日別アーカイブ: 2009/05/25 月曜日

ある定年退職

今場所限りで相撲協会を定年退職する東関親方(元関脇・高見山)が24日、両国国技館で会見し心境を語った。現役20年、親方25年の相撲人生を振り返り「45年でよくここまで来た。辛抱して先輩の言うことを聞いて頑張ったからかな。もう少し長くやりたい気持ちもあるけど、きょうが最後。ゆっくり休みます」と感慨深げだった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090525-00000041-spn-spo

日本の国際化を象徴していた方です。
と同時に、古いタイプのハワイ人の持つ篤実さと、明るいヤンキー気質で、大相撲という徹底した階級制度の世界を見事に渡りきった大人物、ともいっていいでしょう。

資料室を見たらLPが1枚出てきました。
松下電器が1977年に車載を想定したポータブル・テレビ『トランザム』を発売しまして、そのCMに人気力士だった高見山が出演、大評判となりました。40代後半以上の人ならご記憶でしょう。
それを受けて同年、ワーナー・パイオニアからシングル盤『スーパー・ジェシー パートI』が出て、ついで9月にリリースされたのがこのアルバムでした。

LP「Jesse on stage」スーパー・ジェシー

タイトルは『Jesse on stage』。
ヘイ・ユウ・ブルース的つくりの『I’m JESSE, SUMOU-MAN』、デキシーランドジャズ・テイストの『スーパー・ジェシー パートI』と『スーパー・ジェシー パートII』、ピンク・レディーのヒットを中心にしたメドレー『カルーセス・ペッパーは帰らない(’77ヒット曲メドレー)』のほかは、いわゆるオールディーズ・カバー・ポップスで、『サニー』『ミスター・ベイスマン』『V・A・C・A・T・I・O・N』『ジョニー ビー・グッド』『ダイアナ』『ヘイ・ポーラ』となっております。
このレコード、歌唱者表記はスーパー・ジェシーとあるだけで、高見山の名は見当たりません。それもそのはずで、よくよく聞けば他人の声。子供が間違えて買ってしまうんじゃないかと、まぁ今さら心配してもしょうがないですけど・・・
歌詞カードに小さくSpecial thanks toとして光井章夫の名が記されてます。この方がスーパー・ジェシーの正体でした(トランザムCMの声もそう)。しわがれ声で歌ってるのに、音は外さないし、端々にどうしても巧さが出てしまってる。
それも当然で、業界では「日本のサッチモ」と尊称されてるジャズ・トランペットの大ベテランなんですから。

実は同じ1977年、東芝EMIから本人の声によるシングル『スーパー・ジェシー/夢見るジェシー』が出てまして、ちゃんと歌=高見山大五郎と特筆大書されております。まぁ歌ってるわけじゃなくて相撲用語を時々叫んでるだけだったんですが、それが限界だったということでしょう。でも少なくとも来日前の高見山はオンチじゃなかったようです。

日本へきたのは昭和39年(1964年)、19歳のときだった。元前田山の高砂親方に誘われ、「日本が見たかった」と母親の反対を押し切っての来日だった。羽田へ着いたときは大雪だった。「シャーベットかと、なめてみたが甘くなかった」
(中略)
トレードマークのハスキーボイスも、稽古が生んだものだった。扁桃腺を切ったあとも休ませてもらえず、稽古を続けていてのど輪が入って、おかしくなった。高校時代はコーラスをやっていたという美声は失われた。
http://www.j-cast.com/tv/2009/05/25041797.html

本物の雪に触って感動したというエピソードは、アグネス・チャンの『雪』を連想させます。
いづれにしろ77年の時点で「歌える」状態でなかったため、吹き替えとなったのでしょう。でもそれ自体はどうこういう問題じゃありません。マーニー・ニクソンがデボラ・カーやオードリー・ヘップバーンやナタリー・ウッドを吹き替え、北京五輪で楊沛宜 Yang Peiyi が林妙可 Lin Miaoke を吹き替えたようなもんですから。大人の事情ってやつでね。

高見山はオンチかと思いきや、元々はそうじゃなかった、、、なんだか嬉しい事実でもあり、ちょっとガッカリする話でもあります。
私はオンチの人にはそれだけで親しみを感じるんですよ。ほかならぬ私自身が聞くに堪えないオンチなもんで(笑)
だからさして巧くもない歌を、まるで同人雑誌の合評会のような居心地悪い雰囲気の中で、歌いあい聞きあい、儀礼的に拍手したりする「カラオケ」なるものは、その存在自体がまったく信じられません。

あれは1996年だったと思いますが、日テレ系の『どんまい!! ロバの耳そうじ』でローバー美々役を了(お)えたばかりのタレントかわのえりこ(当時第一プロ所属)と、前年暮に吉本を“円満退社”して東京進出を目論み単身上京、テレ東の佐藤哲也プロデューサーにピックアップされて『NEWSモーニングJAM』『こちらお天気情報部』という2本のレギュラーを得たばかりの小高のりこ(現・小高麻友美)で女性デュオを組ませ、レコードデビューさせようと奔走していた私は、
当時ファンハウス第二制作宣伝本部部長をなさっていた元東芝レコードの名プロデューサー草野浩二氏に無理にお願いして、かわのえりこの歌を恵比寿のカラオケ屋で聞いていただいたことがありました。かわのえりこはそのとき『キューティー・ハニー』を気持ちよく歌ってましたが、圧倒的な前川陽子のオリジナルテイクの印象が強すぎたせいか、草野氏の食指は動かなかったようでした。
その折、私がなにげなく「草野さんはカラオケとかなさるんですか?」と伺いましたところ、草野氏は「ものすごく巧い歌をさんざん聞いてきたんで、もうそれで十分。自分じゃ歌わないよ」とおっしゃった。
草野氏がほんとうにカラオケをなさらないのかは知りませんが、多くのプロ歌手たちとヒット曲を作り続けてきた人の言として、実に重みのあるものでした。
そのことがあって以来、私は堂々とした態度でカラオケのお誘いを辞(ことわ)ることにしてるんです。