お笑いフロンティアは消えたのか

お笑いブーム収束
「レッド―」の終了で、00年代に起こった“お笑いブーム”は一時収束したといえそうだ。03年にスタートし、ブームの火付け役となった日テレ系「エンタの神様」も、芸人が5つのステージで笑いに挑戦するTBS系「ザ・イロモネア」も3月で終了。芸人たちが純粋に“ネタ”で勝負できる番組は減った。お笑いバトル番組で残るのはNHK「爆笑オンエアバトル」(3月で終了)の後継番組「オンバト+」(金曜・深夜0時15分)など。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100720-00000264-sph-ent

アイドル同様お笑いタレントも粗製乱造・供給過多のデフレ状態ということでしょう。
せっかくいいネタが出来てもテレビではたちまち消費されてしまう。
芸ではなくタレントの部分で生き残るしかなくなる。
いわゆる営業の口もこの不況下ではそうそう続くもんじゃない。
まことに非情でありますねえ。

局アナ(特に女子アナ)、国会議員、評論家のタレント化も行き着くとこまで行った感じですし、タレントの議員化もそろそろ飽きられてきた雰囲気。

外人タレント枠の増減はどうでしょう。
日本のテレビの質を変えるくらい増えると面白いかもしれません。番組内公用語が英語だけとか、そういうのもそろそろ出てきそうです。

今後10年以内に、キー局の合併が起きるだろうと私は考えています。
あるいは外資の日本メディア買収が日本政府の承認のもとに堂々と行われる、そんな事態に立ち至るんじゃないでしょうか。

激動期という言葉には何かパワフルな印象が伴いますが、現下の激動期は逆にグズグズ。覚悟の出来てない人間が差し迫る危機を前になお目を背けてジタバタしてる感じですかね。
まさに笑ってられない状況という意味で、
お笑いの時代も了わらざるを得ないのかもしれません。

Nana Mouskouri – It’s Foolish But It’s Fun

◆    ◆    ◆

さて、お笑いつながりでなんか一曲、聞きましょうか。

ボブ・ホープ(1903年-2003年)。
基本的にラジオ、映画というメディアを通じてスターになったコメディアンですが、チャップリン、キートン、ロイド、マルクス兄弟などと違って、辛辣なジョークで客を笑わせるスタンダップ・コメディの人でして、ローレル&ハーディ、アボット&コステロの系統とも異なり、いかにもイギリス出身らしいスマートさが魅力でした。
その点まさにシチュエーション・コメディにうってつけのキャラクターで、日本でいうところの『珍道中シリーズ』『腰抜けシリーズ』等の喜劇映画の看板となり、多くの人々に愛された存在でした。

そのボブ・ホープが自身のテーマソングとしていたことで有名な歌がこれです。

Shep Fields and his Rippling Rhythm Orchestra – Thanks For The Memory(1937)
vocal: Bob Goday

Joel Whitburn “Pop Memories”-charted track, not elsewhere on YouTube as of this posting. Bob Hope and Shirley Ross didn’t record their own commercial version of this Oscar winner from “The Big Broadcast Of 1938” until a full year after this Fields session.

Toots Mondello and his Orchestra – Thanks For The Memory(1937)
vocal: Barry McKinley
from the Movie “Big Broadcast of 1938” 百万弗大放送
“Thanks For The Memory”(1938)という題の映画も作られた。

recorded in NYC November 19, 1937
Here’s Bob Hope’s signature tune, Oscar winner from “The Big Broadcast Of 1938,” in one of eight big band tracks recorded for Brunswick under his own name by prominent alto sax session player Mondello. Familiar figures present for this date included Will Bradley, Russ Case, Jack Jenney and Claude Thornhill. See also the flipside “Let That Be A Lesson To You.”

Bob Hope and Shirley Ross – Thanks For The Memory(1938)思い出によみがえる
orchestra conducted by Harry Sosnik,

recorded in Los Angeles November 23, 1938.
Movie: “The Big Broadcast of 1938” (Paramount), starring W.C. Fields, Martha Raye, Dorothy Lamour, Shirley Ross, and Bob Hope.
More than nine months after the theatrical opening of “The Big Broadcast Of 1938″ (in which Hope and Ross introduced this standard), the two of them finally got around to making a studio recording of it for commercial release. The timing was significant, as they were both now appearing together (and singing it again) in a new Paramount film titled…..(wait for it)…..”Thanks For The Memory.” Note that this original-issue label shows the title as “New Thanks For The Memory.
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1938 BEST ORIGINAL SONG NOMINEES (10)
Thanks For The Memory (”The Big Broadcast of 1938″)
Change Partners (And Dance With Me) (”Carefree”)
Jeepers Creepers (”Going Places”)
Now It Can Be Told (”Alexander’s Ragtime Band”)
My Own (”That Certain Age”)
Always And Always (”Mannequin”)
Dust (”Under Western Stars”)
Merrily We Live (”Merrily We Live”)
The Cowboy And The Lady (”The Cowboy And The Lady”)
A Mist Is Over The Moon (”The Lady Objects”)
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SOME OTHER SONG HITS FROM 1938 FILMS
Goodnight Angel (”Radio City Revels”)
Hooray For Hollywood (”Hollywood Hotel”)
I’ve Got A Pocketful Of Dreams (”Sing You Sinners”)
Love Is Here To Stay (”The Goldwyn Follies”)
Love Walked In (”The Goldwyn Follies”)
Says My Heart (”Cocoanut Grove”)
Small Fry (”Sing You Sinners”)
Thanks For Everything (”Thanks For Everything”)
Two Sleepy People (”Thanks For The Memory”)
You Couldn’t Be Cuter (”Joy Of Living”)
You Must Have Been A Beautiful Baby (”Hard To Get”)

Bing Crosby – Thanks for the Memory

Bing Crosby performing Bob Hope’s theme song, back when it was just a new hit tune and before Bing and Bob went together like meat and potatoes. From a 1938 Kraft show.

Sarah Vaughan – Thanks For The Memory(live at The London House)(1958)

The Platters – Thanks For The Memory(1959)
featuring David Lynch

Ella Fitzgerald – Thanks For The Memory(1967)

Bob Hope – Thanks for the Memory

しかしこの歌は詞が分からないと良さが伝わってこないタイプのものですね。
日本人にはやはり『腰抜け二挺拳銃』のバッテンボーでしょう。

Bob Hope – Buttons and Bows

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このボブ・ホープが歌っている『ボタンとリボン』の音は、昔『SONO-COLOアワー』で使ったことがありました。

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SONO-COLOアワー
1983(昭和58)年3月11日放送 第66回
タイトル『無国籍ガンマン 幻の大西部を行く』

アバンタイトル (M)ローハイド/小坂一也

(NA) (BG)ボタンとリボン/ボブ・ホープ 映画『腰抜け二挺拳銃』より

1 ダコタの黄昏/林伊佐緒、佐藤千枝子

a) (セリフ)「シェーン! カンバーーック!」映画『シェーン』より

2 ライフルと愛馬/ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ

3 コルト45/フォア・コインズ、ワゴン・エース

4 リバティバランスを射った男/ジョージ岡

b) (セリフ)「おにいちゃん、……きっと帰ってくるね」

5 俺の故郷は大西部(ウエスタン)/和田浩治
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(右)シングル『ローハイド』c/w『連邦保安官』小坂一也 日本コロムビア 1960年5月
AB面ともに日本で人気だった同名外国テレビ映画の主題歌。演奏は堀威夫とスイング・ウエスト。

西部劇というとまっさきに思い浮かぶのはなんでしょう?
おおまかにいって『駅馬車』の世代と『ローハイド』の世代の、二つに分かれるんじゃないでしょうか。
私は昔は西部劇は好きではありませんで、ほとんど見ませんでした。私の父親なぞは転戦した満洲の曠野を思い出すらしく、足しげく映画館へ通ってましたが……。
スリッパをパシンと叩く『ローハイド』、あれは伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズでしたっけ?

(上左)シングル『軍隊のぞき節』c/w『学科嫌い』伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ ビクター(MCA)
(上右)シングル『リトル・ダーリン』c/w『ローハイド』同 日本フォノグラム(フィリップス)1981年

このシングル盤『リトル・ダーリン』は「芸能生活33周年記念盤」としてリリースされたものでした。B面の『ローハイド』には演奏:薗田憲一とデキシーキングス、slipper effects:高柳徹雄とクレジットされています。
ジャケットに伊藤素道のプロフィールが載っているのでここに引用しておきましょう。

伊藤素道プロフィール:
昭和3年4月13日 東京赤坂生れ
昭和23年 慶応医学部から学費の安い経済学部に移り、学業のかたわらリリオ・ハワイアンズを結成。本格的音楽活動に入る
昭和28年 経済学部卆。NHKの「バンドタイム」で人気を博す
リリオ・ハワイアンズからリリオ・リズム・エアーズに改名。ハワイアンの他にジャズ、ラテン、デキシーとレパートリーを広める
NTV「光子の窓」「良重と共に」、CXTV「ザ・ヒットパレード」等テレビ番組で茶の間の人気者となる
昭和47年 リリオ・りズム・エアーズ解散、ソロ・シンガー、ラジオD.J. MC、作曲で独立。
<代表曲>
ローハイド、谷間に三つの鐘が鳴る、リトル・ダーリン、アラスカ魂、OK牧場の決斗、グリーンフィールズ、イスタンブール etc.

伊藤素道は2003(平成15)年8月7日、75歳で他界されております。

『ダコタの黄昏』は1951(昭和26)年6月にキングからリリースされた曲(林伊佐緒自身による作曲)で、片面は東海林太郎、キングシスターズによる『アルプスの屋根の下』でした。
敗戦直後から、アメリカ映画の新作・旧作が怒涛のように押し寄せ、中でも西部劇はひところチャンバラ映画が禁止されたこともあって日本中の男性を夢中にさせました。また雄大な大自然をイメージさせる主題曲、乾いた哀愁の漂う主題歌が日本で次々ヒットし、流行歌の世界でもそうしたテーマを扱うものが作られるようになりました。
タイトルだけ挙げれば例えば『アリゾナのバンジョー弾き』『東京ウエスタン』『ロッキー越えて』『ワイオミングの小径』『ミネソタの卵売り』『幌馬車は西へ』『アリゾナの紅バラ』『駅馬車三銃士』『テキサスのバラ』『テネシーの月』『進め、騎兵隊』『ミズリー越えて』等々。
『ダコタの黄昏』もそんな歌のひとつでした。

(上)10インチLP『幌馬車は西へ 続・西部劇映画主題歌集』ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ

C&Wの本格派ジミー時田としては複雑な思いで歌ったと思われます。というのも日本人の大半はC&Wというと本物のC&Wではなく、西部劇のテーマソングを連想し、むしろそっちの方を好む傾向があるからです。
ハワイアンは戦前にも灰田勝彦らによって歌われていましたがC&Wは戦後の昭和20年代後半からで、ジミー時田はそのブームの立役者の一人でした。ただ、C&Wのブームはたちまちロカビリーにかき消されて、以来日本ではマイナーな存在に甘んじています。
1948年『赤い河』主題歌で1959年『リオ・ブラボー』の挿入歌ともなった『ライフルと愛馬』は『ローハイド』と同じくディミトリ・ティオムキンの作曲です。ディーン・マーティンとリッキー・ネルソンの掛け合いは西部劇史に残る「歌」の名シーンでした。

Dean Martin and Ricky Nelson – My Rifle, My Pony and Me / Cindy

(上)10インチLP『西部に躍る拳銃の歌 西部劇TV映画主題歌集』

EPIC(エピック)レーベルのこのLPには日本における発売元が印刷されていません。紙のジャケットは日本語。盤面のラベル(レーベル)はすべて英語表記。録音内容は英語の発音や曲アレンジからして日本人によるものと考えられます。どうやらニッチク(日蓄?)という会社が日本国内で録音し、米コロムビアに製造委託し日本でジャケットをつけて、レコード店に卸したものと推察されます。
歌はフォア・コインズ。演奏はワゴン・エース、テレビランド管弦楽団とクレジットされています。アルファベットだけの盤面のラベルにも「THE TELEVILAND ORCH.」などとあるので(テレビは和製英語。アメリカではTV=ティーヴィー)、どう考えても外国のレコード会社がイニシアチブを取って作ったとは考えられません。
当時 米EPIC(エピック)に同名の The Four Coins という Four Lads スタイルのグループがいて、ヒット曲も出してました。しかし英語の発音が天地ほども違うので、私は別ものだと考えてます。
このレコードのフォア・コインズは、たぶんこの人たちでしょう。

メンバーは坤野英二、小山欣一、風野三郎、三沢 郷。
1950年代後半から60年代にかけて活躍した日本のジャズコーラスグループでした。

『リバティ・バランスを射った男(The Man Who Shot Liberty Valance)』は名匠ジョン・フォードの手になる1962年製作公開の異色の西部劇で、暴力反対の東部のインテリがうっかり悪い奴を倒してしまったために悩むという筋。
バート・バカラック作曲、ハル・デヴィッド作詞、ジーン・ピットニー歌唱のイメージ・ソング(映画の中では使われていない)は62年6月のチャートで第4位まで上ってます。

Burt Bacharach and Hal David wrote a song called The Man Who Shot Liberty Valance, which became a Top 10 Hit for Gene Pitney but was not used in the film.
The Man Who Shot Liberty Valance – Wikipedia, the free encyclopedia

Gene Pitney -(The Man Who Shot)Liberty Valance(1962/03)

arranged by Chuck Sagle
As the label states, this top-5 Bacharach & David song was “inspired” by the popular same-named John Wayne-James Stewart western but was not heard in the actual film.

The Fairmount Singers – The Man Who Shot Liberty Valence(1962/02)

As the label states, this Bacharach & David song was “inspired” by the popular same-named John Wayne-James Stewart western but was not heard in the actual film. It became a top-5 record hit for Gene Pitney

新作映画のイメージ・ソングでは前年の『片目のジャック』が先行例として挙げられます。こちらはジョニー・バーネットが歌いました。

<参考>
Johnny Burnette – Ballad Of The One Eyed Jacks(1961/03/30)片目のジャック
同名映画のイメージ・ソング。日本では克美しげるがカバーしています。

Inspired by (but not heard in) the current Marlon Brando western film “One-Eyed Jacks”
Chart Peak: Cash Box 126

(下左)シングル『リバティバランスを射った男』c/w『可愛いいシャーベット娘』ジョージ岡 1962年 ビクター
ジョージ岡はこの2年後、東京ビートルズを結成します。

(上右)シングル『俺の故郷は大西部(ウエスタン)』c/w『親なしとんび』和田浩治 1960年12月

『俺の故郷は大西部(ウエスタン)』は同名日活映画の主題歌で浜口庫之助作詞・作曲。
この映画は1960年の12月27日に公開(すなわち61年正月映画)された『闘牛に賭ける男』(主演・石原裕次郎)の併映作品で、和製ウエスタン、いわゆる無国籍映画の代表作の一つ。
相手役の清水まゆみの他に平尾昌章(=平尾昌晃)、井上ひろし、守屋浩、かまやつ・ヒロシ(=ムッシュかまやつ)、森山加代子、田代みどりといった歌謡界の若手スター、そしてレフェリーのユセフ・トルコも出演しておりました。同じ1960年では小林旭『赤い夕陽の渡り鳥』、赤木圭一郎の『幌馬車は行く』といった先行作品があり、翌年の宍戸錠『稼業シリーズ』につながっていきます。
また1960年の日活においては59年に人気だった若水ヤエ子の『おヤエシリーズ』がピタリと止まって作られなくなったのが印象的でした。

(左上)近代映画1961年6月号臨時増刊 日活西部劇読本 1961年6月15日発行

「おにいちゃん、……きっと帰ってくるね」のセリフはたぶん『早射ち野郎』か『大草原の渡り鳥』のどちらかでしょう。前出『シェーン』に対応するものとして挿入しました。

日活の無国籍映画、そのテイストは、のちに、あまりにも自由な刑事ドラマ『太陽にほえろ!』『西部警察』などへ連綿と受け継がれていきました。おそらく『キイハンター』や『プレイガール』といった往時の人気ドラマも、先達としての日活アクションがなければ成立し得なかったでしょうね。

◆    ◆    ◆

The Invaders – Last Stage West(1996)
Swedish

お笑いフロンティアは消えたのか」への0件のフィードバック

  1. 板倉弘志

    あー、この回もお気に入りのひとつです。一年に何度かカントリーをCD棚から探し出してでもききたい時があります。
    最近は中島そのみのカントリーを通勤カーステのBGMにしていました。
    ダコタの黄昏が日本オリジナル作としては古いのには感心しました。
    C&Wっていうけどカントリーはわかるけどウェスタンってやっぱり西部劇の意味かしらん?
    以前ラジオでハワイアンとカントリーは楽器編成がまったくいっしょといってましたが、なるほど。カントリーバンドの連中はどっちもやれたみたいですね。
    リバティ・バランスを射った男もこの番組で知りました。
    えらく気に入った当時の私は学校の卒業課題に店舗設計-ビヤホール、その名もリバティ・バランスという西部劇のサルーンみたいなデザインを提出してみごと卒業しました。
    最近のカントリーも聞きますがアラン・ジャクソンあたりもアメリカの保守的な感じは相変わらずですね。
    ウェスタンも本国ではナツメロか?最近聞かないけど。

    返信
  2. 菅佐原 英二 投稿作成者

    > 最近は中島そのみのカントリーを通勤カーステのBGMにしていました。

    わはは、それはシブすぎです (^_^)

    > 以前ラジオでハワイアンとカントリーは楽器編成がまったくいっしょと
    > いってましたが、なるほど。カントリーバンドの連中はどっちもやれた
    > みたいですね。

    西部開拓の移民たちが出身国の楽器と音楽を持ち込んで、それらがマウンテンミュージック、ブルーグラス、ヒルビリー等につながっていったんでしょうから、フィドル、ギター、アコーディオン(小さいやつ)などは分かるんですが、スチールギターがハワイアンと共通というのは何だか不思議です。
    フロンティアがカリフォルニアで終わらずにハワイまで延長されたということでしょうかね。
    ハワイのスチールギターはボトルネック奏法(おそらく初期には空き瓶の首の部分を使用)を多用してますが、あれだってアメリカの黒人のブルースの影響があったのかどうか。

    > リバティ・バランスを射った男もこの番組で知りました。

    リバティは自由、バランスは綴りからすると「天蓋」「窓の上部の覆い」ということですが、おそらくbalance(均衡)に懸けてるでしょうから、『リバティ・バランスを射った男』は自由(あるいは理性)と実力行使(または暴力)の均衡が求められるようになった西部開拓時代の末期をアメリカ社会の原型に位置づけて、アメリカ的精神とは何かを問いかけているのだと、私は解釈しておりますが、西部劇らしい痛快さに欠けるというので、あの映画は日本では興行的にイマイチでした。

    > えらく気に入った当時の私は学校の卒業課題に店舗設計-ビヤホール、
    > その名もリバティ・バランスという西部劇のサルーンみたいなデザイン
    > を提出してみごと卒業しました。

    おお、板倉さんは設計関連のお仕事ですか。なかなか夢のある仕事ですね。
    むかし映画の仕事をしていたときに、セットの設計を勉強したことがありました。あれは建築とは似て非なるものでしたが、なかなか面白かった。
    昨今は、宝くじでも当てたら北鎌倉に小津映画に出てくるような木造平屋を注文で建てて余生を過ごしたい、なーんて考えたりしてますが・・・。

    返信

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