歌う米国債

June 12 (Bloomberg) — Italy’s financial police said they asked the U.S. Securities and Exchange Commission to authenticate U.S. government bonds found in the false bottom of a suitcase carried by two Japanese travelers attempting to cross into Switzerland.

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601101&sid=afJXAA1ahZyo

イタリア財務警察は今月3日、イタリアからスイスに1340億ドル(約13兆円)相当の米有価証券を持ち出そうとした日本人2人を拘束した。在ミラノ総領事館は当局の報告で拘束を確認したが、2人の国籍も含め事実関係については「捜査中なので明らかにできない」としている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090611-00000001-mai-soci

イタリアで報じられた2人のパスポート写真を見ると、内一人はどう見ても日本人ではなく、もう一人もかなり南方系の雰囲気です。
見つかった有価証券が途方もない額の米国債やケネディ債券で、しかもニセモノ、さらにはイタリア当局が2人を釈放し、日本大使館は行方を把握していない・・・
というので、いろいろ憶測が飛び交ってるようですね。

そうそう、むかし「米国債(U.S.Bonds)」という名の歌手がいました。
ゲーリー U.S.ボンズ(Gary “U.S.” Bonds)。1939年フロリダ州ジャクソンビル生まれ。
出生時の名前はゲーリー・アンダーソン(Gary Anderson)。
3歳のとき一家でヴァージニア州ノーフォークに引っ越し、
のちに名をUlysses Samuel Bondsと改めたことから芸名がGary “U.S.” Bondsとなりました。
1961年6月、Frank Guida率いるノーフォークのマイナーレーベル ルグラン・レコード(Legrand Records)からリリースされた2枚目のシングル『真夜中のロック・パーティー(Quarter to Three)』が大ヒットし、一躍スターダムにのし上がった人でした。
ちなみにQuarter to Threeとは3時15分前、すなわち2時45分という意味。
1962年3月には、ザ・ストンパーズ(The Stompers)というグループが曲調はやや異なるもののQuarter to Threeの存在をふまえた『Quarter To Four Stomp』というゴキゲンなダンスナンバーをヒットさせています。

この『真夜中のロック・パーティー』はまるでパーティ会場で歌ってるかのような雰囲気で録音されてるので、当時「パーティ・サウンド」などと形容されていました。ジャズのライブ盤などに比べて音質が悪いのは実はジャム・セッションの仮録音だったからという話もありますが、真相は不明です。
レイ・チャールズの『ホワッド・アイ・セイ』にも歓声や拍手が入ってますが、あれはスタジオでの擬似ライブで、一聴、クオリティの差は歴然です。

LP「Dance 'til QUARTER TO THREE with U.S.BONDS」

(上)LP『Dance ’til QUARTER TO THREE with U.S.BONDS』1961年。
『Minnie The Moocher(お嬢ミニー)』や自身のヒット『New Orleans』『School Is Out(道草ロック)』を収録。
『アメリカン・バンドスタンド』がブレイクのきっかけだったことからディック・クラークがライナーを寄せています。

LP「Twist up Calypso  Gary U.S. Bonds」

(上)LP『Twist up Calypso Gary “U.S.” Bonds』1962年。
自身のヒットのほか、『Mama Look A Booboo』や『DAY-O』といったアメリカで知られているカリプソが収められています。

LP「ROCK'S REVOLUTION: THE ROOTS」

(上)LP『ROCK’S REVOLUTION: THE ROOTS』1979年。
ルグラン・レコードのヒット曲集。
ノーフォークの地元グループでレーベルの専属バンドだったChurch Street Fiveが1963年に録音した『Nite with Daddy G』(Daddy GはGene Bargeのこと)がA面のラストになにげに入っています。
南部のゴスペル~ソウルの伝統が感じられる渋いブラスサウンドで、70年代になってから高い評価を受けるようになりました。
このChurch Street FiveもGene Bargeも、『真夜中のロックパーティー』に深く関わってます。

シングル「真夜中のロック・パーティー」清原タケシ(左)Quarter to Threeの日本語カバー、シングル『真夜中のロック・パーティー』1961年ビクター。
作詞:井田誠一、編曲:寺岡真三、歌:清原タケシ

『真夜中のロック・パーティー(Quarter to Three)』のヒットから3か月後の1961年9月、ディオンが『浮気なスー(悲しき恋の物語)(Runaround Sue)』をリリースします。作者のクレジットはアーニー・マレスカ(マレシュカ)とディオン・ディムチ(=ディオン本人)。
『真夜中のロックパーティー』のサウンドをより明瞭にし、失恋ソングに焼き直して、これまた大ヒットとなりました。

そのヒットを受けて、ディオン自身の自己模倣も当然ありましたが、

カーロとベルモンツ(Carlo & The Belmonts)『Diddle Dee Dum』『Little Orphen Girl』、
ジンジャー・デイヴィス&スナップス(Ginger Davis & The Snaps)『I’m No Run Around』、
ラル・ドナー(Ral Donner)『Run Little Linda』、
カーティス・リー(Curtis Lee)『悲しきウィークエンド(Lonely Weekends)』、
バリー・ダーヴェル(Barry Darvell)『アダムとリンゴ(Adam And Eve)』、
ディッキー・リー(Dickie Lee)『いとしのリンダ(I Saw Linda Yesterday)』、
ザ・ラファエッツ(The Lafayettes)『いとしのベイビー(I Still Do)』、
ジョニー・シンバル(Johnny Cymbal)『リトル・ミス・ロンリー(Little miss lonely)』、
フレディ・キャノン(Freddy Cannon)『Do What The Hippies Do』、
ザ・ヴァイカウンツ(The Viscounts)『That Stranger』、
ディーン・クリスティ(Dean Christie)『I’m A Loser』『Heartbreaker』、
ボビー・ロイ(Bobby Loye)『I’m Starting Tonight』、
ボビー・リオ(Bobby Rio)『Don Diddly』、
トレイド・マーチン(Trade Martin)『That Stranger Use To Be My Girl』『Strategy』、
レディー・ラック&ザ・ララバイズ(Lady Luck & The Lullabies)『Dance』、

といった、アンサーソング、便乗ソング、曲調を真似た歌があまた作られたのでした。
シングル「ハッピー・エンド物語」ダニー・ジョーダン中でも、リンダ・ローリー(Linda Laurie)の『ステイ・アット・ホーム・スー(Stay At Home Sue)』は替え歌で作ったアンサーソングの代表として、
また、類似曲調の部類では、明確なるアンサーソングでもあった、
(右)ダニー・ジョーダン(Danny Jordan)『ハッピー・エンド物語(Runaround Sue’s Getting Married)』(日本コロムビア 1962年11月発売)の存在が、Oldiesファンの間で広く知られています。

この『ハッピーエンド物語』は大方の予想を裏切らず(!)浮気なスーと縒りを戻して結婚したというものでして、このように歌の主人公が結婚をしてメデタシメデタシで終わるというパターンでは、バディ・ホリー自身による『新婚のペギー・スー(Peggy Sue Got Married)』とか、
結婚と婚約の順番は逆ですが、ロリポップス(The Lollipops)の『ペギーのハートは(Peggy Got Engaged)』であるとか、
あるいは、ジム・リーヴスの『メキシカン・ジョー』に対するCarolyn Bradshawの『The Marriage Of Mexican Joe』、
古くは『Minnie The Moocher』に対する『Minnie The Moocher’s Wedding Day(ミニー・ザ・ムーチャーの婚礼日)』(1932年ハロルド・アーレン作曲)なんてのもあるくらいで、
西欧人の認識では、おおむね結婚=ハッピーエンド、ということになってるようです。

『真夜中のロック・パーティー』が大好きだったブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)は1981年、自身のバンド Eストリート・バンドのギタリストであるマイアミ・スティーヴ(スティーヴ・ヴァン・ザント)との共同プロデュースで、ニューヨークを拠点に細々とやっていたゲーリー U.S.ボンズに『いかしたあの娘(This Little Girl)』(下左)を録音させ(ブルースも歌で参加しています)、カムバックのきっかけを作りました。
シングルとそれを含むアルバムは大ヒットし、続く2作目のアルバムからのシングルカット『失業ロック(Out Of Work)』(下右)も好セールスを記録しました。
(このとき日本ではボンではなくボンという表記だったので、あたしゃカックンときちゃいました)

シングル「いかしたあの娘」ゲーリー U.S.ボンズシングル「失業ロック」ゲーリー U.S.ボンズ

ゲーリー U.S.ボンズは2009年現在も現役で、DooWopやOldiesのショーに出演し、歌っているということです。

 

追加記事

 米国からの報道によると、多くは印刷が粗雑で、米財務当局は「写真を一見しただけで偽物とわかる」と指摘したという。
 伊当局も「債券偽造事件」と見て、捜査を進めている模様だが、経過は公表しておらず、事件の真相は闇の中。各国メディアの注目も高く、英紙フィナンシャル・タイムズは、「債券はおそらく、イタリア・マフィアによる偽造品」だと指摘。米ブルームバーグ・ニュースは「(2人は)北朝鮮の工作員か」との見方を報じた。
 イタリアのスイス国境付近では、今年4月にも、偽造品と見られる巨額の日本の債券(額面計2兆円)が押収され、所持していたイタリア人1人が拘束されており、当局は今回の事件との関連を調べていると見られる。
 当局は2人が逃亡する恐れはないと判断し、即日釈放した。在ミラノ日本総領事館は、2人が日本の旅券を所持していることを確認したが、釈放後の行方は把握できていない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090619-00000808-yom-int

二通りの見方があるようで、
ひとつは北朝鮮やマフィアによる単純な犯罪。
いまひとつは、近々米国債が暴落し債務不履行が避けられなくなりそうなので、その前に少しでも売っておきたいと考えた日本政府の裏マター説。
後者については、アメリカが察知してイタリア政府に通報し売却を阻止したが日米伊が世界経済への影響を考慮して真相をもみ消した、と講釈する向きもあります。
その場合、債券はホンモノ、日本人2人は政府関係者ということになりますが・・・さて?
(2009年6月19日)

追加記事

 その「米国債入札協調協定」(仮称)は、米国がのどから手が出るほど欲しい奇策である。ゆうちょ銀行の貯金は約190兆円。その8割は日本国債の購入に充てられているが、今後は米国債の比重を高めていく。そのゆうちょ銀行の拠出などを原資に、日米両国で米国債の協調入札制度を新たに始めようという前代未聞の二国間協定だ。
 財務省関係者が打ち明ける。
「核の“密約”どころの話ではない。日本人の貯金を米国に売り飛ばすとんでもない“密約”になる」
 実は麻生太郎政権時代にも米側サイドから秘かに二国間協定の打診があったが、当時の中川昭一財務相が動かなかったといわれる。一度はお蔵入りした極秘協定が、ロックフェラー側の示唆もあり、息を吹き返そうとしているのである。
(中略)
 こうしたなか、亀井静香金融担当相が大胆な行動に出た。2月1日、英国の経済紙『フィナンシャルタイムズ(FT)』との単独会見に応じ、驚くべき発言をしたのである。
「日本郵政の郵便貯金の運用先として米国債購入を考えている」
 この発言はFTのオンラインを通じて世界の金融市場に流れ、一時暴落懸念のあった米国債相場を救った。
「亀井発言は米国債市場の新たな買い手出現とマーケットに歓迎された。暴落懸念の一歩手前で寸止めした絶妙なタイミングだった」と米系投資銀行のマネージャーは真相を語る。

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1183056417/562-566n

血税を宗主国に上納しなければならない悲しき日本。
政治的・経済的心中です。
(2010年4月28日)