時には兵士のように

 オバマ米大統領が10日、ノルウェーのオスロで行ったノーベル平和賞の受賞演説に、被爆地の広島と長崎で波紋が広がっている。「時に武力は必要だ」と、戦争容認と取れる発言をしたオバマ氏に、被爆者は核廃絶に向けた活躍に期待を寄せながらも、「戦争肯定は間違い」「良い戦争と悪い戦争があるのか」と失望や憤りの声を上げた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091211-00000142-jij-soci

50年ちょっと生きてきて、
「戦争には良い戦争と悪い戦争があり、我々のは正義のための良い戦争」という論調は左翼、
「我々の戦争はやむにやまれぬ自衛のための戦争だ」との主張は右翼、
「我々は絶対正義である。それに刃向かう者は極悪である。極悪は倒さねばならない」という理屈は宗教・セクト、
という漠然たる印象が私にはあります。
どのみち若者が戦場に送り込まれ、殺し合いをすることには何ら変わりはありません。

人間の歴史はそのまま、対立・抗争・闘争の歴史、暴力・武力行使の歴史、戦争の歴史でありました。おそらく最後までそうでしょう。
そして近代においては戦争は経済活動でもあります。アメリカのように戦争をし続けないとたちゆかない戦争中毒国家さえある。
中国もロシアもアメリカも地雷は「非人道的」と言いながら製造・販売を続けておりますね。もちろん地雷だけではありません。銃火器から戦車、戦闘機、クラスター爆弾、大陸間弾道ミサイルにいたるまですべては商品であり、その流通・在庫一掃のために、戦争という名の消費行動と、新たな市場となる紛争地域の開拓が絶対命題となることはいうまでもない。

巨費を投じて各全国紙に全面カラーで「核廃絶」の意見広告を出すカルトフィギュア(熱狂的に崇拝される人物の意)でさえ、「たしかに、テロ行為は絶対に是認されるべきものではない」 「それと戦うために、ある場合には武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。また、そうした毅然たる姿勢がテロへの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはありません」などとアメリカの対イラク戦争を支持するのですから、何をか言わんやでしょう。もちろん核保有国に対して「やめろ」と物申すことは一切ないし、人権蹂躙も見て見ぬふり。でもそれが普通なんです。
戦争がビジネスなら、反戦もまた自己を利する道具、身を飾るアクセサリー、保身と自己正当化の大義名分でしかない。
だから人間なんてつくづくいやになる。つまりませんなぁ。

私はいかなるスジの主張であっても、全体主義、とりわけ権力・支配層にとって都合のよい制度・思想の強制には反対をいたします。そしてその延長上にある戦争にも反対です。
しかしまた同時に、人間はそんな立派なものじゃないという惨憺たる理解もしているつもりです。
この世にかつてただの一人も偉大な人間などいなかったし、あるのはせいぜい人間の偉大な瞬間だけだろうと。
凶悪犯が人の命を救うかもしれないし、大慈善家が盗みをはたらくことだってあるでしょう。
欲望と怒りは結局コントロールできません。できちゃったらそりゃモウ人間じゃない。六条御息所の霊じゃありませんが「瞋恚の火焔は身を焦がす」ってやつです。そして人間以上の人間は存在しません。
だから私はあまり期待していないんです。神や仏や造物主なるものが、もしも目の前に現れたとしたら「このザマはなんですか!」と毒づいて蹴っ飛ばしてやりますよ(笑)

歌で世の中は変えられませんが、歌で人が動くことは往々にして起こりえる。正確にはある程度の情報・知識を得た上で、ということですが。
それでいい結果が出るように行動できればいいが、逆もあります。だから、ある程度マインド・コントロールが施された上での、歌による自己陶酔、と言い換えてもよろしい。
軍歌でも反戦歌でも、何かを訴求するたぐいの歌には、要注意です。うっかりその気になっちゃイケマセン。

more register movement » 死者への禱り ~あのころ不幸だった者たちへ~
にも書いたとおり、昔のボツ企画に『軍歌・反戦歌 歌合戦』というのがありました。
軍歌に代表される主戦の立場の歌を聞いて平和の欺瞞に思いを致し、プロテスト・ソングに代表される反戦の歌を聞いて戦争の本質を考える、そういう企画です。
今回このブログでカテゴリーとして『歌で聴く戦争と平和』というのを考えてみました。
とりあえず過去の投稿でこの範疇に入るのは以下のとおりです。

 

Marching Through Georgia; It’s A Long Way To Tipperary

「東京節」
アメリカ南北戦争(Civil War)の時の歌「Marching Through Georgia」が、日本では「東京節」として大正時代の後半に流行しました。
この歌の場合 作者がはっきりしてますが、アメリカの初期の歌はルーツをたどるとヨーロッパの古謡や讃美歌にまでさかのぼることが結構あるようです。
「東京節」としてのノスタルジックでコミカルな味わいもさることながら、「ジョージア・マーチ(ジョージアを越えて)」の決然奮起を促す本来の調子も心を撲(う)つものがあります。例えば廃娼を訴えて遊郭を行進する救世軍の如き侠気、向こう見ずの一途さが私なぞには強く感じられるのです。

大正時代を代表するコミックソングの作品で、東京という土地に愛着を示しながらもそれを可笑しく表現した特徴的な歌である。1919年にリリース。元々のメロディーはヘンリ・クレイ・ワークによって作曲されたアメリカ南北戦争時のシャーマン将軍の海への進軍の様子を描いた『ジョージア・マーチ』(または『マーチング・スルー・ジョージア』 Marching Through Georgia)であり、それに添田が歌詞をつけたもの(資料によっては作曲者が添田知道(添田さつき)や神長瞭月とされていることがある。
パイノパイノパイ – Wikipedia

“Marching Through Georgia” (sometimes called Marching Thru’ Georgia) is a marching song written by Henry Clay Work at the end of the American Civil War in 1865. It refers to U.S. Maj. Gen. William Tecumseh Sherman’s heroic March to the Sea late in the previous year.
Marching Through Georgia – Wikipedia, the free encyclopedia

 

鈴川小梅(伊藤かな恵) – パイノパイノパイ(東京節) テレビアニメ「大正野球娘。」より

  ※(追記:この動画は削除されました

「乞食」の歌詞が「喧嘩」になってます。
当時の日本で『三文オペラ』に描かれたような「組織」があったかどうかは知りませんが、窮民を救おうとした人々は確かにおりました。

大工哲弘 – 東京節

 

James F. Harrison and Chorus – Marching Through Georgia(1913)

Charles Ives – Symphony n.4 – II. Comedy: Allegretto (first part)

アメリカの作曲家チャールズ・アイヴズ(1874-1954)の、交響曲第4番 第2楽章 Comedy. Allegretto。
他曲に混じってMarching Through Georgiaが引用されてます。
ほとんどカオス状態ですね。

 

San Francisco Bay Blues | more register movement
でも、触れましたが、戦争とは関係ない歌詞なのに第一次大戦でイギリス兵の愛唱歌となった「It’s a Long Way to Tipperary」などもなかなかよろしい。大学の応援歌みたいで元気が出ます。
「Marching Through Georgia」から約半世紀後の曲で、メロディもぐっとスマートになってます。
日本では1917(大正6)年、浅草オペラ『女軍出征』の中で「ティペラリー」の題名で「ダブリンベー(I’m On My Way to Dublin Bay)」などとともに歌われ、知られるようになりました。
1970年の映画『暁の出撃(Darling Lili)』の冒頭、ジュリー・アンドリュースが劇場の舞台で士気高揚のためこの曲を歌うシーンがあります。

Albert Farrington – A Long Way To Tipperary

 

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虎姫一座 – 東京節(パイのパイ節)
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