがあるんですよ。
 プロポーズの時、高橋英介が「冗談で結婚しようぜ」と言い、ネネは「じゃぁ20年で離婚しよう」と提案して、籍を入れたそうです。そして二人は1995年11月、22年目の結婚記念日に、少しズレましたが約束どおり「離婚」の届けを提出。でもその後も同棲してました。
1998年、ネネは八丈島の定時制高校を卒業しハワイのカレッジに留学。この辺の見通しを織り込んでの「離婚」だったんでしょう。

 2003年12月27日TBS放送の特番『泣いた笑った壮絶人生 超豪華! あの人は今!! 夢の紅白歌合戦』には久々にじゅん&ネネとして登場しました。前掲「ヒストリー」の記述によると31年ぶりだそうです。この番組には青山ミチも出演しておりました。
 番組の反響は大きかったようで、めでたくじゅん&ネネは再結成。現在に至ってます。

 

 かさねて申し上げますが、『雨のドライブ』は名曲です。
 ラテン語のフレーズに「ハパックス・レゴメノン(hapax legomenon/英語読みはハーパクス・リゴーミノン/英訳はonce said)」というのがあります。ただ一度だけ用いられた記録のある言葉、極めてまれな語句という意味です。
 私はこの『雨のドライブ』をたった一度だけ、放送で使ったことがありました。
山内(やまのうち)流選曲士としての(!)それは渾身の一曲でした。

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SONO-COLOアワー
昭和58(1983)年4月15日 第71回
タイトル「ビューティフル昭和元禄・総括篇 伝説のEMOTION=いつか見たファントム・レディ」

アバンタイトル 紛糾する国会のドキュメント
  (NA)伊武雅刀

1 夕陽よ燃えろ/アイドルス
  (NA)伊武雅刀

2 雨のドライブ/クッキーズ
  (NA)伊武雅刀

3 MY GIRL THE MONTH OF MAY/ディオン
  (NA)伊武雅刀

4 ピープル/ザ・タイムズ
  (NA)伊武雅刀

5 風吹く丘で/青山ミチ
  (NA)伊武雅刀
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 タイトルは大林宣彦の有名な自主制作16ミリ作品『EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(1967年)のもじりです。
 番組で好評だった特集「ビューティフル昭和元禄」の最終編で、特にナレーションを多用し、あの時代を私なりに総括した内容でした。
 発想の基になったのは『雨のドライブ』で、そこから拡げていきました。スクリプトに若書きというか書生っぽさが横溢してますがそれも実はネライでして、個人的には気に入ってます。
 ただしこの回ではまったく予想していなかったアクシデントがあり、結果オーライでしたが、なにやらフィル・スぺクターがリミックスした『Let It Be』みたいだなぁと、ある種、心地よい悔しさを覚えたものです。

 曲解説の前にまず、当時私が書いたスクリプトを以下に再録しておきたいと思います。

M1 夕陽よ燃えろ/アイドルス

最初に君に逢ったのは一月の湘南の海だった。
古ぼけたよしず小屋のまだ建っていない閑散とした冬の浜辺を、君はハイヒールを手に持って、はだしで歩いていた。
僕の鳴らすクラクションに気づいて、君はジョーゼットのドレスの裾(すそ)をつまんで優雅にターンをしてみせた。
でも化粧をしてない君の素顔は、まだあどけない一人の少女だった。
東京までのみちずじ君は黙って空を見ていた。
耳元のカールした毛先が、浜を吹き上げる冷たい潮風に揺れていた。
僕はアクセルを踏んでスピードを上げた。
そのとき、空は今にも降り出しそうに、薄墨色から濃いグレーに変わろうとしていた。

M2 雨のドライブ/クッキーズ

二度目に君に逢ったのは6月15日のデモのときだった。
もみ合う人と人の間に、一瞬、君の顔を見かけたんだ。
それはちょうど、先発の連中が手をつないで道いっぱいに広がるフランス式デモを始めて、それが波紋のように後ろへ後ろへと伝わってきたときだった。
僕は少し離れた列の君に大声で呼びかけようとして、深く息を吸い込んだ。
…そうだ、僕はまだ君の名前を知らなかったんだっけ。
とっさに何かを叫んだけど、そのときなんて言ったのかいまだに思い出せないんだ。
ただ僕の声は周りの大きな音にかき消されてしまって、言葉でない微かな響きだけが自分の顎に伝わってくるだけだった。
次の瞬間、僕は両脇の学生といっしょに手をつなぎ思いいっきり道いっぱいに広がっていった。
君の残像はハレーションを起こしながら宙に浮んで、やがて消えた。

M3 MY GIRL THE MONTH OF MAY/ディオン

午前4時。
まだ夜(よる)は明けてなかった。
そう、三度目に君に逢ったのは赤いレンガ造りで白い扉の小さな深夜のスナックだった。
ウエスタンジャケットにレザーのミニスカートという、ちょっとしたインディアン娘の君はまるで別人のようで、いや、今思うと彼女はまったく違う人だったのかもしれない。
古いランプが並んでいるこのスナックで、ヒッピー風の男たちと一緒に君は夜(よ)を明かしている。
新宿の町には朝までやってるこんな店がたくさんあるんだ。
ゴーゴーを踊った帰りだったのか、君は手振り身振りで何かを楽しそうに話している。
しかしそうした君の姿もいつしか紫の煙に浮かび、薄ぼんやりしたシルエットに変わろうとしていた。
店のマスターがコルトレーンをかけた。
気の利いた洒落だった。
とてもジャズなど似合わないこの店を出て、狭く暗い路地から二幸の角まで歩いた。
折しも鴇色(ときいろ)に染まりはじめた東の空が僕にはひどく美しく見えて、その角に佇んだ僕はただひたすら、静かに変わりゆく時を見つめていたんだ。

M4 ピープル/ザ・タイムズ

最後に君に逢ったのは、それから5年経ったときだった。
君はテレビのブラウン管の中で群集の中の一人として僕の前に現れた。
それがいったいどういう映像なのか、何を映しているのか、かいもく分からなかった。
ただ何か、今より前に確かにあった現実の断片、ということしかはっきりしないんだ。
カラーの画面をモノクロで見ているような焦燥感で、僕は青白く光るブラウン管を眺めた。
例えば彼女は違う形の器に移し替えられていく水のように、いつもひどく違った表象で僕の前を通り過ぎていった。
それぞれの人格が同じだったのか、そうでなかったのか、今ではとても判断できそうにない。
やがてテレビカメラは切り替わって、二度と彼女が映し出されることはなかった。
その後、僕は彼女に逢っていない。
いや、もしかしたら、気づかないだけでほんとは身近ですれ違っているのかもしれない。
それからというもの、僕自身何度かターニングポイントを経て、あのころの「夢のような日々」の実感はすっかりどこかへ消えていってしまった。
彼女のことももはや過去の幻に過ぎない。
ただひとつ、今はもう伝説となった一人の女のイメージだけが、引き取り手のない忘れ物のように僕の心から去ろうとはしなかった。

M5 風吹く丘で/青山ミチ

 

 これらのスクリプトはあくまで曲間のナレーションとして書いたのですが、素の語りだけでは音楽番組としていささかキツかったのでしょう、私がいないスタジオでは、曲尻に合わせてその曲をBGMにナレーションが収録されていました。
 結論からいうと、私のプランよりもそのほうが演出としては優れておりました。
 ただ困ったことには、そのため時間が余ってしまった。そこで最後の曲『風吹く丘で』の後に、東大安田講堂攻防戦のドキュメントとザ・ブルーベル・シンガースの『昭和ブルース』をクロスフェードでつなげ、最後のナレーションをつけるという演出がなされました。
 その部分は事後承諾ではありましたが、聞いてみるとちゃんとこの回の主旨にバッチリ合っていて、素晴らしくいいんです。これには舌を巻きました。
 つまりこの回に限っては、私と演出側の意図するところが見事に一致して、大昔の学生言葉でいえば「アウフヘーベン」されたわけで、私は大いに満足しています。

 決まりの番組タイトルコールの前(すなわちアバンタイトル)の音は、紛糾する国会のドキュメント。
 1971年3月29日、青島幸男議員が佐藤栄作首相に対して「総理は財界の男めかけ」と批判した際の騒ぎを中心にコラージュしてあります。

 1曲目『夕陽よ燃えろ』(作詞:山口あかり、作編曲:中島安敏。ポリドール1968年9月発売)はグループサウンズ、アイドルスの歌。メロディはイマイチですがギターの演奏が印象的です。
 アイドルスはこの前に「叶修二、ジ・アイドルス」名義で、同年8月、『抱きしめて抱きしめて』(作詞:武田多賀子、作編曲:中島安敏)c/w『いつまでも愛していたい』(作詞:桑路実、作編曲:中島安敏)を、
『夕陽よ燃えろ』のあと、1969年4月に「立花京子、ジ・アイドルス」名義で『嫁ゆかば』(作詞:世志凡太、作編曲:小林亜星)c/w『恋の伝説』(作詞:大前きよを、作編曲:永作幸男)を、
同69年9月に『あの日の君に』(作詞:北ゆうこ、作曲:益山ひろし、編曲:中村友禅)c/w『さよならは朝が来てから』(作詞:清水真智、作曲:新城健史、編曲:永作幸男)をリリースしています。
 つまり『夕陽よ燃えろ』は、アイドルスの名が付されたシングルとしては2枚目、アイドルス単独としては最初のシングルということになります。
 ドラムスの岡正巳(おか・まさみ)はジャッキー吉川の弟子筋で、1971年のヒットCM、中外製薬『新グロモント』の♪ガンバラナクッチャ~はこの人の歌だそうです。アレってアニメに合わせたテープの早回しの声でしたから、地声では使われなかった、ということでしょうかね。

 放送音源は下の
ポリドールレコード(日本フォノグラム)昭和43年8月5日発売 9月新譜 サンプルLP
から録りました。

 1曲目の後半にかぶるナレーションで、伊武雅刀氏は「ジョーゼットのドレスの袖(そで)」と読んでましたが、これは「ジョーゼットのドレスの裾(すそ)」じゃないといけない。袖と裾ではイメージされる絵がぜんぜんく違いますから。
 私はちゃんと原稿に「裾」と書いたと記憶しております。やはり現場にいないといけませんねぇ。

 そして2曲目が冒頭に記しましたクッキーズの『雨のドライブ』です。

 3曲目、ディオンとベルモンツの『MY GIRL THE MONTH OF MAY』(作詞曲:ディオン・ディムチ)は上の米盤LP『Dion & the Belmonts Doo-wop』(米Pickwick)が音源でした。
 1966年、ディオンはベルモンツの面々とリユニオンし、ABCダンヒル・レコード(ABCパラマウントを社名変更)からアルバム『Together Again』を出していて、『MY GIRL THE MONTH OF MAY』も同年10月に同社からシングルでリリースされております。
 音源として使ったLP『Dion & the Belmonts Doo-wop』はそのABCダンヒルにおける録音を集めたものなんですが、ライナーノーツなどの情報がまったく無く、判るのは曲名と作者くらい。買ったとき私は「ナンデスカ、コレ?」と思わずつぶやいちゃいましたよ。
 そもそもPickwickは他社音源の楽曲を使ったオムニバスやコンピレーションを粗悪なボール紙ジャケットで販売する廉価盤主体の会社。このLPもタイトルとジャケットが中身とミスマッチです。確かにディオンとベルモンツはホワイト・ドゥーワップ・グループではありましたが、このLPの中身はその後の時代のもので、曲もドゥーワップだけじゃない。
 しかし、ま、『MY GIRL THE MONTH OF MAY』が60年代フォークロック、サイケデリックロックの、ものすごい傑作であることは間違いなく、初めて聴いたときから今に至るまで私のその評価は変わっていません。

Dion DiMucci – My Girl The Month Of May
 

 ブロードウェイ・ミュージカル(1964年3月26日初演)で、ウィリアム・ワイラー監督によって映画化(1968年)もされた『ファニー・ガール』(作詞:ボブ・メリル、作曲:ジュール・スタイン)。
 そこから生まれたヒットナンバー『ピープル』は舞台・映画両方でファニー・ブライス役を演じたバーブラ・ストライザンドの歌で広く知られております。
 1968年、そのソウル・バージョンを歌いヒットさせたのが『なぎさの誓い(So Much In Love/1963年)』のザ・タイムズでした。彼らのバージョンは全米チャート第39位まで上がってます。米コロムビアでの録音ということで日本では出来たばかりのCBS・ソニーからリリースされました。

 


 5曲目の『風吹く丘で』(作詞:橋本淳、作編曲:すぎやま・こういち)はポリドール1966年11月の発売。『亜麻色の髪の乙女』のオリジナルで、伴奏にトリオ・ロス・チカロスがクレジットされています。
詳しくは以下のリンク先をご覧下さい。

 

 そして私が意図しなかった選曲、ザ・ブルーベルシンガーズ『昭和ブルース』(作詞:山上路夫、作編曲:佐藤勝。ポリド-ル1969年9月発売)。俳優座製作映画『若者はゆく』の主題歌でした。
 私は69年当時、この歌が好きではありませんでした。やけに深刻でシャレっ気がない。今は「まぁか確かにあのころの若者の閉塞感を写し取ってはいたかな」とは思うようになりましたが。

 この番組のこの回で私は、万華鏡のように変化してやまなかった1960年代の擬人化として一人の女性をイメージし、その女性を追想する形で、あの時代が何であったのかを表現しようとしました。
 その意図がリスナーに伝わったかどうかは分かりませんが、私自身は会心の一作であったと自負しております。

 

追加記事

これは珍しい、ミーナが歌うイタリア語版「ピープル」。

Mina _ Gente ( People ) _ 1967 _ Full version.

 

1966年4月、ロンドン、プリンス・オブ・ウェールズ劇場での『ファニー・ガール』の公演で、幾度かバーブラの代役を務めたリサ・シェーンの録音。これもかなり貴重ですね。

Lisa Shane…the forgotten “Funny Girl”

 

以下、過去にもリンクしたことのある映像です (^^;;

 

YouTubeに現在、タイムズの「ピープル」はありません。UPされてもすぐ削除されてしまうようです。
かわりに、タイムズのヒットしなかった曲でいいなと思うのをいくつか。

(2010年3月10日)

 

2009/12/27 日曜日

020 天使の誘惑/021 土曜の夜何かが起きる

カテゴリー: わたしをつくった101枚 — eiji @ 12:01:00

(上左)『天使の誘惑』 作詞:なかにし礼、作曲・編曲:鈴木邦彦、歌:黛・ジュン
発売:1968年5月1日、東芝音楽工業。
(上右)『土曜の夜何かが起きる』 作詞:なかにし礼、作曲・編曲:鈴木邦彦、歌:黛・ジュン
発売:1969年12月20日、東芝音楽工業。

私より十歳年上で出身地が同じこと、黛ジュン以前に本名(渡辺順子)でレコードを出していたことなどを知ったのはずっと後のことです。
1960年代に「コケティッシュな魅力」という表現がありましたが、60年代前半のその代表が加賀まりこならば、67~69年はこの人。ミニスカートの似合う女性のナンバーワンでした。
特に好きな歌が1968年第10回日本レコード大賞受賞曲『天使の誘惑』と70年1~2月のヒット『土曜の夜何かが起きる』。今回は1度に2曲の紹介です。

ゲンダイネット 2006年7月24日 掲載『三木たかし「友と音楽に囲まれて」 黛ジュン』
で実兄の三木たかしが明かしていますが、彼女は1956(昭和31)年ころには人前で歌ってギャラを稼ぎ、一家を支えていたそうです。かなりの苦労人ですね。
The Deluxe Beauty 黛ジュン  – 毎日がYukiYukiのつぶやき
なるブログには、
『小学生で音羽ゆりかご会で童謡を歌い、作曲家・船村徹に師事した後、ジャズに転向。』
との情報もあります。
サンミュージック創業者・初代社長=相沢秀禎(ひでよし)の著書『スターを作る男 タレント軍団との日々』によれば、1961(昭和36)年当時、すでに「ジャズの天才少女と評判をとっていた」そうです。相沢の経営する龍美プロの所属となり『ウエスタン・キャラバン』とともにジャズ喫茶などで実演に明け暮れていたようですが、龍美プロは1964年3月に自主廃業・解散となったそうですから、渡辺順子名義でのレコード・デビューはその直後ということになります。

(下左)『ダンケ・シェーン』 c/w 『ロリポップ・リップス』渡辺順子 ビクター 1964年4月
(下右)『悲しき水兵さん』伊藤アイコ c/w 『ウーキ・クーキ』渡辺順子 ビクター 1964年5月

シングル『恋のハレルヤ』の解説(大谷 亘)では、放送局の人間が東芝音工の「オデオン」レーベル担当であった高嶋弘之ディレクターに紹介したことになっている。それと同時に作曲家中島安敏に師事し、『10ヵ月の厳しいレッスン』を受け、さらに『偶然録音のため放送局に来ていた俳優の石原裕次郎さんが、彼女の唄声を何気なく聞いてすっかり惚れこんだのもまだ昨年の夏の頃』だった、とあります。『昨年の夏』とは1966年の夏ということになります。当時のレコードの「解説」というのは完全にファン向けのメッセージでしたから、事実関係がその通りかどうかはちょっと疑問ですね。
石原プロモーションへの移籍が66年夏だとしたら、龍美プロ解散から石原プロ入りまでの間はどういう形だったのでしょう。ビクターからレコードデビューということでビクター芸能の預かりとなったのか、それとも別の所属だったのか、あるいは父親がマネージャーをしていたのか。
いづれにせよ、チャンスを活かせぬまま徒に時間ばかりが過ぎていき、忸怩たる思いでいっぱいだったに違いありません。
それだけに黛ジュンとして日の出の勢いで売れ始めたときは嬉しかったでしょうね。幼少時からの苦労と努力がやっと報われたのですから。それこそ天にも昇る気持ちだったでしょう。
そこから頂点を極めるまではあっという間でした。

『天使の誘惑』が大ヒットした1968年の夏――。私は日本三景の一つ「天橋立」へ観光に行き、その近くのプールのあるホテルに泊まったことがありました。
泳ぎ疲れて、プールの水の上でポヤ~ンと浮かんでおりますと、いきなり私を頭から水中に押し込む奴がいる。ビックリしてよく見たら私の兄でした。兄は何かにイラついてでもいたのか何度も私を沈めにかかった。もちろん本気ではないでしょうが、危険といえば危険です。実際そのとき私は足が攣ってしまって浮いてるのが不思議なくらいでした。この理不尽な仕打ちと足の痙攣と溺れる恐怖でその瞬間はよく覚えているのですが、
確かにそのときプールサイドのスピーカーから黛ジュンの『天使の誘惑』が流れていたのです。

黛ジュンとしての4枚目のシングル『天使の誘惑』は前3作と違って、いわゆるGSサウンドではありませんでした。また、このあとの『夕月』で復活しますが、当時流行りの小唄・端唄を歌うような節回しもこのときばかりは影を潜め、ストレートな発声をしております。なによりも特徴的だったのはジャケットにも書いてありますが「ハワイアン・ロック」であったこと。
おそらくこの言葉は、あとづけでしょう。当時でさえ「ハワイアン・ロック」という表現には私はピンと来なかった。むしろ「タヒチアン・ロック」じゃないかと。要するに「タムレ」サウンドでしょうと。そんなことは考えました。
でもそれはそれとして、、、
詞も曲もすごくいいんです。歌詞の趣旨は同じ年の2か月前に発売されたザ・スパイダース『あの時君は若かった』の女性版みたいで、団塊世代の心の成長というか、少し大人になった部分が感じられる、そういう内容ですね。まぁ強いて分類すれば「未練」ということになるんでしょうけど、メロディがああいうふうですから、なんとも潔(いさぎよ)い感じでした。

こういう歌を聞いて、私は「早く大人になりたいナァ」というキモチになったものです。もちろんそれまでに「恋」というのはしていましたよ。小学校で隣のクラスだった「道子」、転校生の「洋子」それからあれはなンてったっけナー、5年生でもうかなりのバストの持ち主だった、あー思い出せない・・・

『土曜の夜何かが起きる』は黛ジュンとしては9枚目だそうです。連発していたヒットの最後でしたかねぇ。
とにかくカッコイイ曲ですねこれは。派手さはないですが、当時のソウル、ジャズ、ラテンがミックスされたような渋いサウンドで、ベースのベンベンという音がいかにも1969年から70年のムードです。それだけかと言われれば、それだけなんですね。いやぁそれだけでいいんです。
あの時代に私は確かに生きていたのであり、確かにこの曲を聴いて、シビレた。
そんな昔がありました。

ところで「黛ジュン」の表記は『天使の誘惑』を中心とする全盛期は「黛・ジュン」とナカグロが入ってます。一ファンであった私自身、当時、ナカグロがないと正確な表記じゃないという意識がありました。
シングル『恋のハレルヤ』のジャケットを見ますと表4にだけ1箇所「黛・ジュン」の表記があり、それ以外はすべて「黛ジュン」となってますが、続く67年7月の2枚目シングル『霧のかなたに』や同年12月のアルバム『恋のハレルヤ』以降は「黛・ジュン」の表記で統一されています。
これが『土曜の夜何かが起きる』ではすでにナカグロが取れて「黛ジュン」になってまして、日本フォノグラムのフィリップス・レーベル移籍後もそのままで、現在に至ってるようです。
そういえばフランク永井も当初は「フランク・永井」と点が入ってましたね。
こりゃ余談ですが――
太地喜和子は「、」をとって大地喜和子となりましたし、
曙は「、」を付けて大関に昇進、ふたたび「、」を取って日本に帰化しました。
本田美奈子は「.(ドット)」をつけて名前が31画になったし、
バブルが弾けて、歌う不動産王=千昌夫の額からはホクロが消えてしまいました。
藤岡弘は「未だ完成していない」との意味で「、」をつけたそうです。
つのだ☆ひろ の☆はナカグロの代わり説が有力らしい。
モー娘。 ……知りません。
そうそうアレにも元々は「、」がついてたんですよ。アレは。
つい先日も小沢一郎が役所とケンカして、護るべきは王権か、国民の主権か、「ヽ」一つで大違いということにもなりましたっけね。
ナカグロといっても徒や疎かにはできないってことです。

その後の黛ジュンをめぐる話題の中でいちばん注目されたのは『真赤な太陽』解禁についてでしょう。

Yahoo!セカンドライフ – 趣味と教養 – 世界に1枚、ベスト・オブ・ビートルズと幻の名盤2枚 – 高嶋 弘之
で、黛ジュン版の『真赤な太陽』について、そのディレクターが当時の事情を明かしています。

美空ひばりと黛ジュン。YouTubeで聴き比べができますので、ちょっと聴いてみてください。

どうですか?
私はひばりの『真赤な太陽』をリアルタイムで見聞し、いいなと思った世代ですから、正直どちらも気に入ってます。甲乙つけ難いですね。それぞれ持ち味が違ってますし。
もし当時、黛ジュン版が発売されて競作になってたら、それはそれで盛り上がったんじゃないかと思いますよ。
また、ひばりサイドが何とか発売を阻止しようとしたその心理もよく分かります。
結局芸能界は今も昔も力関係がモノを言う弱肉強食の世界ですから、似たようなことは今だって起こりえるでしょう。

 

2009/10/6 火曜日

019 東京の灯よいつまでも

カテゴリー: わたしをつくった101枚 — eiji @ 18:04:26

わたしをつくった101枚

シングル「東京の灯よいつまでも」新川二郎 『東京の灯よいつまでも』 作詞:藤間哲郎、作曲:佐伯としを、歌:新川二郎(=新川二朗)、発売:1964年、キング。

 1964年とその前後には、「東京」の名を冠した商品が世にあふれました。大手アパレルの新作モードでは帝人の『フレッシュ東京』、東レの『モード東京』、化粧品のキャンペーン・テーマでは資生堂の『メークアップ・トーキョー』等々。歌謡曲においては吉永小百合『フレッシュ東京』、西田佐知子『東京ブルース』、ザ・ピーナッツ『ウナ・セラ・ディ東京』、坂本九『サヨナラ東京』など。そして今回採り上げる新川二郎『東京の灯よいつまでも』もその一つでした。
 こうした現象は、都市としてのステータスが上がった、世界のTOKYOだ、という自負の表れであり、また単純に東京五輪便乗の動きでもありました。
 それにしても新川のこの歌、1964年にしてはいささか古いタイプの曲調です。同じキングなら三橋美智也、他社なら三浦洸一あたりがお似合いの持ち味です。
 どこか『道頓堀行進曲』のムードを感じさせるのは、「灯」というキーワードに作曲者が意を用いたからかもしれません。しかしテンポはこっちのほうがずっと遅く、あたかもそれが東京という街のスケール、重みであるかのようです。

 私はさまざまなジャンル、いろんなタイプの曲が好きでして、その言わんとするところの是非はともかく、軍歌にも革命歌にも、カルトの愛唱歌にさえ好きな歌がいくつかあります。もちろんシンパでもなんでもないんですが。
 好きな歌というのは何かの拍子に頭から離れなくなって、エンドレスのテープのように何度も何度も繰り返されるということがありますよね。この『東京の灯よいつまでも』も、私にとってはそうした歌の一つなんです。いい按配のテンポ、メロディ、伴奏。これが鼻歌にはもってこいでして(笑)
 ビクター・東芝の低音、キングの高音というくらいで新川二郎もキーが高く、レコードと同じふうに歌いだすと「きーみーは、どぉしてェー、いるぅー」のとこで、あたしなんぞは声が出なくなる。……まぁ鼻歌ですから、テキトーにごまかしますがネ。

 東京讃歌では1948(昭和23)年10月録音、翌49年1月発売の灰田勝彦『東京の屋根の下』が随一でしょう。両者を比較すると、新しいはずの『東京の灯よいつまでも』のほうが、むしろ古い曲のように思えてきます。もちろん終戦直後に「羽田」の「ロビー」で別れる男女はいませんが、そう感じさせるような曲調は、当時、どちらかというと保守的な意識・嗜好を持った大人たちにアピールしたのではないでしょうか。空襲で焼け野原となった帝都東京が一応の復興を成し遂げた、その満足感が作詞、作曲者のマインドにあったものと拝察されます。
 二つの曲に共通する東京の地名は唯一「日比谷」だけ。今は日比谷公会堂や日比谷公園大音楽堂でライブをする歌手はいても「日比谷」を歌にする人は見当たりません。

(2009年10月6日)

2009/10/3 土曜日

018 オリンピック・マーチ

カテゴリー: わたしをつくった101枚 — eiji @ 1:31:34

わたしをつくった101枚

シングル「オリンピック・マーチ」ロイヤル・ネヴィー・バンド 『オリンピック・マーチ』 作曲:古関裕而、指揮:H.C.リーンショーテン、演奏:ロイヤル・ネヴィー・バンド、発売:1964年、ビクター(フィリップス)。

 2009年10月3日(日本時間)、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2016年夏季五輪の開催地がリオデジャネイロに決まりました。
 私は、それでよかったのだ、と思っています。日本が一番幸福だったあの15日間、あの喜びをブラジルの人々にぜひ味わっていただきたい。ブラジル経済が上向きである今だからこそ、それが相応しいのではないか。そう思うんですよ。

 1964年の東京大会。
 私の直接的体験は、マラソンの折返し地点でアベベ・ビキラをこの目で見たこと、ただそれだけでした。しかしブラウン管を通じて私は、開会式や重量あげ、陸上、体操、競泳、柔道、バレーボール、その他いろいろな競技、そしてあの閉会式をほぼ同じ日に見ることができた。これは非常にラッキーなことでした。
 日本人はあのとき紳士淑女たらんと希(ねが)い、大いに日本選手を応援しつつも、外国選手に対する賞賛の拍手を惜しみませんでした。これは子供心にも日本人の美徳であると意識されたものです。実際日本人がここまで立派に大会を成し遂げたことに対して一番驚いたのは“敗戦国日本”を見縊っていた欧米各国であり、その認識を改めさせたことに日本人誰しもが心の底で快哉を叫んだものです。
 その結果、戦前のカルト的愛国心が落ちたあとの寄る辺なき魂の空漠を、“人としての矜恃”を以て埋めることができた。東京大会の最大の収穫はまさにそこにあったと私は感じております。

 各々の競技について語ると限(きり)がありませんし、感涙でモニタの字が見えなくなりそうですから措いとくとして、ここでは10月24日の閉会式について触れておきたい。
 整然とした開会式も大いに感動しましたが、何と申しましても、あの友情に満ちた閉会式を私は終生忘れることはできないでしょう。私の人生の原点、といってもいい。「地上の平和」とはもしかしたらこういう光景なのかもしれない、そう感じさせる、たいへん素晴らしいものでした。

 各国の選手・役員全員が収まる控え室は国立競技場にはありませんから、閉会式に参加する選手団は、開会式同様、外で待機しておりました。しかも場内フィールドでは直前まで馬術競技が行なわれており、雨雲が空を覆っていたこともあって、何が予期せぬ事態が起きるのではないかと、心配する向きもあったようです。
 馬術競技自体の終了は15時47分。予定より少し早かったといいます。しかし表彰式がありますので時間的な余裕はありませんでした。
 相模湖、八王子、大磯の選手村分村にいた選手・役員らは昼過ぎからバスで出発、15時40分までに代々木選手村へいったん集合し、3グループに分けふたたびバスで明治公園円周道路へ移動。到着順に神宮絵画館前広場で待機し、16時10分、ようやく結集・整列が完了しました。
 17時、予定どおり閉会式が始まります。10月のこととて陽はもうすっかり落ちていましたが、競技場の照明が場内を真昼のように照らし出しています。
 6万5000乃至7万余名(中継アナウンスでは「7万5000名」)の大歓声と拍手・手拍子に迎えられ、これもまた開会式と同じように、古関裕而作曲のオリンピック・マーチが力強い調子で始まりました。
 すでに絵画館前の中央階段を上り、G門(青山門)前~神宮プール前~N門(マラソン門)前の道路を移動していた選手団は、千駄ヶ谷門側北ゲートからフィールド内トラック部分へ入場しました。
 開会式と違うのは、選手団の半数近くが閉会式を待たずに帰国しているため、参加94カ国の旗手だけが先に入場し、残っている各国選手団4000余名がそのあと国別に行進するという点でした。
 一列に並んだ旗手団の先頭は開会式と同じくギリシャ、しんがりは一番新しい国ザンビアに続いて、開催国日本。ここまでは整然とした行進が続いていました。そして、まもなく日の丸を掲げた福井誠選手がトラックに入ろうとしたその時です。
 外国人選手らが福井選手を肩車して登場したのです。
 それはまったくのハプニングでした。観衆がわぁっと沸きます。
 あとに続く大勢の外国人選手たちは勝手に自国の集団を離れ、めいめいが思い思いの調子でトラックを歩いています。もはや誰が誰やら、国籍も民族も杳(よう)として知れません。もちろん日本選手団だけはマジメにかたまって動いていました、胴上げされてる福井選手を除いては。
 肩を組み互いの健闘を称える者、並んで日本式のお辞儀をする者、ゼッケンのついたランニングシャツ姿で走る者、雨に備えて持参していた傘をくるくると回して踊りだす者、カメラで観客を撮る者、逆周りで歩き出す者、楽団の指揮を真似る者が現れるなど、誰も予想も想像もしていなかった展開となったのです。
 それらが悪ふざけではなく、この大会に満足し、楽しんでいる、その喜びの自然な表出、発露であろうことは、観衆にも警備担当者にもストレートに伝わっていました。そこにいた誰もが喜色満面の笑顔だったからです。
 それまで実直な語り口で生中継していたNHK福島幸雄アナウンサーでさえ、歓喜の爆発が伝染(つたわ)ったようで、おもわず相好をくずし、活舌が乱しながら、
 「そして、ニッポンのォ、福井選手がついに各国選手に胴上げされました。そして肩車、肩車をされまして、いま第2コーナーからバックストレートに入るところ」
「あっ、アフリカの選手が日本の選手団の中にいます」
とその様子を伝えています。
 乱れに乱れて、選手団がなかなか定位置に就かないので、福島アナはしまいには少し腹を立てながら「オリンピックは平和であります」と繰り返したそうです。
 ようやく選手団がフィールド内に収まっても興奮は収まりません。すでに予定は十数分遅れていました。ここで区切りをつけるかのように照明が一度落とされ、それぞれの国歌とともに順次掲揚されるギリシャ、日本、メキシコの国旗を、スポットライトが浮かび上がらせました。
 ついでIOCブランデージ会長の閉会宣言。
 350人によるオリンピック讃歌の大合唱とともに、聖火台の火が静かに落とされていきます。やがて消える炎。
 フィールド内の五輪旗とスタジアムの各国旗が降納されます。
 五輪旗は5発の礼砲が轟く中、6名に掲げられつつ南ゲートから退出しました。
 そしていよいよ閉会式の最も美しい瞬間が訪れます。
 別れの歌『蛍の光』の合唱をきっかけに、電光掲示板には、

SAYONARA

の文字が点灯しました。
 フィールを囲む女子学生たちが手にした松明をゆっくりと上下に動かし、暗闇を照らし出しています。
 どこからか選手のかたことの日本語が聞えてきます。「サッヨォーナラ!」
 『蛍の光』の演奏のテンポが速くなりました。選手団の退場です。
電光掲示板には、

WE MEET AGAIN IN
    MEXICO
  CITY   1968

のメッセージが。
 旗手、選手たちが再会を約し、肩を組み、握手を交わしながら、ゲートに向って歩いていきます。
 この日この瞬間、世界のライバルたちは真の友となり、さらにまたライバルとして相見(あいまみ)えることを誓いつつ、別れのときを迎えたのです。

 ありがとう。そしてお元気で。4年後、またメキシコ市で会いましょう。さようなら・・・

 18時18分、全選手団の退場が終了。皇族、来賓も退席され、観客が席を立ち始めたころ、場外2か所から空高く花火が打ち上げられ、大会の無事と大成功を寿いだのでした。

 18時30分すぎには観客もおおかた退場し了わり、国立競技場に静けさが戻ってきました。おなじころ新宿御苑では、担当大臣、政府要人、各国貴賓、在日大公使、IOC役員、各国役員・選手、国会議員、東京・神奈川・埼玉の知事ら約1万2000名が出席し、サヨナラパーティ(選手役員等のレセプション)が始まろうとしていました。多数の模擬店が設けられ、特設ステージでは三波春夫、坂本九、梓みちよら有名歌手が歌ったといいます。これは関係者だけが知る本当のラスト・シークエンスでしょう。

 さて、今回の『私を作った101枚』は、東京オリンピックの開会式、閉会式の選手入場行進の際に演奏された『オリンピック・マーチ』です。あの15日間の印象がこの1曲に凝縮されていて、聴くたびにその感激が鮮やかによみがえってくる、そういう曲です。
 演奏しているロイヤル・ネヴィー・バンドとはオランダ王室海軍軍楽隊のことで、1864年、時のオランダ皇帝ウィレム三世によって創設された歴史ある名門ブラスバンドとして、広く知られております。
 開会式、閉会式で実際に消防庁音楽隊・海上自衛隊音楽隊が行った演奏に較べると、気持ちテンポが遅い気がしますが、それは聴くための行進曲と行進のための行進曲の違いなのでしょう。

参考文献:
政治新聞社『オリンピックを迎える首都東京の展望』1961年2月発行 3500円

警視庁『オリンピック東京大会の警察記録』1969年11月発行 非売品
朝日新聞社『’64 東京オリンピック』1964年12月15日発行 2800円

(2009年10月3日)

 

追加記事

 というわけで、例によってSONO-COLOアワーの情報です。
 SONO-COLOアワーでは2回にわたって東京オリンピックを回顧し懐古する企画をやっております。

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SONO-COLOアワー
1982(昭和57)年10月8日放送 第44回
タイトル「オリンピアードの星は廻りて」

アバンタイトル:第11回ベルリン大会ヒトラー総統の開会宣言

a) 同ベルリン大会 ファンファーレ

1 東京オリンピック/古川緑波

b) 第15回ヘルシンキ大会 ファンファーレ~聖火~閉会式
c) 第16回メルボルン大会 ファンファーレ~聖火~閉会式
d) 第17回ローマ大会 ファンファーレ~グロンキ伊大統領開会宣言~閉会式

2 東京五輪音頭
   a) 三波春夫
   b) 三橋美智也
   c) 橋幸夫
   d) 北島三郎、畠山みどり
   e) 坂本九、ダニー飯田とパラダイス・キング

3-1 海をこえて友よきたれ/藤山一郎
3-2 この日のために/三浦洸一、安西愛子
3-3 海をこえて友よきたれ/友竹正則、ヴォーチェ・アンジェリカ
3-4 東京オリンピック音頭/橋 幸夫、市丸、松島アキラ、神楽坂浮子
3-5 海をこえて友よきたれ/藤原 良、高石かつ枝
3-6 日本ばんざい/神戸一郎、花村菊江、五月みどり、中尾 渉、唐品由美、花ノ本寿

4 バンザイ東京オリンピック/面高陽子
5 さあ!オリンピックだ/平尾昌章(=平尾昌晃)、伊藤アイコ

(ナレーション)(BGM)オリンピック・マーチ/ロイヤル・ネヴィー・バンド
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 音源に使用したのは、

日本コロムビア「東京オリンピック」パイロット万年筆「オリンピック栄光の記録 NHK録音集」

(上左)日本コロムビア発売『東京オリンピック』5枚組LPセット
(上右)パイロット万年筆発売『オリンピック栄光の記録 NHK録音集』5枚組LPセット

 『オリンピック栄光の記録』は歴代オリンピックの実況の音が貴重ですが、東京大会の閉会式については、アドリブが多かったせいか、いいとこが抜けてまして、代わりに実況を担当した福島アナの、弁明とも取れる回顧談に時間を割いています。
日本コロムビア5枚組の音も実況はすべてNHK音源となっていますが、こちらは閉会式にレコードの片面以上を充てています。

 ロッパの『東京オリンピック』は1936(昭和11)年12月、ビクターから発売されたSP盤。といえばもうお察しのことと思いますが、これは東京で開催されることが決まった第12回大会を当て込んで出されたコミック・ソングでして、歌詞には活躍が期待される選手として孫(基禎)、田島(直人)の名が登場します。B面は能勢妙子と徳山璉の『スポーツ小唄』でした。

シングル「東京五輪音頭」三波春夫シングル「東京五輪音頭」三橋美智也

(上左)『東京五輪音頭 c/w 東京五輪おどり』三波春夫 1963年8月
(上右)『東京五輪音頭』三橋美智也 c/w 『新日本音頭』北見和夫、下谷二三子、新川二郎(=新川二朗)、小野由紀子 1964 キング

シングル「東京五輪音頭」橋幸夫シングル「東京五輪音頭」坂本九

(上左)『東京五輪音頭』橋 幸夫 c/w 『東京音頭』橋幸夫、三沢あけみ 1964年 ビクター
(上右)『東京五輪音頭 c/w 前向きで行こう』坂本 九、ダニー飯田とパラダイス・キング 東芝

シングル「海をこえて友よきたれ」藤山一郎シングル「この日のために」三浦洸一、安西愛子

(上左)『海をこえて友よきたれ』藤山一郎 c/w 『栄冠』海上自衛隊東京音楽隊 東芝
(上右)『この日のために』三浦洸一、安西愛子 c/w 『東京オリンピック音頭』橋 幸夫、市丸、松島アキラ、神楽坂浮子 1962年 ビクター

 『海をこえて友よきたれ』はNHK制作の「東京オリンピックの歌」で各社競作となりました。
藤山一郎盤のB面はレイモンド服部作編曲の行進曲『栄冠』。東京オリンピック前夜祭のために作ったとの作者ご本人の一文が掲載されています。歌手藤山一郎と作曲者レイモンド服部の楽曲が東芝からリリースされたというところに意外感があります。

シングル「海をこえて友よきたれ」友竹正則シングル「海をこえて友よきたれ」藤原良、高石かつ枝

(上左)『海をこえて友よきたれ』友竹正則、ヴォーチェ・アンジェリカ c/w 『東京五輪音頭』三橋美智也 キング
(上右)『海をこえて友よきたれ』藤原 良、高石かつ枝 c/w 『東京五輪音頭』北島三郎、畠山みどり 1963年6月 日本コロムビア

シングル「日本ばんざい」神戸一郎、花村菊江、ほかソノシート「バンザイ東京オリンピック」面高陽子

(上左)『日本ばんざい』神戸一郎、花村菊江、五月みどり、中尾 渉、唐品由美、花ノ本寿 c/w 『日の丸あげて』藤原 良、高石かつ枝、青山和子、草野士郎 1963年2月 日本コロムビア
(上右)ソノシート『バンザイ東京オリンピック』面高陽子 c/w 『日の丸あげて』藤原 良、高石かつ枝、青山和子、草野士郎

 『バンザイ東京オリンピック』は日本コロンビアの電機製品を購入し協賛カードを送付した人に進呈されたソノシート。
 当時、同社はオリンピック資金調達を行っていた財団法人東京オリンピック資金財団の協賛会員で「われわれの手で世界に誇れる大会を完成しよう」運動を推進しており、売り上げから財団へ寄付をし、購入者にこのソノシートと抽選券を渡していたそうです。
 またこの曲は日本コロムビアの童謡シリーズ「コロちゃん」の系列として、シングル盤も発売されていて、そのB面はコロムビア児童合唱団『オリンピックはすてきだな』でした。

(下左) シングル盤のレーベル『オリンピックはすてきだな』コロムビア児童合唱団 1963年4月 日本コロムビア
(下右)『さあ!オリンピックだ』平尾昌章(=平尾昌晃)、伊藤アイコ c/w 『思い出の泉』伊藤アイコ 1964年 ビクター

シングルのレーベル部分「オリンピックはすてきだな」コロムビア児童合唱団 シングル「さあ!オリンピックだ」平尾昌章、伊藤アイコ

 平尾昌章、伊藤アイコの『さあ!オリンピックだ』は井田誠一・作詞、いずみ・たく作編曲。B面の『思い出の泉』はローマでの恋を歌っています。

 

 以上の第44回から1回おいた第46回に、ふたたび東京オリンピックを取り上げました。この回では思い出の名シーンと閉会式の感動がテーマです。

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SONO-COLOアワー
1982(昭和57)年10月22日放送 第46回
タイトル「さらばTOKYO 聖火来り去る」

アバンタイトル (アナ中継)「フィールドに・・・その幕を閉じたのであります」

1 フレッシュ東京/吉永小百合

a) 東京大会 バレーボール女子 リーグ決勝 日本対ソビエト
b) (インタビュー)河西昌枝
c) 東京大会 水泳女子 100m決勝 田中聡子
d) 東京大会 体操女子 床運動 ベラ・チャスラフスカ

(BGM) 映画『東京オリンピック』(作曲:黛敏郎)
(セリフ) 大映『セックスチェック 第二の性』より 安田道代(=大楠道代)、緒形 拳

(ドキュメント)マラソン折返し地点が設けられた東京都調布市の本田嘉一郎市長

(M) サヨナラ東京/坂本 九

2 GOLDEN PAVILION (KINKAKUJI) /NORRIE PARAMOR’S STRINGS & ORCHESTRA

e) 東京大会 閉会式実況

(M) 蛍の光
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シングル「フレッシュ東京」吉永小百合記念ホノシート『感激の東京オリンピック』

(上左)『フレッシュ東京』吉永小百合 1964年2月 ビクター
(上右)記念ホノシート『感激の東京オリンピック』

記念ホノシート『感激の東京オリンピック』
企画・松下電器
 TBSラジオ実況放送に、芥川隆行の語りをミキシングしたもので、ソノシート1枚に、開会式、重量あげ、レスリング、体操競技、マラソン、ボクシング、バレーボール、閉会式をコンパクトにまとめています。何といっても芥川の語りが絶品で、たしかこの回の放送のラスト「蛍の光」部分の音源はこれから採ったように記憶しています。

カルピス食品株式会社『カルピス オリンピック ハイライト ソノシート』調布市「'64年の想い出」

(上)カルピス食品株式会社『カルピス オリンピック ハイライト ソノシート』1964年10月
 ソノシート5枚組で、金具を使わず折っただけの紙ジャケットが異色です。
 記述によると、カルピスは選手村で提供され各国選手に愛飲されたとか。
 音源提供は日本民間放送連盟。開会式、閉会式の音源はTBSとなっています。

(上右)『調布市政10周年記念ソノシート』レーベル部分
制作:日本コロムビア
‘64年の想い出
  NHK実況放送より 開会式、マラソン競技
その日の想い出
  調布市長 本田嘉一郎

 思い出の名シーンでは、柔道無差別級ヘーシンク対神永、重量あげフェザー級三宅、男子種目別つり輪早田、マラソン円谷、棒高跳びハンセン、男子100mヘイズ、などなど、時間の都合で割愛せざるをえなかったのが残念でした。

(上)米輸入盤LP『IN TOKYO-IN LOVE』 NORRIE PARAMOR’ S STRINGS & ORCHESTRA WITH THE VOICE PATRICIA CLARCK
キャピトル・レコードのノリー・パラマー楽団。いわゆるイージー・リスニングで、強いていえばネルソン・リドルの系列でしょうか。
パラマーはこれ以前に2枚(THE STREET OF TOKYO, RAINY NIGHT IN TOKYO)、日本をテーマにしたアルバムを出してるのですが、どうしてもエキゾチ(シ)ズムのフィルターがかかってしまうようです。収録曲には歌謡曲も含まれてまして、このアルバムでは『黒い花びら』『黄昏のビギン』『上を向いて歩こう』『可愛いめんどりが歌った』など、当時、キャピトルが契約していた東芝の曲を演ってます。
 ちなみに金閣寺をイメージした『GOLDEN PAVILION』はパラマー自身の作品です。“外人選手が日本に対して抱いたイメージ”はこんなんではなかったか、ということでチョイスいたしました。

開会式楽曲クレジット:
君が代
オリンピック序曲 作曲:團伊玖磨
電子音楽 作曲:黛敏郎
<選手入場行進曲>
  オリンピック・マーチ 作曲:古関裕而
  後甲板にて 作曲:ケネス・アルフォード
  海を越える握手 作曲:スーザ
  サンブルとミューズ(サンブル・エ・ミューズ連隊) 作曲:ジーン・ロベール・ブランケット
  祝典行進曲 作曲:團伊玖磨
  剣と槍 作曲:H.シュタルケ
  交響曲第9番 作曲:ベートーヴェン
オリンピック東京大会ファンファーレ 作曲:今井光也
オリンピック讃歌 作詞:カ・パラマ(カ・パイアマ)、作曲:スピロ・サマラ、編曲:古関裕而、訳詞:野上 彰
オリンピック東京大会讃歌(A) 作詞:佐藤春夫、作曲:清水 修

閉会式楽曲クレジット:
電子音楽 作曲:黛敏郎
<選手入場行進曲>
  オリンピック・マーチ 作曲:古関裕而
  旧友 作曲:タイケ
  後甲板にて 作曲:ケネス・アルフォード
  海を越える握手 作曲:スーザ
  サンブルとミューズ(サンブル・エ・ミューズ連隊) 作曲:ジーン・ロベール・ブランケットオリンピック東京大会ファンファーレ 作曲:今井光也
オリンピック東京大会讃歌(B) 作詞:西条八十、作曲:小倉 朗
オリンピック讃歌 作詞:カ・パラマ(カ・パイアマ)、作曲:スピロ・サマラ、編曲:古関裕而、訳詞:野上 彰
鼓隊マーチ 作曲:須摩洋朔
ギリシャ国歌
君が代
メキシコ国歌
蛍の光

 この2回の東京大会の特集で使わなかった音源も多数ありました。
 参考のために以下に列挙しておきたいと思います。

『月刊朝日ソノラマ』1963年10月号シングル「オリンピックを讃えて」陸上自衛隊中央音楽隊

(上左)『月刊朝日ソノラマ』1963年10月号(No.46)
巻頭特集「オリンピックまであと一年」
(文)山口瞳の「江分利満氏のオリンピック論」
(写真)聖火台の点火実験、銀座4丁目付近の地下鉄工事現場、ほぼ完成した高速4号線千駄ヶ谷付近

(上右)シングル盤『オリンピックを讃えて』作曲:須摩洋朔、演奏:陸上自衛隊中央音楽隊1962年 キング
 須摩洋朔(すま・ようさく)は戦前の陸軍軍楽隊のころから活躍していた、有名な作編曲家・トロンボーン奏者。

明星1964年10月号付録ソノシートの台紙テイチク・フォノグラフ『東京オリンピック'64』

(上左)明星1964年10月号付録ソノシートの台紙
 これにオレンジ色のソノシート1枚が付いています。曲は橋幸夫の『みんなの旗』と『人間みな同じ』。作詞は両曲とも川内康範で、「白地は正義だ」なんてあるのでさすが康範先生、右翼チックだなんて思ったら君が代の「君はみんなをさしている」と案外バランスをとってたり。

(上右)テイチク・フォノグラフ『東京オリンピック’64』
NHK実況放送からトータル1時間分を収録したソノシート4枚組。写真多数。発行日は不明。

日本WHO協会『オリンピック讃歌』朝日ソノラマ『東京オリンピック』

(上左)日本WHO協会『オリンピック讃歌』ソノシート1枚
 作詞:パラマ、作曲:サマラ、訳詞:野上 彰の『オリンピック讃歌』が収められています。

(上右)朝日ソノラマ『東京オリンピック』
 NHKラジオ実況放送による音の記録。ソノシート3枚。
 こうしてみてみると、テレビの実況中継の音声を使ったレコード、ソノシートがありません。テレビの実況はやはり画像中心ということで、アナがあまりしゃべらなかったようです。

『月刊朝日ソノラマ』1963年11月号『毎日グラフ 別冊1965年1月号<12人の魔女>』付録

(上左)『月刊朝日ソノラマ』1963年11月号(No.59)
 巻頭特集「オリンピックが変えた東京」

(上右)『毎日グラフ 別冊1965年1月号<12人の魔女>』付録
 12人の魔女 勝利の声
 五輪優勝の瞬間、表彰式、大松監督の声、涙にむせぶ魔女たち
 企画:毎日グラフ編集部
 資料提供:民放連オリンピックラジオ放送本部
 制作:ニッポン・エコー

(2009年10月3日)

 

追加記事

 資料室を調べてたら、後からこんなものが見つかりました(写真:クリックで拡大)。

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(上左)アサヒグラフ 1964年10月2日号 80円
    『オリンピック選手村ひらく』
     74万7450平方メートルの代々木ワシントンハイツが1963年12月に米軍から返還され、11億円をかけた突貫工事の末ついに完成した選手村。記事では9月15日にオープンした代々木本村を紹介しています。
    ほか、韓国選手団受け入れ準備のため来日した孫基禎氏の記事。
    五輪関連以外では、国連のロビー活動を取材した『国連ロビーの外交官たち』、アメリカの超小型電気自動車ランブル・シート、輸出用カナリヤの飼育を始めた閉山炭鉱の人たち、電子ビームの微細加工技術、新幹線No.1号切符入手者、建築制限の新大阪駅周辺、失敗に終ったベトナム9月13日ラム・バンパト准将のクーデター、など。

(上右)アサヒグラフ 1964年10月16日号
    『栄冠へ精鋭つどう・代々木選手村の生活』
    表紙写真:女子100メートル背泳クリスチーヌ・キャロン(仏)
    各国有名選手のようす、日本選手団結団式、「金メダルは15個以上を 日本の優勝予想」、開幕を待つ選手村、外人観光客を一般家庭が受け入れる「民泊」、等の記事。
    五輪以外では「門出 結婚の儀をおえられて 常陸宮両殿下」、」「創傷外科の進歩」「森英恵 歌謡曲『氷雪の門』のために」、「“新名所”岐阜羽島駅」など。

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(上左)アサヒグラフ 1964年10月23日号
    『オリンピック東京大会開く』
    開会式、重量あげ、飛板飛込み、競泳男子100メートル自由形、ボート、近代五種、バレーボール、バスケット、レストング、
    「後半戦を占う メダルはいくつ日本の手に」、「後半の見どころ 体操、柔道」バレーボール、女子80メートル障害」、「本誌記者座談会 各国選手見たまま」等の記事。
    「善意通訳 マミちゃん」というルポがあり何だろうと思い、よく読んでみたら、今でいう民間ボランティアの通訳のことでした。

(上右)アサヒグラフ 1964年10月30日号
    『速報 東京オリンピック』
    男子体操規定、男子砲丸投げ、女子五種競技、男子800メートル決勝、棒高とび、女子100メートル決勝、男子100メートル決勝、20キロ競歩、女子走幅とび、女子バレー、重量あげ、レスリング(フリースタイル)、競泳女子100メートル自由形決勝、サッカー予選リーグ、男子1万メートル、バスケットボール、女子100メートル背泳決勝、男子100メートル背泳決勝、飛込み、海路で来日した五輪見物客、等の記事。
    五輪以外では「三人乗り宇宙船 ウォスホート無事帰還」の話題。

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(上左)アサヒグラフ 1964年11月6日号
    『東京オリンピック終る』
    表紙写真:女子バレー涙の表彰式
    巻頭の特集は「池田首相辞任」。
    五輪記事では女子バレーチーム、外国人選手たち、マラソン、女子80メートル障害の依田郁子、体操女子規定、総合馬術耐久レース、ヨット、男子体操6種目、柔道、フルがリア選手が選手村で神前結婚式を挙げた等の話題。
    外国人選手らが東京の街を見物した、外国人観光客が目立っている、というので、記事タイトルは「あふれる国際色 東京の十月」。なんかほほえましいですね。
    アサヒグラフはこの時期、増刊『東京オリンピック』280円を発行しています。

(上右)日本書籍出版協会発行『世界各国オリンピックポスター集』250円
    付・開催地の記念切手一覧
    亀倉雄策デザインの有名な公式ポスターはじめ歴代オリンピックのポスター(縮刷版)を集めたもの。これは貴重です。

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(上左)わせだ書房発行、東龍太郎著『オリンピック』1962(昭和37)年5月17日初版の箱。
(上右)中の本。
時の東京都知事の著作となっていますが、近代オリンピックの歴史と理念に関わる部分はライターの書いたものではないかと考えられます。また関係者の寄稿『オリンピック余話』にもかなりの紙数が割かれています。
この本は発行年の翌年の成人式で、新成人に配布されたようですね。

(2009年10月5日)

 

<追記>

カクテルの辞典を披くとたいてい載ってるんですけど、東京オリンピック記念のカクテルが存在します。
名前は『マイ東京』(MY TOKYO)。
オリンピック開催記念のコンクールで優勝した作品で、考案者は大阪の上田芳明氏。
実はだいぶ前に私はバーテンダーさんにこのカクテルを作ってもらい、飲んだことがありました。
ウイスキーベースということで、けっこうクラッときます。

(2009年10月17日)

2009/9/23 水曜日

017 お嫁さん

カテゴリー: わたしをつくった101枚 — eiji @ 2:30:05

わたしをつくった101枚

LP「新妻に捧げる歌」 『お嫁さん』 作詞:岩谷時子、作曲:宮川 泰、編曲:森岡賢一郎、歌:梓みちよ、発売:1967年、キング。

 思い返せばあのころのテレビはなんとも切ないものでした。普通一家に1台しかない。2台目は1台目が壊れて、修理するより新しいのにしようとなって初めて購入されるのでありまして、一家に2台あるなんてちょっと考えられない時代でした。
 父親がいる日曜日の夜は、私の好みに関わりなく、当然のごとくNHKの大河ドラマにチャンネルを回さ
れてしまい、
『太閤記』は見るが『青春とは何だ』は見られない、
『源義経』は見るが『これが青春だ』や『泣いてたまるか』は見られない、
『三姉妹』は見るが『でっかい青春』は見られない、
『竜馬が行く』は見るが『進め青春』は見られない、
『天と地と』は見るが『コント55号裏番組をぶっ飛ばせ』は野球拳の終わりごろしか見られない、
といった悲しい休日が長らく続いたのでした。

 大河ドラマの土曜日の再放送がいつから行なわれるようになったかは知りませんがとにかく再放送はあったし、日テレの青春ドラマも後年再放送してたので見る機会は確かにあった。しかし当時、生が当たり前だったバラエティなどは、もう二度と見ることはないわけですね。オンエアの時間にテレビの前に正座しててもチャンネルを合わせられなけりゃもう終り、一期一会が叶わない、その一回性の儚(はかな)さ、忸怩たる思いといったものがこの齢(トシ)になっても頭から離れない。なんとも切なく、うっすらと哀しいんです。

 親たちが見たい番組が終っても、じゃぁ見れるかというとそうは問屋がおろさない。いわく「電気代がもったいない」「もう晩いから寝ろ」「子供が見る番組じゃない」「テレビばっかり見てるとバカんなるぞ」。いろいろと言われてスゴスゴと布団に入ることが多かった。
 例えば1966(昭和41)年の秋の水曜日、午後8時からフジテレビで『銭形平次』をやってて、それを親が見ていた。番組が終って9時を過ぎると『お嫁さん』という30分のホームドラマが始まります。これがなかなか面白そうな内容で、子供でも見たくなる。ところが「早く寝ろ」ということになる。だからテーマソングだけ覚えていて、ドラマの内容は見てませんから当然記憶にないわけです。

 今回の歌はその『お嫁さん』という番組の同名主題歌なんですけどね。私同様、『ドラマの内容は覚えていないが、テーマソングは良く覚えている』という人が多いのは、もしかしたら同じような体験をしたから、なのかもしれません。
 このドラマは1966(昭和41)年6月1日から1970(昭和45)年3月25日まで放送され、7つのシリーズが作られたそうですが、たぶん私が丸々見ることができたのは1、2回程度だったと思われます。ですからドラマ体験としてはゼロに近い。何も語る資格はないんです。
 第1シリーズが日活青春路線の西川克己、第2シリーズ以降は松竹花嫁シリーズの番匠義彰らが監督している点が映画好きには興味のあるところです。主題歌編曲と劇伴作曲の担当者、すなわち音楽担当も制作会社変更に合わせて同じく第1と第2以降で替わってまして(例えば音楽担当の牧野由多可は番匠監督の映画でも常連でした)、映画で云えば舟橋和郎の列車シリーズやドリフターズの映画が会社をまたいで続いたのと似ています。

 ドラマの詳細については以下のリンク先をご参照ください。

 さて、本題の『お嫁さん』という歌についてですが、
 私が常々申し上げております「歌からその時代の空気を感じ取る」という「三昧行」におきまして、この歌は、戦後の最も幸福な時代のホンワカ・ムードと、当時の大多数の国民の“家庭”に対する漠然とした理想像を感じ取るための、まさにうってつけの楽曲であります。どうしても人間的に困った部分を描かなければならず、無理にでも波風を立てなければ成立しえないドラマを観るより、直截に提示している主題歌を聴いて、その空気に浸ったほうが話が早いことは確かです。

 メロディのキモは冒頭「わからないの」の「いぃの」の部分。これは女性が好きな男性に甘えるときの「ンン~モウゥ!ツネッちゃうから」の「ンン~」に相当するものでして、私はこれを「甘えこぶし」なんぞと命(なづけ)ております(笑)。
 プレスリーが『冷たくしないで』で発する「ン~ン」や、ブロンソンの「ン~ン、マンダム」、猫がゴロニャ~ンと喉を鳴らすも同類です。
 これは節というくらいで、口をすぼめて歌う小唄・端唄の節と一脈通ずる構造ではありますね。昭和40年代前半の歌謡曲では特に女性歌手がそういう日本調の節回しを採りいれる傾向が見られました。

 またお琴の♪タラランという音色にも似ています。
 メロディ、歌唱テクニックという点から挙げていけば、
西郷輝彦『星のフラメンコ』の「好きなんだけど」の「んンだけ」の部分
ピンキーとキラーズ『七色のしあわせ』の「七色の」の「いろォの」の部分
デビー・ドヴェイル(Debbie Dovale)『ヘイ・ラヴァー』(Hey Lover)のイントロ部分。これは「わからないの教えて」とほぼ同じ。
 節回しを少し伸ばした例では、
ヴィレッジ・シンガーズ『バラ色の雲』の「いろのくも」の部分。これは時代がずっと降って『世界中の誰よりきっと』の「かいじゅう」の部分にも現れています。
 すなわち、この節回しは抑揚の少ない日本語において、強調したい部分を少し力んで発音した時の調子に他ならないのであって(斉藤清六がよくやってた、あのしゃべり方です)、そこに女性的なお色気が入るとそれが「甘えこぶし」となると、私はそう考えております。
 「わからないの」とダダをこねるように甘えておいて、さらに波状攻撃的に「教えて」と被せる。その実体は甘えながらの命令であり、優しすぎる気弱な夫はこうして徐々に馴致(じゅんち)されてまいります。
 「いけない時 叱ってね」とは奥村チヨの「悪い時はどうぞぶってね」に先立つことおよそ3箇年の先行的事例ではありますが、真に受けてホントに叱るとタイヘンなことになりますので、これはよほど注意しないといけません。

シングル「恋のダンダン」美川サチ 楽曲『お嫁さん』を語る際にはぜひとも言及したいと思っていたレコードがあります。
 1968(昭和43)年4月にテイチク(ユニオンレコード)から発売された美川サチの『恋のダンダン』(右)。歌詞カードのクレジット=作詞:有馬三恵子、作・編曲:泉剛。レコードレーベルのクレジット=作詞:有馬三恵子、作曲:中村泰士、編曲:早川博二。
 特に『お嫁さん』に似てるわけではありませんが、あの時代の幸せいっぱいのムードがよく出ている歌で、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」的な共通性があります。
 美川サチはどちらかというとハスキーボイスの人でして、詞の「愛しちゃおうかな」という部分を「おォうかなァン」というふうにヘビーな「甘えこぶし」で歌っております。しかしいやらしい感じはなく却って当時のフツーの女の子の雰囲気が醸し出されていて、これがたいへんよろしい。
 サビがゴーゴーのリズムになるところは『お嫁さん』からわずか2年の間に起きた世の中の変化を感じさせます。
 この曲のイントロ部分は、ドリフターズも歌った昭和12年7月発売の灰田勝彦『真っ赤な封筒』――なぜかアラビア風で始まるコミックソングなのですが――、その「今日もあの娘(こ)から」のメロディに「甘えこぶし」をつけて弾くとアーラ不思議『恋のダンダン』のイントロになってしまうのです。

 ところで、私は梓みちよが歌った『お嫁さん』のシングル盤(キッスして c/w お嫁さん 歌:梓みちよ キング BS-579 定価330円)をなぜか今も持っていません。
 まだ番組が放送していた1970年にはもうレコード店に置いてなかった。当時通っていた中古レコード屋の新宿トガワや有楽町のハンターあたりでもついぞ見かけなかったので、この曲を含むレコードが出ないものかとチェックをしていたところ、1974年、キングレコードが発売したLP『新妻に捧げる歌』に入ってることが判りさっそく入手した、という経緯があります。それが冒頭に掲げたレコードで、内容は、

Side A
  新妻に捧げる歌/江利チエミ
  ここに幸あり/大津美子
  忘れな草をあなたに/倍賞千恵子
  お嫁さん/梓みちよ
  愛のおくりもの/ビリー・バンバン
  希望/岸洋子
Side B
  世界は二人のために/ポニー・ジャックス
  愛の讃歌/ペギー葉山
  幸せなら手をたたこう/ポニー・ジャックス
  かあさんの歌/倍賞千恵子
  ゴンドラの歌/ポニー・ジャックス
  夜明けの歌/岸洋子

の全12曲。
 結婚式で歌われそうな曲のオムニバスですから『フェニックス・ハネムーン』が入ってそうなもんですが、あれはデューク・エイセスが東芝音工から放ったヒット曲ですから、キングとしては音源もないということだったんでしょう。
 ちなみに今年(2009年)9月21日、フジテレビで放送された『いま聴きたいHEY!HEY!HEY!名曲スペシャル!!』が選んだ「ウェディングソング名曲集」は、

  てんとう虫のサンバ/チェリッシュ
  青春の影/チューリップ
  未来予想図II/DREAMS COME TRUE
  CAN YOU CELEBRATE?/安室奈美恵
  ハッピー サマー ウェディング/モーニング娘。
  Best Friend/Kiroro
  Story/AI
  永遠(とわ)にともに/コブクロ

という選曲でした。『花嫁』『お嫁サンバ』はもう圏外、イエ記憶の彼方でしょうか。

 ざっくりとした印象では、結果の出てない恋愛の最中の歌は別として、昔の歌謡曲では別れの歌が多く、今のJ-POPでは恋の成就する歌が多いという気がします。もちろん数えたわけじゃないんですが。良い傾向じゃないでしょうかね。
 ただ実際問題としては、昔の夫婦は世間体や生活のことを考えてなかなか離婚せず、今の人たちはパッと別れちゃう、これはだいたいそうでしょう。

シングル「結婚」伊東ゆかりシングル盤「5年目の破局」ヒロシ&キーボー

(上左)結婚/伊東ゆかり 作詞:山上路夫、作曲:宮川 泰、編曲:服部克久 1970年キング
(上右)5年目の破局/ヒロシ&キーボー 作詞・作曲:佐々木勉、編曲:桜庭伸幸 1983年RVC

シングル「離婚」白川奈美シングル盤「再婚子守唄」しあわせコンビ 輝とのぶ子

(上右)離婚/白川奈美 作詞:神坂 薫、作曲:森田公一、編曲:森岡賢一郎 1973年ワーナー・パイオニア
(上左)再婚子守唄/しあわせコンビ 輝とのぶ子 作詞・作曲:遠藤実、編曲:牧野昭一 1970年ミノルフォン

 もう15年くらい前になりますが、某芸能事務所の若い社長から結婚式の引き出物にしたいので、結婚に関する歌とドキュメントを編集してテープを作ってくれと言われたことがありました。北山修が加藤和彦と福井ミカ(本名:福井光子)の結婚祝いとして、二人の愛情が冷めてしまったという内容の『あの素晴しい愛をもう一度』を贈った故事にならい、最後に『ウェディング・ベル・ブルース』(ローラ・ニーロではなくフィフス・ディメンションのバージョン)を入れましたところ、招待されないどころかギャラさえ貰えなかった、なんて笑えない結末になってしまいました。

今もし選曲するとしたら、

   愛の設計(When We Get Married)/1910フルーツガム・カンパニー(1910 Fruitgum Company) ※ビートルズ+スペクターサウンド
  求婚(プロポーズ)/湯原昌幸
  嫁ゆかば/立花京子、ジ・アイドルス
  愛のチャペル(Chapel Of Love)/ザ・ディキシー・カップス(The Dexie Cups)
  涙のウエディング・ベル(The Wedding)/ジュリー・ロジャース(Julie Rogers) ※トニー・ダララ(伊)「ラ・ノヴィア」(泣きぬれて)の英語版
  泣いてもほっといてわたしゃ嫁っこ/桂桂子
  Goodbye Dad/Castle Sisters
  Rock And Roll Wedding/Ella Mae Morse
  花嫁双六/橋本一郎、喜代丸
  I Wish That We Were Married/Ronnie & The Hi-Lites
  ウェディング・ソング(There Is Love)/ノエル・ポール・ストゥーキー
  誓いのウェディング・リング/ダーク・ダックス
  WILL YOU MARRY ME?/高橋由美子
  大安吉日/野路由紀子
  大安吉日/パル
  Wedding Bells/Piccadilly Circus
  Wedding Bell・Holy Night/ふきのとう ※二番目に好きな彼氏と結婚する内容
  花嫁行進曲/音丸

とかですかね。

シングル「涙のウェヂング・マーチ」リトル・ペギー・マーチ こうなると、ウェディング・マーチ(メンデルスゾーン、あるいはワーグナーの結婚行進曲)の“さわり”が入ってる曲も入れておきたくなります。このテの曲には、好きな人が結婚しちゃってガッカリ、愛ちゃんは太郎の嫁ンなる、結婚するって本当ですか、というタイプのものも含まれるので、そういう洒落の分かる御仁でないと、またくたびれ儲けになってしまいそうです。

  (上)涙のウェディング・マーチ(The Impossible Happened)/リトル・ペギー・マーチ(Little Peggy March)
  ダウン・ジ・エイルズ・オブ・ラブ(Down The Aisle Of Love)/クイン・トーンズ( Quin-Tones)
  ダム・ダム・ディー・ダム(Dum Dum Dee Dum)/ジョニー・シンバル(Johnny Cymbal)
  ウォーキング・ザ・ドッグ(Walking the Dog )/ルーファス・トーマス(Rufus Thomas)
  The Hideaway/The Young Generstion ←この後には類似曲調の「トラヴェリン・マン」、牧葉ユミ「冒険」と繋ぎたいところ
  Invitation To A Wedding/Barbara Jackson
  恋のハプニング(Worse That Could Happen)/ブルックリン・ブリッジ(Brooklyn Bridge)
  恋のハプニング~ウェディング・ベル・ブルース/フィフス・ディメンション ←フィフスのメドレーVer.にもウェディング・マーチが入ってます。
  出会えてよかった/トモとスザンヌ ※『クイズ!ヘキサゴンII』から

音楽だけでなく、映画・テレビドラマのセリフ、ドキュメント音声も入れておきましょう。
『花嫁の父』(Father of Bdide)、小津では『秋日和』『晩春』なんかはマストです。

「だけどそりゃ違う、そんなもんじゃないさ。結婚することが幸せなんじゃない。新しい夫婦が新しい一つの人生作り上げていくことに幸せがあるんだよ。それでこそ初めて本当の夫婦になれるんだよ」
「すいませんでした、いろいろわがまま言ってご心配かけて」「いいのよ、あんたさえ幸せになってくれればそれでいいのよ」
「長い間いろいろお世話になりました」「幸せに。いい奥さんになるんだよ。幸せになるんだよ。いい奥さんに」「えぇ」「さぁ、行こうか」

 ね? こういうのです。

「今日は日が好いのかな。大安だな。新婚ずいぶんいるじゃないか。でもきれいな嫁さんなんていないもんだな。お前さっきの見たかい?」

 これも小津。
 『喜びも悲しみも幾年月』から、「すぐ見合いをして、すぐ結婚式をして、今夜は二人だけの最初の晩だよ。別れないでいこうね」なんてセリフもいいですね。
 こういうのはいくらでも出てくる。以下、いちいち題名は挙げませんが、分かる人には分かるでしょう。

(電車の通過音)「えっ? どうして私だけなの?」「君が好きなんだよ」「え?」「君が好きだって言ってんだよー!」
「怪獣ドリゴラスは姿を消したメスの怪獣ドリゴンを必死に探した」
(乾杯の音)「じゃ今日から君は僕の妻だ。後悔しないね?」「ヤーネ、あなたこそ後悔しないでね」
「じゃおやすみのキスして」「おやすみ……」「五郎ちゃんて親切ね」「当たり前だよこれくらい」「結婚しても変わらない?」「もっともっと親切にするよ、本当だよ」「うれしいわ、今度こそ本当におやすみ」
(雷鳴)「僕のものになってくれ。もう待てなくなったんだ」「いけないわ」「何がいけないんだ?」「だって私たち結婚するまで絶対純潔でいる約束だったわ……ひどいわ愛してないなんて。いや、いやよ」
「あたし本当はとても家庭的な女なの。理想的な世話女房になる自信が……私と結婚して!」「話し合いましょうね。話し合いましょうね、だんだんね」
「どうしても結婚までは純潔でいたかったんです、叔母さん、こういう考え方は古いんでしょうか?」「いいえ、こういうことは古い新しいの問題じゃありません。あなたのとった態度は正しいんですよ」
「永すぎる春は感心しない。違いますか?」
「お前様はどうして嫁を取らないんですか」「仏の道に惚れています」「お坊さんだって人間です。なぜ…」「女が修行の邪魔に」「そんなに女が恐いんですか」「恐いです」
「女は誰でも好きな人のゲバルトを待ってるのよ。しっかりしてね」
「ではただいまから婚約準備体操をする。(ホイッスル)♪ピッ、ピーピ、ピッピッピッ…」
(ファンファーレ)「お昼の集団見合いショーです」
「君はこの僕を愛してなんかいない。君が愛してるのは結婚だよ」「女にとって結婚は最大の事業よ。その基礎となるセックスも大事よ。そういう意味では私、大いにセックスに興味があるの」
「俺たちまだナマの愛を確かめ合ってないよな? 愛をエネルギーに変えるには勇気がいるんだよ。俺たちきっと寝なくちゃならない。そういう曲り角に来ていると思うんだ。もっとダイナミックでなきゃぁ」
「だけどね時代は変わったねぇ、みんなに白い目で見られてねぇ。しかし今じゃ健康な恋愛だったら誰も咎めるものはいませんからね」
「アハハハ、近ごろの若いもんには敵わんね。僕たちのころには見合から交際、結婚までにはずいぶん時間がかかったもんだがね」
「本当にこのごろの若い人たちは幸福でございますわね。恋愛から結婚へまっすぐ飛び込めるなんて、人生でこんな幸せはないと思いますわ」
「ずいぶんあちこちで縁談お申し込みがあるそうだが」「手内職でもって我が口一つ養えぬ素浪人が妻帯のどうのと」
「あたしはいいの。あたしは独りで暮らすように生れついてるのかもしれない」
「これはかつらの木なんですけどね、愛染かつらと云われて……」
「ここに書いてあるのが君のお婿さんになる人の条件か……ウ~ン」
「月給3万円以上。お姑さんのいないこと。貰ってくれさえすれば大抵のことは我慢するわ。売れ残るよりいいもんね」
「狼が一夫一婦制ってご存知? 片方が死ぬと片方は一生再婚しないんですって」「狼って純情ね」「ステキだわァ!」
「諸君のうちボクと結婚したい人?」「ハーイ」「みんな落第だ」「えーっ」
「うーん、結婚生活というのはすごく難しいということをよく知っとりますのでよっぽど自信がないとできないなぁと思います」
「私に縁談なのよ」「縁談!?」「面倒くさいったらありゃしない」「いやなら断わればいいんでしょ?」「でももしかして相手の人が素敵な人だったら損しちゃうからお見合いだけはしなくっちゃね」「そういうもんですかね」
「弱ったなぁ。お見合いは男のほうから話すのが礼儀。なに言ったらいいのかなぁ」「家族関係なぞいかがでしょう」「そりゃいいや、それでいこ、それでいこ」
「あたし今日お見合いしてきたの。でも詰まんない人。……女ってねぇ、どんな立派な人でもスープの飲み方ひとつでその人を軽蔑しちゃうもんよ」「恐いですねぇ、飲めなくなっちゃった」
「♪ああーわっからないわっからないよ、恋人の心がね、白か黒かわからない~♪」
「チョイと、野暮はいけないよ。当たり外れは浮世の習い。だって男心も女心もそうじゃないか」
「男女の仲も戦場(いくさば)と心得てこそ最後の勝利が得られるのでございます」
「あなたは努力しないと僕を愛してくれないんですか? あー焼酎!」
「私あなたとなら幸せになれそうな気がするのよ。でもあなたはそうでもないのね」
「ね、北川さん、飲みなさいよ……ね、北川さん、私と結婚して」「……」「そ、わかったよ、やっぱりあの娘が好きなのね!」
「あなた何か思い違いなさってるんじゃございません? 女はいつまでも待ってるものとお思いになって?」
「オレは嘘の言えぬ男だ。俺はそちがなぜかあきらめきれぬ」「それは無駄でございます……いいえ、それはなりませぬ……夫がございます……な、なにをなさいますっ」
「奥さんくたばっちゃって、、、うまく結婚しちゃおうと思うの、、、でもイカポンの娘が」
「愛しちゃう? 君、強烈な表現使うんだね。ボクまけそ」「おじさま若ァ~い」
「だいたい人間なんて錯覚の動物なんだからスキスキって言ってれば好きに、キライキライって言ってれば嫌いになる。そういうもんだよ」
「女ってね、大きな愛情より小さな愛情のほうがいいの。俺について来いって言葉が聞きたいの。たとえ不幸になったっていいのよ」
「君は手鍋提げてもお嫁に行くほうかい?」「ええ」「幸せな人だなぁ」
「いくつになったね?」「23です。お宅のリエさんと同じです」「娘を知っているのかね」「リエは恋愛に純粋なんです。私なんか貧乏ですから経済力のない人はダメなんです」「手鍋提げてもっていうじゃないか。君たちが恋愛しなくて誰がする」「私、次長さんみたいな方なら恋愛してもいいわ」「え?」「ウフフ、冗談です」
「昔の人はいいこと言ったな、『昔はものを思はざりけり』」「なんだ百人一首の恋歌じゃないか」「あぁ文学は偉大だ。恋ってやつだ。男と女が互いに好き合うってことだよ。恋愛だ」
「女の大いなる野望とは男に愛を吹き込むことである。モリエールの言葉だよ」
「おばさん」「なんだい?」「女の人はよく結婚すると幸せになるって云うね。本当に幸せになるの?」「さーぁ、どうだかね。昔の男はね『どうだい、一緒に苦労してみないかい』って言ったもんだよ」
「つまらねーよ結婚なんて。狭いとこで顔つき合わせて何十年、よく我慢してるよナー。お互いを束縛しあってさ。人間はもっと自由であるべきですよ。僕は独身主義者よ。♪うっまれたとーきもひっとりならぁー、死んでゆくのもひっとりじゃなーいーか-♪」
「その前に結婚とは何かを定義づける必要がある」「聖なる絆(きずな)」「私が思うには意志薄弱な者、自己中心的な者は結婚には向かない」
「ところで木村君、女房を貰うなら九州に限るぞ。たみえちゃん、男はやっぱり東京に限るよ。じゃ!」
「とにかくね、結婚というものはね、人間として生れてきたからにはね、一度はしてみるもんですよ」
「あなたのいる場所が私のいるところ。もう決めちゃったんだから。レーザービジョン!」
「この一言で僕は君を失うかもしれない。それは覚悟している。結婚してくれないか?」
「好きで一緒になったんだもん。地獄であろうと極楽であろうと、終点までついてくわ」
「僕たちずいぶん回り道をしたね」「でもよくここまで乗り越えてきたわ」「もう君を離さないよ」「(涙)……だって渡しうれしいんですもの」「みさちゃん」「やすおさん」
「かくして二人は結ばれたのでありました」
「ふつつか者ではござりますが、どうぞ末永くお頼み申します」「このたびはとんだご縁で」
「竹島さんから伺いましたが、女嫌いで競馬ケーリン、パチンコマージャンもやらんとは今どき珍しい。そういう人を婿に欲しかったのです」
(結婚行進曲)「誓いの言葉…」(葬送行進曲)「一つ、あたしだけを愛すること。一つ、マージャン競馬はしないこと、一つ、……以上、誓います」「ち、誓います」
「あの……僕やっと結婚することになりました」「あたしひと足遅れましたわね」「え?」「あなたに貰っていただこうと思ってましたのよ。遅かりし由良の助だわ」
(結婚行進曲)(ガラスのドアをバンバンと叩く)「エレーヌ! エレーヌ! エレーヌ!」

 昔の日本映画によくあった人前結婚式のシーン。
 小さな座敷に宴席が設けられていて、新郎の友人のひげズラ万年大学生が「よぉーし、ひとつ僕がお祝いに歌います。♪つまーをーめとーらーば、さいたーけてぇー」と一頻り歌い、やりとりがあって、花嫁のとなりの老人がおもむろに、高砂やを始める。そういうのもぜひ入れておきたい。

「私が選んだ人ですから」
「『あたしの選んだ人を見てください』」「違うわ、そんなんじゃないわ」
「君、このあとメンデルスゾーンの結婚行進曲かけてくれよ、ボリュームいっぱいね」
「次はフィーガロの結婚序曲ですが、このフィーガロはドイツの……明るい笑いに包まれた曲です」
(拍手)「えーくどくど申し上げましたが、皆様のご指導ご鞭撻で、この夫婦が互いに末永く幸せな家庭を築けるよう、お願い申し上げます。おわりッ」(拍手)
「今日は大安吉日。ここ大阪天王寺駅は新婚さんでラッシュアワーさながら」
「あーら我が君」「なんです?」「あーら我が君」「だからなんですよ!?」
「よっ、このお二人新婚ですなー」「新婚だってさ」「おいみんな、恋愛結婚だとよ」
「よー新婚ですよ。ハネムーン。けっこうけっこう」
「生まれ変わってもまた結婚してくれる?」「決まってるでしょ」
「いやぁハハハ、ほんと新婚のうちが花ですナ」
「太陽食品提供 新婚、ムードショー! どうぞ」
「フフフ、僕たちは君たち夫婦には期待するな。きっと新しい時代の新しい夫婦ができんじゃないかと思ってね」
「私が誇りを持って迎えるに足る、私に最も相応しい妻なんだ。私が望んでいるのは家柄ではなくて彼女の持っているあの高い知性と教養、それにもまして何者にも犯されてないあの清純さ」
「君は生殖年齢ということは知ってますか?」「えっ?」「妻の歳より夫の歳は十(とお)以上でなければならない。定説だ」
「結婚なすったら夫婦二人っきりの生活をお望みですの?」「もちろんですわ。アラ違いましたの? 別居していただくもんとばかり思ってました」「今の若い方はみんなそんな風にお考えなんでしょうか」
「いったん結婚した女が再び実家に帰ろうだなんて。嫁いだ先が女の死に場所と思わなくては。女の心構えに古いも新しいもありません」
「本当に夫婦なんてウドンのようなもんですね。夫婦になってからがこれまた大変。まぁ気長にやっていただきたいですなぁ」
「大丈夫、別れるのイヤだなんてダダこねたりしないから。私だって3年も好きだったんだもん。何もないまま別れるなんて淋しいもの。ねぇ、連れてって」
「僕は前にも言ったように家庭生活を充実させたい。これはセックスの問題に」(パシッ!)「あ、なぐりましたね」
(バシッ!)「あんたッ」「許してくれ、許してくれ」「こーの、裏切りものーッ」「俺がわるかった、俺が悪かった、このとおりだ」
「だけど男の人って、どうして浮気したがんのかしら」「女を畳だと思ってんのよ」
「いい歳してやきもち焼くのもいい加減にしろ。仲人のとこ行って始末つけてもらうよ。女房と畳は新しいほうがいいんだよ!」
「私は一條の妻です。妻の座を簡単に他人に明け渡したりしませんよ。最後に私が勝つんだわ」
「アタシは結婚なんて馬鹿馬鹿しい習慣には近寄らないの。男女の間なんて本能さえ満足すればそれでいいんじゃない」「でも夫婦には愛情があるわ」「心のままに生きればいいのよ。今に私たちのグループに来るようになるわ」(電話リーン)「はい」「私の家内が伺ってると思うんですが」
「東京で周囲の反対を押し切って結婚してから5年目。あのころ私を支えていた希望や夢はどこに行ったのだろう。365日同じような朝が来て……このまま老い朽ちていくのだろうか」
「私はあの人を本当に裏切ってやる。心も体も」
「今だからはっきり言うけど、結婚なんてそんな幸福? 生活の方便じゃないの」
「女ってのはわからんよ」「ハハハ、女は子宮で考える。もっとも男だって頭で考えるかどこで考えるかわからんがね。夫婦なんてますますわからんもんだ。我が家にまだ自分の知らない部屋があったみたいな」
「言ってちょうだい本当に。困ったときこそ話し合うのが夫婦じゃないの? 今までなんだって話してくれたのに」「いや言ってないこともあるよ」
「ああいう方を見てると自分がつくづく情けなくなりますわ。私もこれから働かなくちゃと思うんですけど、何もできないんですもの。女も結婚しても夫に頼りきってのんびり妻の座に座っていてはいけないんですわ。これからの若い人はしっかりしてるから、それくらいのことは考えてらっしゃるんだろうけど」」
「そりゃ夫婦なんてものは別れようと思えばいつでも別れられるもんですが、何人替えたところで、お互いにスタートの切りなおしをしてるばっかりで、いっこう発展もございませんしね」
「そーお、夫婦ってむすかしいわねぇ」
「夫婦とはガマンくらべでございますよ、ふはははは」
「そうですか。いづれも同じ秋の夕暮れってわけですなァ。女房こそ男の敵だってこと。そうですか。やっぱりねぇ」
「奥さん、聞いてくださいよ。イサムがね、別れた主人のとこへ行ってしまったのよ。ゆうべ電話がかかってきましてね、お父さんと一緒に暮らすからって。さんざん苦労して育てた子供を取り戻せないなんて、そんなバカな」
「ねぇ母さん、好きな人がいたら再婚してください。今までさんざん苦労してきたんだもの、今度こそ本当の幸せを掴んで」
「生まれ変わってもまた僕と結婚するかい?」「厳しい質問ね」
「人間同士が本当に理解し合うことは難しい。凭(もた)れ合うことは簡単だが。彼女はそれに気づいたんだろう。君も知っとくといいよ。男と女の関係なんてこんなもんだよ」
「そもそも男と女というものは」「お話中ですけど」
「私たちはもう別れるしかないのよ」「我慢しなさいよ」「それでどうなるの? あたし今日まで5年も我慢してきたのよ」
「結婚なんて人生の墓場よ。男はその上に乗っかってる墓石よ。けったくそ悪い」
「この際、僕、カーチャンと別れようと思って」
「離婚する?」「離婚届送って下すってもいいのよ。判押します」
「離婚届だ。判押しといたからね」
「性格の不一致か」
「私たちもう終りなの?」「終わりのないゲームなどあらへん」
「私たちどこがいけなかったの?」「そもそも二人が結婚したことかな」
「愛だの恋だの言ったって、男女関係の結末なんてみんな同じね」
「泥仕合をしたわけじゃないし、とてもいい形で私は彼の元を去ることが、彼に対してのお詫びの気持ちだと思ってます」
「今朝ね、アパートの四階でおめかけさんが殺されたのよ。本妻の人が押しかけてきて、包丁で刺したんですって。それを聞いたときすぐあなたのことを考えたわ。夜眠れないときなんか、あの女が死んでくれたらって」
「あんたを殺して私も死ぬ!」
「さて奥さん、ご主人とは円満でしたか?」「……」「では殺した理由は?」「お答えできません」
「うれしくないんですか?」「でもあたくし、主人が死んだことのほうがもっとうれしいの」
(拍手・結婚式祝辞の声)「私たちにもこういう一日があった。愛情と信頼に結ばれ、みんなに祝福されながら、結婚のスタートラインに就いた日が。私たち夫婦はどうしてこんな風になってしまったんだろう……」
「結婚生活ってなんだったんですかね」
「結婚生活は幸せでしたか?」
「結婚してよかったと思います?」
「戦後最高の離婚ラッシュのようやく歯止めがかかったようです」
「では愛の遍歴を振り返ってみたいと思います」

 別れちゃいけません。
ラストはエノケンの映画から。
「ではお二人末永く仲良くお暮らしなさい。 ♪高砂や~」

 曲間にこういったセリフを挟んでノンストップで構成していくわけですよ。

 ここで意外性を出すために、今上天皇の御成婚のときに作られ、レコードとして世に出された楽曲からも1曲くらいはチョイスしておきたい。

  皇太子さま おめでとう/根岸澄代 c/w やさしいプリンセス/木下雅子
  われらの皇太子 c/w 千歳や万歳
  皇太子さま c/w プリンセスおめでとう
  皇太子さま おめでとう c/w 御代の栄え/ビクター・オーケストラ
  想い出のテニスコート(作詞・作曲・編曲:原六朗)/中島潤

シングル「お嫁にゆきタイ」パティ・ペイジシングル「お嫁に行きたい」梅木マリ

シングル「お嫁に行きたい」森山加代子“婚活”中の女性を応援する意味で、

  (上左)お嫁にゆきタイ(Most People Got Married)/パティ・ペイジ(Patti Page)

とそのローカル盤

  (上右)お嫁に行きたい/梅木マリ

似たようなタイトルの、

  (右)お嫁に行きたい/森山加代子
  お嫁にゆくなら/安倍律子

あたりも入れときましょう。
これに男たちが応えて、

  お嫁においで/加山雄三
  嫁に来ないか/新沼謙治
  結婚しようよ/よしだたくろう
  お嫁にもらおう/石橋正次
  お嫁に行くんだね/水原 弘
  お嫁にゆくのか/郷 辰也

と続けば、メデタシメデタシなのですが。

 大団円はひとつご陽気に『ハロー・ドーリー!』から『フィナーレ』とまいりましょう。
 ただし映画のサントラでなく、舞台の録音、それもアメリカ以外のキャストの録音をもってくる。これはなかなかシャレてるんじゃないですかね。
というわけで、ご両人、結婚おめでとうございます!

(2009年9月23日)

 

追加記事

チェックしてみたら、今回の記述の雛形となった番組を作っておりました。
『お嫁さん』も使っております。すっかり忘れていました。

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SONO-COLOアワー
1982(昭和57)年10月15日放送 第45回
タイトル特になし。

アバンタイトル:「結婚してください。・・・」 映画「閉店時間」より
1 ウェディング・ベル(THE BELLS AT MY WEDDING)/伊藤照子
(セリフ)映画「つむじ風」より
2 ザ・チャーチ・ベルズ・メイ・リング(THE CHURCH BELLS MAY RING)/
   a) ザ・ウィローズ(The Willows)
   b) ザ・ダイヤモンズ(The Diamonds)
   c) ザ・シュレルズ(The Shirelles)
(セリフ)映画「永すぎた春」より
3 ブラジルの花嫁さん/美空ひばり
(セリフ)映画「夫婦合唱」より
4 ウェディング・ドレス/佐々木功 (曲途中まで)
(セリフ)映画「夫婦合唱」より
5 お嫁さん/梓みちよ
(セリフ)映画「ふりむいた花嫁」より
(セリフ)小那覇舞夫
――――――――――――――――――――――

シングル「スィート・ナッシンズ c/w ウェディング・ベル」伊藤照子ポール・アンカの『ウェディング・ベル』を歌っている伊藤照子は個性的な名脇役で有名だった故・伊藤雄之助の御息女です。
『ザ・チャーチ・ベルズ・メイ・リング』。邦題があったのかどうかは知りません。「鐘が鳴るなり南蛮寺」てぇのはどうでがしょ?
黒人DooWopグループ ザ・ウィローズのオリジナルバージョンは1956年全米14位。
白人コーラスグループ ザ・ダイヤモンズ(現在はザ・ダイアモンズの表記が普通)のカバー盤はコーラルからマーキュリーへ移籍して2枚目のシングルで、同年20位を記録しています。
The Shirellesは当初、ザ・シャイアルズと誤表記されましたが、その後もザ・シレルズ、ザ・シュレルズとふた通りが定着してます。
佐々木功の『ウェディング・ドレス』は、九重佑三子のとは別の曲で、青島幸男・作詞、服部克久・作曲。なかなかの佳曲ですが、途中1分55秒でフェードアウトしてます。わざとそうしたのではなく、音源のLP『クラウン・ビッグ・パレード 昭和40年度クラウン歌謡コンクール課題曲』でそうなっており、シングル盤が入手できなかったため、やむなくそのまま使いました。

LP「THE BEST OF THE WILLOWS FEATURING TONY MIDDLETON」Allen-1000
(上)LP『THE BEST OF THE WILLOWS FEATURING TONY MIDDLETON』(Allen-1000)
LP「THE DEFINITIVE COLLOCTION OF THE DIAMONDS」
(上)LP『THE DEFINITIVE COLLOCTION OF THE DIAMONDS』
(マーキュリーでの録音を集めた1970年代のオーストラリア盤)
LP「クラウン・ビッグ・パレード」オムニバス
オムニバスLP『クラウン・ビッグ・パレード』』(1965年1月発売)
16曲すべてが曲途中でフェードされてます。
『名古屋駅前』というご当地ソングを歌っている加島一朗は
名古屋出身者でしょうか。

(2009年9月30日)

 

追加記事

 1996年7月5日(金)放送のTBS朝のワイドショー『モーニングEye』が、『(新)金曜ドラマから考える 最新「プロポーズ事情」』と題し、プロポーズの言葉の変遷を特集しています。

皇太子殿下「千葉県の鴨場でもって、雅子さんのほうに『わたくしと結婚していただけますか?』というようなことを申しました」
岸谷五朗「『俺と一緒に記者会見を開きませんか』って」奥居 香「『そうしますか』って言って答えました」
藤井フミヤ「いや『結婚してください』と一言。そしたら『あ、よろしくお願いします』というんで、『あ、どうも有り難うございます』と」
つみきみほ「あたしが最初に向こうの両親にお会いしてしまったので、『息子さん下さい』っとか言ってあたしが、あはははは」
(以上、記者会見でのご本人の発言)
                    ◇
ウェディングサービス・ワタベ調べ『プロポーズの言葉』
1996年2月の順位
  結婚して下さい        23・0%
  一緒になろう離さない    16・6%
  朝食作って…など        6・2%
  これからの人生を二人で…  5・9%
  女性からプロポーズ      4・4%
1977年の順位
  一緒になろう離さない
  これからの人生を二人で…
  結婚して下さい
  ついてくるかい?
  朝食作って…など

 1977年の「ついてくるかい?」がランキング圏外となり、替わって女性からプロポーズが増えた、と指摘していました。
 今はどうなんでしょうね?
(2009年10月7日)

 
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