とうとう逝ったハリウッドの子 デニス・ホッパー

Dennis Hopper, creator of hit ‘Easy Rider,’ dies
LOS ANGELES – Dennis Hopper, the high-flying Hollywood wild man whose memorable and erratic career included an early turn in “Rebel Without a Cause,” an improbable smash with “Easy Rider” and a classic character role in “Blue Velvet,” has died. He was 74.
Hopper died Saturday at his home in the Los Angeles beach community of Venice, surrounded by family and friends, family friend Alex Hitz said. Hopper’s manager announced in October 2009 that he had been diagnosed with prostate cancer.

http://movies.yahoo.com/news/movies.ap.org/dennis-hopper-creator-hit-easy-rider-dies-ap

デニス・ホッパーさん、74歳で死去 『イージー・ライダー』で一世を風靡
 前立腺がんで余命わずかといわれていた俳優のデニス・ホッパーさんが29日午前8時ごろ、カリフォルニアの自宅で死去した。74歳だった。彼は家族と友人にみとられて静かに亡くなったという。
 デニスさんは昨年10月に前立腺がんであることを公表。12月にシダース・シナイ・メディカル・センターに入院するも、年が明けて今年の1月にがんが骨に転移し、余命わずかであることを友人にもらしていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100530-00000002-flix-movi

2010年4月7日
前立腺がんで余命わずかと言われ、妻と離婚裁判中のデニス・ホッパーが、配偶者扶養費と養育費を支払うことになった。
 裁判官は、デニスが妻ヴィクトリア・ダフィに配偶者扶養費として月8,000ドル(約72万円)と、7歳になる娘ギャレンのために月4,000ドル(約36万円)の養育費を支払うよう言い渡した。

http://www.cinematoday.jp/page/N0023589

2010年4月2日
デニス・ホッパーのアシスタントが、離婚と接近禁止命令取得のために裁判所に提出された書類の中で、デニスの妻ヴィクトリアがデニスを殺そうとしていたと証言していることが明らかになった。

http://www.cinematoday.jp/page/N0023498

いやぁー最後までお騒がせでしたが、まさに“逝った”モン勝ちって感じですねー。
『イージー・ライダー』からはずいぶんと影響を受けましたよ、私は。

(右)テリイ・サザーン著、佐和誠訳 角川文庫『イージー・ライダー』1972(昭和47)年11月30日初版 当時の定価160円。1969年に書かれたオリジナル・シナリオを翻訳したもの。

『理由なき反抗』『OK牧場の決斗』『ジャイアンツ』と短期間で端役から脇役へ昇り詰めている点は見逃せません。その演技、存在感が高く評価されていた証拠です。
とは申せ、当時の主戦場は専らブラウン管の中だったようです。
たまに映画で主役を食うほどの大きな役を得たと思ったらお安いヘルスエンジェルス物だったなんてことがあったりしましたが、そうした仕事がアウトローからアウトサイダーへの、新たな青春像を造形する端緒となったことは間違いない。
彼はけっきょくマーロン・ブランドやジェームズ・ディーンのようなアメリカン・アイコンにはなれませんでした。
でもその代わりに名優として、ちゃんと歴史的評価を得たんですから、それなりに満足はしてたと思いますよ。


Raw Video: a Bandaged Dennis Hopper Gets a Star

Dean Stockwell and Dennis Hopper – Best perfomance
Artistic presentation of the tournment of love. Dean Stockwell is the mime that plays on the emotions of Dennis, nearly driving him into insanity. Accompanied by Roy Orbisons interpretation of the classic love song ‘In dreams’.

Easy Rider Documentary: Shaking the Cage(part 7 of 7)

Dennis Hopper: Photographs 1961-1967

Dennis Hopper Beatnik Poetry Reading at the Shady Rest Hotel

  ※(追記:この動画は削除されました)

Night Tide – Dennis Hopper Beatnik Jazz
Dennis Hopper in one of his first starring roles visits a cool Beatnik hangout. Excellent combo with Paul Horn on flute. Released in 1961, Night Tide is a pretty interesting little flick…haunting and mysterious. Hopper is a sailor on leave when he meets a woman at the Blue Grotto while listening to some hip Jazz. She performs as a mermaid in a seedy little carnival on the Santa Monica pier. Directed by Curtis Harrington.

Dennis Hopper – As The “Utah Kid” in CHEYENNE(1956)

Medic with Dennis Hopper(1/3)
This episode of Medic is titled, “Boy in the Storm.” Originally aired on January 3rd, 1955, this was nineteen year old Dennis Hopper’s acting debut. Hopper plays the role of seventeen year old Robert Allan Maxwell, an epileptic whose parents were killed in a plane crash when Robert was two years old.

◆    ◆    ◆

DENNIS HOPPER CHOPPERSという名のロックグループ。

 

お医者さまでも草津の湯でも、、、おい、また寅の病気が始まったよ

体調が悪いと感じた人が、思いついたキーワードを使ってインターネットで症状を検索した結果、誤った自己診断をしてしまう――。検索エンジン「グーグル」の名を冠した、このような「グーグル症」にかかる人が増えているという。
勝手に「自分は重病だ」と思い込む。医師の診察を受けても「ネットで調べた治療方法と違う」と信用しない。
(中略)
深刻な病名が出てくると「これだ」
米サウスタウンスター紙(電子版)は2010年5月16日、「増加するグーグル症」という記事を掲載した。グーグル症(英文「Google-itis」)とは記事中に登場する医師による造語。

http://www.j-cast.com/2010/05/29067075.html

さすがに日本の話じゃありません。
アメリカの医療は金次第。医者も弁護士も宣伝に余念がないとか。
WEBの記事にもバイアスがかかってるかもしれません。

さて、医者が出てくる映画やドラマにはどんなものがあるでしょうかね。
OK牧場の決闘で有名なドク・ホリデイは歯医者崩れのアル中ギャンブラーで、

「Tombstone, the Town Too Tough to Die」
「荒野の決闘」 My Darling Clementine
「OK牧場の決斗」 Gunfight at the O.K. Corral
「シャイアン」 Cheyenne Autumn
「墓石と決闘」 Gunfight at the O.K. Corral
「ドク・ホリディ」 Doc
「トゥームストーン」 Tombstone
「ワイアット・アープ」 Wyatt Earp

などの作品に出てきますが、当然、医者らしい言動は描かれません。
歯医者では、前にも書いた例の「マラソンマン」Marathon Manに出てくるナチの歯医者。あれは怖い。

日本映画では経営危機の病院を立て直す話の
「暖流」(原作:岸田國士)
が面白かったですね。これは何度も映画化、TVドラマ化されてます。
病院経営の問題点をえぐるという点では、ドヤ街での体験を元にして書かれた黒岩重吾の直木賞作品を映画化した1961年の「背徳のメス」も見逃せません。新藤兼人の脚色ですから悪くなろうはずがない。

NET(現・テレビ朝日)が1970年7月~11月に放送したTVドラマ「産科・歯科」は三橋達也と浜美枝が主演のコメディタッチのもの。
「ありがとう」の第2シリーズ(19721月~73年1月)は水前寺清子が看護婦、石坂浩二が小児科医でした。
NHKが1972年10月~73年9月に放送した「赤ひげ」では小林桂樹が赤ひげ先生役。
東京12チャンネル(現・テレビ東京)が1973年から77年3月まで放送した外国TVドラマ「外科医ギャノン」ではアニメ「あしたのジョー」で力石徹の声を担当した仲村秀生が主人公ジョー・ギャノン(チャド・エベレット)を吹き替えています。
1974年19月に始まった人気ドラマ「赤い迷路」では山口百恵の父親役=宇津井健がマジメ一方の精神科医を熱演していましたっけね。
アメリカの映画やTVドラマでは1950年代の終わりころ精神科医とはまた違う立場のカウンセラーという職業がドラマに出てくるようになり、主人公のプライバシーに介入し、あれこれ助言を与えたりします。
精神科関係では1921(大正10)年に日本で公開されたドイツの表現主義映画「カリガリ博士」Das Kabinett des Doktor Caligari、1988(昭和63)年の「ドグラ・マグラ」(監督:松本俊夫)の2本がよく知られています。

ドグラ・マグラ(昭和10年1月)

 ……ブウウ――ンンン――ンンン……。
 私はウスウスと眼を覚ました時、こうした蜜蜂の唸るような音は、まだ、その弾力の深い余韻を、私の耳の穴にハッキリと引き残していた。見廻してみると、私は真白なコンクリートの壁の中にいた。その時、私は壁ごしに若い女の底悲しいかすれ声を聞いたのである。
 「……お兄さま。お兄さま。……あたしです。お兄さまの許嫁だった……あなたの未来の妻でしたあたし…。どうぞ今のお声をモウー度聞かして…、おにいさまァーッ」>
 その声はいつまでもいつまでも訴え続けていた。しかし、私は自分が誰であるか分らなかった。どうしてこんな所に、そしてあの声は誰だろう?
 扉が開いて、六尺もある大男が入ってきて、丁重に私の鼻先に一葉の名刺をさしだした。「九州帝国大学法医学教授医学部長・若林鏡太郎」と刷ってある。ここは九州大学精神病科第七号室であった。そして私が何と浅ましい狂人! しかも狂人の解放治療の実験材料! それは私が自分の名を思い出しさえすれば全ての謎が解け、精神分析学にも大いなる貢献をなすというのだ。早速実験の第一として隣室の美女に会った。その少女は私を見ると「お兄さま!」といって私にしがみついてきたが、博士の説明によると、少女はいま一年前の義理の兄である私と同棲している夢を見ているのだという。次に博士が私を連れていった所は、精神病の入院患者から提出された種々の珍奇な作品を陳列してある部屋であったが、私は五寸ぐらいの高さに積み上げられている原稿紙の綴込みの前で思わず足をとめた。それは五冊からなり、その表紙には黒インキで『ドグラ・マグラ』と記してあった。このドグラ・マグラという言葉は維新前後まではキリシタンバテレンの使う幻魔術のことを云った長崎地方の方言だそうだ。その第一巻をめくるとこんな文句があった。

  巻頭歌
 胎児よ胎児よ何故躍る 母親の
    心がわかって おそろしいのか

 そして博士の説明によると、これはおよそ次の内容からなっているという。
 (1)「精神病院はこの世の生地獄」という事実を痛切に唄いあらわした阿呆陀羅経の文句。
 (2)「世界の人間は一人残らず精神病者」という事実を立証する精神科学者の談話筆記。
 (3)胎児を主人公とする万有進化の大悪夢に関する学術論文。
 (4)「脳髄は一種の電話局にすぎない」と喝破した精神病患者の演説記録。
 (5)冗談半分に書いたような遺言書
 (6)唐時代の名工が描いた死美人の腐敗画像。
 (7)その腐敗美人の生前に生写しとも云うべき現代の美少女に恋い慕われた一人の美青年が、無意識のうちに犯した残虐、不倫、見るにたえない傷害、殺人事件の調査書類。
 (編集註・以下本文は、主人公がいつしかこの『ドグラ・マグラ』にひぎつけられ読みふけっていくのだが、その内容は前述の七項目を中心に、それがそっくりこの作品になっていく。ここで注意すべきことは、この作品の巻頭には、原稿の巻頭に記されていたと同じ「胎児よ…」に始る巻頭歌がかかげられていたということである。即ち、この夢野久作の「ドグラ・マグラ」は、その主人公が陳列室で見た『ドグラ・マグラ』そのものであり、その両者の区別がいつしか判然としなくなる仕かけになっている。これが即ち、久作の狙った「万華鏡のごとく華やかにグルリグルリと廻転』するドグラ・マグラの世界であろう。ハヤカワの版では、前記の項に費された頁数は次の割合である――(1)キチガイ地獄外道祭文―25頁。(2)狂人の一大解放治療場――5頁。(3)胎児の夢―22頁。(4)―36頁。(5)空前絶後の遺言書―64頁。(6)(7)――80頁。というわけで、これだけにこの五〇〇頁に及ぶ作品の三分の二が費されている)
 私がいつしかこれを読み終った時、博士が私の後に立っていた。二人でこの『ドグラ・マグラ』の内容を検討していくうちに私には驚くべき真相が開けてきた……。
 (編者註・お恥ずかしい次第だが、これから先の、複雑怪奇、奔放にして奇想天外な内容をダイジェストすることは私には到底できない。結局は主人公が血なまぐさい殺人を犯し胎児の夢を見、プウウ……ンン……という巻頭に戻るのだが、都筑道夫氏のいう、「狂人の主観を通して、狂人をめぐる一事件を描いたもの』だけに、編者はサジを投げた。ただし、大傑作ではあり、必読の書でもあることを声を大にして言う)

文=間 羊太郎 1964年10月『みすてりい』第四号

1976年11月にはTBSが2回にわたって「野口英世伝“光は東方より”」を放送しました。野口英世は黄熱病や梅毒の研究で有名ですが、もちろん医学博士です。ただ臨床医としての経験は殆どありませんから、医者よりは学者というほうが正解でしょう。
臨床実験ということでは、H・G・ウェルズの「モロー博士の島」を映画化した、
「獣人島」Island of Lost Souls
「ドクター・モローの島」The Island of Dr. Moreau
「D.N.A. ドクター・モローの島」The Island of Dr. Moreau
や、
1986(昭和61)年の「海と毒薬」(監督:熊井啓)
1988年に公開された香港映画「黒い太陽731」(続編が作られ3部作となった)
が有名です。

Maurice Jarre – Doctor Zhivago(1965) – Lara’s Theme ララのテーマ

Jerry & The Medicine Men – The Medicine Man(Part 1)

Sunny – Doctor’s Orders(1974)恋の診断書

  ※(追記:この動画は削除されました

 

Carol Douglas – Doctor’s Orders(1974)恋の診断書

  ※(追記:この動画は削除されました

 

医者や病院関連の映像作品、その後もいろいろ作られてますね。

「嫁と姑」(主演:浜木綿子)
「監察医室生亜季子」
「心療内科医・涼子」
「研修医なな子」
「外科医柊又三郎」「外科医柊又三郎2」
「助教授一色麗子 法医学教室の女」
「外科医有森冴子」
「法医学教室の事件ファイル」
「ええにょぼ」
「輝く季節の中で」
「救命病棟24時」
「振り返れば奴がいる」
「外科医・夏目三四郎」
「きらきらひかる」
「動物のお医者さん」
「小早川伸木の恋」
「ナースのお仕事」
「女医 NOTHING LASTS FOREVER」
「ママは女医さん」
「真夜中の雨」
「コードブルー」
「Ns’あおい(ナースあおい)」
「ブラックジャックによろしく」
「ナイトホスピタル」
「ジェネラルルージュの凱旋」
「医龍」「医龍2」
「Dr.コトー診療所」
「仁~jin~」
「孤高のメス」(本年6月劇場公開の映画)

――まだまだあるでしょう。
学園ドラマに登場する保健室の先生なんかはなぜか美人が多い。あれはどうしてでしょうか。
そうそう、「青い山脈」の校医は、あれは男でした。

『ベン・ケーシー』Ben Casey(Japanese Version)

  ※(追記:この動画は削除されました

 

Ben Casey Spanish Opening(スペイン語版)

Richard Chamberlain – “Three Stars Will Shine Tonight” Theme From Dr Kildare(1962)
(テーマソング)

  ※(追記:この動画は削除されました

 

映画『白い巨塔』予告篇

  ※(追記:この動画は削除されました)

「白い巨塔」のTVドラマでは1967(昭和42)年4~9月にNETが放送した佐藤慶主演(=財前五郎役)のシリーズが最初です。そして大映の映画化(1966年)よりも先に文化放送がラジオドラマ化(1965年)をしております。

白い巨塔(フジテレビ 1977~74年放送)

映画『赤ひげ』予告篇

  ※(追記:この動画は削除されました)

私は病院とか医者はどうもニガ手で、正直ゾッとします。
そのため病院ホラーはもちろん、シリアスな病院ドラマも見たいという気がしない。
医者や看護師のみなさんはどうなんでしょう。病院ホラーとかぜんぜん平気なのかな?
あれはドリフターズの初期の映画だったと思うんですが、手術のシーンがあって面白くやってるんだけど気味がわるい。
それがトラウマになって、しばらく神経が過敏になってしまったことがありました。

Colette Magny – Saint James Infirmary セント・ジェームス病院
冒頭、ショパンの葬送行進曲。

浅川マキ – セント・ジェームス病院(1973)

Louis Armstrong – St. James Infirmary

 

追加記事

(2010年12月12日)