金嬉老死去

静岡県で1968年に暴力団幹部ら2人を射殺後、温泉旅館に立てこもった「
金嬉老事件」の金嬉老元受刑者が26日、韓国・釜山市の病院で死去した。81歳だった。最近、前立腺がんの治療を受けていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100326-00000055-jij-int

あの事件のことはよく覚えてます。
彼が事件を起こすまでの間、日本で差別を受けていたことは事実でしょう。
私の時代でもそういうことは起こってましたから。
本人は特に学校の教師からのいじめが酷かったと述懐してますね。
彼を含めて大多数の在日は日本国籍をあえてとらなかったわけだし、朝鮮・韓国は戦後、日本に対する敵視を続けていたので、当然、「日本を敵視する」「外国人」ということで就職は圧倒的に不利。
今の人は知りませんが昔の在日の人は激昂しやすいタイプが多く、我々日本人からはいささか乱暴・粗雑との認識を持たれていましたから、そういう部分でも敬遠されておりました。
あとは底辺で苦労を重ねるか、やくざになるしか生きる途はない、というのがあの時代までは普通だったようです。
ですから暴力団とのトラブルはある意味必然でもあった。
その暴力団も在日が多いのですから、在日同士のトラブルであった可能性も考えられます。
記者らを前にして彼は、「やくざに義理人情などない。清水の次郎長なんてウソッパチ」という趣旨の発言をしていました。
次郎長はやくざが100%日本人だった時代のやくざだし、晩年次郎長に社会的功績があったことは歴史的事実なので、戦後やくざの代表として引き合いに出すにはチト説得力に欠けるなぁと、当時私は思いましたよ。
刑期があれほど長かったのは、籠城のあいだ警察組織といろいろ駆け引きを試みたからでしょう。
近年のテレビ取材で、日本に帰りたいと話していたのが印象的でした。

 モデルの面接に訪れた女性に乱暴したとして、警視庁原宿署は強姦の疑いで、東京都世田谷区、芸能プロダクション経営(49)を逮捕した。同署によると、容疑者は「合意の上だった」と否認している。
 逮捕容疑は昨年7月上旬、渋谷区内にあるプロダクション事務所で、モデルの面接に訪れていた女性(20)を乱暴したなどとしている。

http://news.biglobe.ne.jp/social/220/san_100325_2207668488.html

テレビ局、代理店を含む「芸能界」ではあまりにありふれた話。
昔は芸能界といえば、色と欲との二人づれ、やくざ稼業があたりまえでした。
そうした状況をミュージシャン出身のプロダクション経営者たちが時間をかけて改善していったのが昭和30~40年代。
それでも不心得者や悪徳業者があとを絶ちません。

「匠」と呼ばれる建築家の手によるリフォームで、ボロ家が見違えるほど美しくなるテレビ番組「大改造!!劇的ビフォーアフター」(朝日放送)に出演した神奈川県内の1級建築士と建設会社に対し、建築を依頼した男性が「欠陥住宅だった」として、計9800万円の損害賠償を求める訴えを横浜地裁に起こしていたことが分かった。新築マイホームがカビだらけになってしまったという。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100326/dms1003261221002-n2.htm

あの番組、面白いけど通常いうところの「リフォーム」の域を超えていると思います。あそこまでやるなら新築・建替えでいいんじゃないか。もちろん使える建材は再利用するにしてもね。

私が家を建てるなら、北鎌倉に小津安二郎の映画に出てくるような木造日本家屋を作りたい。逆に手作りの部分が多くなって、建材より手間賃のほうで高くつくことは請け合いです。
そこで私は笠智衆になります。「独りになるときゅうに日が長ごおなりますわい」「あんたはほんとにええ人じゃ」「ありがと」

小津安二郎の映画音楽
サセレシア「早春」「東京暮色」「彼岸花」より

Paul Whiteman & his Orchestra – Valencia(1926)

Ben Selvin’s Knickerbockers – Valencia(1926)

Eugene Brockman’s Dance Orchestra – Valencia(1926)

Kapelle Merton – Valencia(1926)

Tito Schipa – Valencia(1926)

Mistinguett – Valencia(1926)

Jan Peerce – Valencia(1950)

追加記事

(2011年11月12日)

 

フィンランドのROCK/POPS(1)

フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語ですから、こと音楽に関しては両国の垣根はほとんどなかったといっていいでしょう。

ロシア文化の影響も強かったようです。
隣国と少し違うのは戦前に流入したアルゼンチン・タンゴやラテン音楽が戦後もフィンランドの流行歌のメイン・ストリームになっていたこと。ジャズやエレキ・インストも含めその方面では、賑やかなものより哀切な曲調のほうがより好まれる傾向にありました。
しかし哀愁モノ(?)ばかりだったのかというとそうではなく、特に60年代以降はハッピーなムードのものが目立つようになり、そうしたものが主流になっていきます。70年代のディスコ・ブームでは老いも若きも大いに歌い踊り、盛り上がりました。静謐なメロディの内省的なバラードも70年代以降の定番スタイルといっていいでしょう。
国家としては1952年のオリンピック・ヘルシンキ大会が西側諸国における存在感を示す大きなきっかけとなりました。

1960年のヘルシンキの風景を写した8ミリ映像。

1962年の映画『Taape Tähtenä』

フィンランドの作曲家Unto Mononenを描いた1999年の映画『Satumaa – Unto Monosen elämä ja tangot』

1961年~1967年のユーロビジョン・ソング・コンテスト フィンランド代表の歌のダイジェスト。

 

【女性歌手編】

Laila Kinnunen
ライラ・キンヌネン(1939年生まれ、2000年歿)
1960~70年代に活躍した女性歌手。
ジャズ、ラテン、ロシアの歌、ボサノバ、ポップス、ビートルズ――なんでも巧く歌いこなす才能の持ち主。

Laila Kinnunen – Kellä kulta sillä onni(1959)
Everybody Loves A Lover

Laila Kinnunen – Tiet(1962)
Pony Time

Laila Kinnunen – Time for a Time(1963)

Laila Kinnunen – Älä Kiusaa Tee
Bad to Me

Laila Kinnunen – Kaikki Rakkauteni

  ※(追記:この動画は削除されました)

Laila Kinnunen – Vain päivän tahdon kerrallaan(1968)

Laila Kinnunen – Lauluni

フィニッシュ・ポピュラーソング系、映画・舞台・テレビ挿入歌のオリジナル

米英カバーとそれ風のオリジナル

ボサノバのカバー

ジャズとジャズ風のオリジナル

ラテンミュージック系

カンツォーネ、イタリアン・ポップスのカバーとそれ風のオリジナル

ロシア音楽

スペイン音楽

アメリカ民謡

シャンソン

タンゴ

イスラエル民謡

南アフリカ民謡

出演CM

参考