フジヤマ・ママもママの内

 子供の頃「フジヤマ・ママ」なんていうロックンロールが流行っていて、歌詞にはヒロシマという言葉があった。それは原爆が爆発するようにママにはエネルギーがあるという比喩に使われていた。一九五〇年代、アメリカの一般人にとっては、原爆がそんな風にヒット曲の歌詞に歌われても、抵抗ないものだったのだろう。
<鈴木幸一『まだ宵の口』 週刊文春5月21日号P89より一部引用>

 『フジヤマ・ママ』への言及は珍しいので、記事をクリップさせていただきました。
 たしかによく考えてみると、詞の内容がやや国辱的ではあります。
 原爆を落とした国が軽々にこうした歌を作り、それがそれなりにヒットしてしまったのは、アメリカの軍や政府が厳重に情報統制をし、その惨状が国民の耳目に届かぬようにしたことが背景にあったからと推察されます。つまり事実の隠蔽・国民に対する欺瞞はまんまと成功していた、というわけです。
 日本でそうした情報が出るようになったのは講和条約発効後のことで、しかも左翼運動の流れの中で少しずつ出てきたということもあり(つまり反米は左翼という戦後的理解から)、レコード会社も日本を歌ったヒット曲だからと考えもせずローカル盤を企画したのでしょう、ビクターの雪村いづみが1958年5月、テイチクの沢たまきが同年6月にそれぞれの訳詞で出しています。
 ちなみに韓国出身の双子姉妹ユニット レッド・ペッパー・ガールズも、亜蘭知子の新しい訳詞で2008年9月発売のインディーズ・アルバムの中でカバーしています。

SP・シングル「フジヤマ・ママ」雪村づみいづみシングル「ロッカチッカ/フジヤマ・ママ」沢たまき
 

 『フジヤマ・ママ』のオリジナルは白人女性歌手ワンダ・ジャクソンですが、そのワンダ盤も黒人R&B歌手アーネスティン・アレン(Annisteen Allen)のカバーでした。(アーネスティンと憶えたせいか近年のアニスティーンという表記にはどうもピンときません)
 ウィリー・メイ・ビッグ・ママ・ソーントンの『ハウンド・ドッグ(Hound Dog)』、ロイホール、ビッグ・メイベル・スミスの『ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン(Whole Lotta Shakin’ Goin’ On)』、ザ・グラディオラスの『リトル・ダーリン(Little Darlin’)』などと同じで、出来は断然オリジナルのほうがいいのですが、
 これについてはすでにいろんな人がブログで書いてますし、幸いなことにYouTubeでアーネスティン・アレンのも聴けちゃいますので、そちらを参照してください。

 アーネスティン・アレンが歌手として在籍していたラッキー・ミリンダー楽団はハーレムの有名なジャズ・クラブ『サヴォイ・ボールルーム』を本拠地にしていたバンドで、カテゴリーとしてはビッグ・バンド・ジャズなんですが、ジェイ・マクシャン、ライオネル・ハンプトン、アンディ・カーク、アースキン・ホーキンス、バディ・ジョンソンといった人たちと同じように、のちのR&Bサウンドの母体となるようなジャンプ系のスイングをやっておりました。1956年にキングから『ホンキー・トンク(Honky Tonk)』のヒットを飛ばすあのビル・ドゲットも一時関係していたとか。バンドの全盛期はシスター・ロゼッタというミリンダーもお気に入りの女性シンガーがいたころで、40年代も終わりに近いアーネスティン・アレンの時代は経営的にも大変だったようです。
 そもそも白人のスイート、黒人のジャンプ、その中間のスイングに関わらず、ビッグバンドには専属歌手が付き物でして、
 スタン・ケントン楽団にはジューン・クリスティやクリス・コナー、チャーリー・バーネット楽団にはケイ・スター(『ロック・アンド・ロール・ワルツ』は雪村いづみもカバー)、ライオネル・ハンプトン楽団にはベティ・カーター、ダイナ・ワシントンといったふうにそれぞれ在籍し、やがてピンで名をなすようになるわけです。
 独立後の路線は必ずしもジャズ・ボーカルではなく、ポピュラー・ソング、R&B、時にはハリウッド女優など、各自の持ち味を活かしたジャンルに進んでいくのが普通でした。
 アーネスティン・アレンはバンドとは相性が悪かったらしく、早々に出ていって、女性R&B歌手としてヘレン・ヒュームズ、リトル・エスター(エスター・フィリップス)、ルース・ブラウン、エッタ・ジェームズあたりに伍して一時代を築いていきます。このあたりが実に面白い。聴き応えがあるんですよ。
 ラッキー・ミリンダー専属時代のヒット曲『レット・イット・ロール(Let It Roll)』は本人も気に入ってるらしく、1961年にこの曲をタイトルにしたLPを出してます。
 1940年代がブラック・ミュージックの地殻変動期とすれば、50年代は大噴火の時代です。本流のジャズと同様にR&B(レイス・ミュージック)もスモール・コンボが中心となり、いよいよロックンロール黄金時代へ突入!ということになります。

 さて、ワンダ・ジャクソンなんですが、1954年5月30日にシングル『ラビン・カントリー・スタイル(Lovin’ Country Style)/ユー・キャント・ハブ・マイ・ラブ(You Can’t Have My Love)』でデッカよりデビューした人で、曲のタイトルどおり純然たるC&Wの人でした。
 下のLPは、ワンダが同社で出したファーストアルバム『ラビン・カントリー・スタイル(Lovin’ Country Style)』です。彼女の特徴であるダミ声も多少聞かれます。

LP「ラビン・カントリー・スタイル」ワンダ・ジャクソン

 1956年、キャピトルに移籍したワンダは、C&Wから流行のロカビリーにスタイルを変え、1973年にキャピトルを離れるまで、ロカビリーやポップカントリーのレコードを出し続けました。
 『フジヤマ・ママ』は1957年11月の発売でキャピトルでは6枚目のシングルです。
 しかし意外なことにはキャピトルでの最大のヒット『レッツ・ハヴ・ア・パーティ(Let’s Have A Party)』は1960年6月の発売で、ヒットは8月がヤマでした。つまりロカビリースタイルが廃(すた)れるころにようやく人気歌手として花開いた、ということになります。

 『フジヤマ・ママ』にはドゥーワップグループによる同名異曲のあることをご存知でしょうか。
 ヒット曲のタイトルだけいただいて、別な曲をデッチ上げるというセコいパターンはけっこうありまして、たとえば、ビル・ヘイリーの『ロック・アラウンド・ザ・クロック』(1954年4月12日録音)がヒットするとニューオリンズのリル・ミレット(Li’l Millet)という人が同じタイトルの別の歌を吹き込む(1956年)みたいなことがあるわけです。
 故ルーファス・トーマスも『Rocking Around The Clock』というビル・ヘイリーかブレンダ・リーが分らないようなインスト曲を遺してます。

 ちなみにビル・ヘイリーのは、フィラデルフィアの白人バンド ソニー・ディー&ヒズ・ナイツ(Sonny Dae & His Knights)の同名元歌(1954年3月20日録音)を、ハンク・ウィリアムスの『ムーブ・イット・オン・オーバー(MOVE It On Over)』(1947年)のメロディと、ニューオリンズのプリミティヴなセカンドライン、すなわち帰りの葬列で奏されるあのご陽気なデキシーのサウンド、そしてジャンプやウェスタン・スイングでしばしば用いられる演奏パターンを使って、詞はそのままに事実上改変した作品です。
 また、それらとはまったく別の曲で、ウォリー・マーサーという人の『ロック・アラウンド・ザ・クロック』が1952年にドットからリリースされていて、中村とうようが1996年にCD復刻しております。この曲の存在がソニー・ディーやビル・ヘイリーに影響したのか、しないのか。
 アラウンド・ザ・クロックという言葉自体、四六時中という意味のイディオムですから、(Eight Days a Week、一週間に十日来いも近いニュアンスでしょうか)、そういう曲名がいくつかあってもべつだん不思議じゃないのかもしれませんがね。

 で、『フジヤマ・ママ』に戻りますけど、ドゥーワップグループによる同名異曲というのが、
1959年、グローダス・ミュージック(Glodus Music、ニューヨーク・ブロードウェイ)のCLAYレーベルよりリリースされたジ・アンテナズの『フジヤマ・ママ(Fuji-Yama Mama)』で(写真下)、このシングルは現在、eBayのオークションでは70ドル前後の値が付いてるようです。

シングル「フジヤマ・ママ」ジ・アンテナズ

 同じく『フジヤマ・ママ』に触発されたと思われるものにハリー・カリ(Harry Kari)の『ヨコハマ・ママ(Yokohama Mama)』というのがあるようですが、私は未聴です。

CD「CHOP SUEY ROCK - SONGS ABOUT THE ORIENT VOL.1」(左) ジ・アンテナズの『フジヤマ・ママ』が収録されているHOT & SOUR RECOADSリリースのオムニバスLP『CHOP SUEY ROCK – SONGS ABOUT THE ORIENT VOL.1』(1995年、写真はそのCD版)

 このジ・アンテナズとは別に、ナッシュビル出身の新進3人組パンク~パワーポップ系バンドでジ・アンテナズ(The Antennas)というのがいて、けっこう人気があるようです。

 『フジヤマ・ママ』のように、日本を歌った楽曲(日本もの)というとウィリアム・S・ギルバートとアーサー・サリヴァンの1885年初演のオペレッタ『ミカド(The Mikado)』あたりが嚆矢(こうし)でしょう。
 ポップソングでは戦前の曲に、『ナガサキ(Nagasaki)』というのがありまして、これは1928年、ハリー・ウォーレンとモルト・ディクソンのコンビが、ジャコモ・プッチーニの1904年初演のオペラ『蝶々夫人(Madama Butterfly)』にヒントを得て作った曲といいますから、やはり異国情緒としてのオリエンタリズム、エキゾチック・ジャパンの流れです。
 私はこの『ナガサキ』はグレン・ミラー四重奏団の演奏(1947年録音)で初めて聴きまして、あまりエキゾチックじゃないんで「なぁ~んだ」と、ちょっとガッカリしてたんです。その後1979年ごろだったですか、キャブ・キャロウェイがやはりこの『ナガサキ』をやってることを知って、これが1935年2月の録音ということで、グレン・ミラーより逆に古いんで「へぇー」と思った。
 で、さっそく聴いてみたらグレン・ミラー盤にはなかった歌詞があり、キャブが鼻にかかった例の調子で歌ってて、いつものヘンなスキャットが入りまくり。でも、まぁ日本に対する悪意とかオチョクリとかはなくて、私はグレン・ミラー盤よりこっちのほうが気に入ってるんですがね。

 1945年以降の日本ものでは、46年シカゴで録音されたブルースで、東条英機の名が出てくるホマー・ハリス(Homer Harris)の『原子爆弾ブルーズ(ATOMIC BOMB BLUES)』が原爆投下そのものを扱っております。ただ、歌詞に感情的な言葉はなく、敵国日本への哀れみをまるで琵琶法師のような感じで唄ってるのが印象的です。
 原爆を扱っている楽曲はブルースのみならず、カントリー、ゴスペル、ロックなど各ジャンルに存在してまして、1982年に公開された核兵器に関するドキュメンタリー映画『アトミック・カフェ(The Atomic Cafe)』でそれらがふんだんに使われました。サントラ盤(下写真)には17曲が収められています。

LP「アトミック・カフェ」サントラ

 うたごえ運動系や商業歌謡曲でもいくつかありますが、明確なる反戦歌としてそれらとは一線を画し高く屹立しているのは、何といっても
  高石友也『死んだ女の子』 1967(昭和42)年
でしょう。原詩はトルコからソ連へ亡命した左翼系詩人ナジム・ヒクメットによるもので、作曲はかの外山雄三。
 訳された日本語詩を見ると『千の風になって』の霊魂観に非常に近いものを感じます。こういうのは山川草木云々の汎神論的曖昧さに生きる日本人には受け入れ易いのではないでしょうか。
 この歌、奄美大島出身の元ちとせが2005年の夏にカバーしているそうです。

こういうのはどうでしょう。
バリー・マクガイア『明日なき世界(Eve of Destruction)』などに較べると、洒落っ気があるという印象です。それでも企業の固有名詞が歌詞に出てくるだけで、当時としてはドキドキする部分がありました。

 うたごえ系では
  作詞:G・ムスタキ、作曲:ヒロコ・ムトー『ヒロシマ』
  作詞・作曲:山本さとし『ヒロシマの有る国で』
  作詞・作曲:東京原爆被害者協議会『ヒロシマから』
  作詞:関鑑子、作曲:ブランテル『ヒロシマ』
  里見一郎『ヒロシマ』(作者不詳)
とかが、広島の原爆をそのまま扱ってます。私はジョルジュ・ムスタキと山本さとしの作品が、歌として一般にもアピールするかなと感じました。
 さて、一方、歌謡曲をその完成度から見ていくと、
  藤山一郎『長崎の鐘』 1949(昭和24)年
  扇ひろ子『原爆の子の像』 1965(昭和40)年 ※扇ひろ子は自身も被爆を体験している。
  島倉千代子『ひろしまの母』 1977(昭和52)年
の3曲ということになると思います。
 次点で
  宇都美 清『あゝ広島に花咲けど』
  乙羽信子、宇都美 清『あゝ広島の鐘は鳴る』
ですかね。
 それらとは異なる立場で原爆を扱ってる歌ももちろんありました。たとえば1963(昭和38)年の『広島新曲』(歌=灰田勝彦、柴田珠江、宮島三郎)。灰田勝彦自身による作詞・作曲で、「~じゃけの」という訛りが多用されている、広島カープがらみのご当地小唄なのですが、冒頭「きのこ雲なら昔の夢よ、今じゃ…」とあり、被爆の町のイメージを払拭し新たな一歩を踏み出したいという、市民の複雑な思いが反映されてるようにも感じられます。そうした思いはしかし、絨緞爆撃で焦土と化し、ようやく景観だけは復旧したそのころの各都市に共通するものだったのではないでしょうかね。
 考えるのを止めて忘れてしまうことが過去に区切りをつけることになるのかどうかは別として、被爆者を含むあの戦争の内外の被災者が平和の到来ゆえに置き去りとなってしまったことは、大いなる皮肉というしかありません。

 アメリカで1957年に公開された映画に『Sayonara』(邦題:サヨナラ)という作品がありました。出演者レッド・バトンズの相手役を演じた日本人ジャズ歌手 ナンシー梅木こと梅木美代志がその演技が認められてアカデミー助演女優賞を受賞しております。
 そして同じ年、フランキー・アヴァロンやフェビアンと同じチャンセラー(Chancellor)レコード所属の女性歌手ジョディ・サンズ(Jodie Sands)が『Please Don’t Say Sayonara』なるシングルを出しています。これがいささかナイス過ぎると言っても過言じゃない、いや、この際エクセレントと称すべき佳曲でしてね・・・

バート・バカラック、ハル・デヴィッドが東京オリンピックの年1964年に作ったボビー・ゴールズボロ(当時はゴールズボローと伸ばした表記)の『ジャパニーズ・ボーイ・アイ・ラブ・ユー』もいま聞くといとおしい感じがします。

 東京を歌った海外の楽曲については、
more register movement » 『東京の歌ベストコレクション100』のための資料 » 東京
に載せてありますので割愛するとして、
私の守備範囲外となる1973年以降の曲でどんなのがあるか、ネットで調べてみることにしましょう。

【1973年】
ジェーン・バーキン(Jane Birkin)『カワサキ(Kawasaki)』バイクのカワサキ。

【1978年】
ビー・パップ・デラックス(Be Bop Deluxe)『Japan』

【1979年】
ジンギスカン(Dschinghis Khan)『Samurai』
ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)『想い出のスマハマ(Sumahama)』

【1980年】
トーカウ・ボーイズ(Tokow Boys)『Welcome To Japan』
ゲイリー・ニューマン『別れよう(This Wreckage)』
ポリフォニック・サイズ(Polyphonic Size)『Nagasaki Mon Amour』
クラス(CRASS)『Nagasaki Nightmare』 ※長崎への原爆投下とその惨状をイメージした反戦メッセージのパンクロック。
デニー・レイン(Denny Laine)『Japanese Tears』
ザ・ヴェイパーズ(The Vapors)『Turn To Japanese』

【1981年】
クラフトワーク(Kraftwerk)『Dentaku』。同年の志蔵威『電卓』は日本語カバー。
ポリフォニック・サイズ(Polyphonic Size)『Kyoto』
1981年全英第1位の1発ヒット アネカ(Aneka)『Japanese Boy』

【1982年】
ロスト・グリンゴス(Lost Gringos)『Nippon Samba』

【1983年】
スティックス(Styx)『ミスター・ロボット(Mr. Roboto)』
アンドシーヌ(Indochine)『Okinawa』
ゲイリー・ムーア(Gary Moore)『Hiroshima』

【1984年】
アルファヴィル(Alphaville)『Big in Japan』
デイジーチェイン(Daisy Chain)『No Time To Stop Believing In Love』

【1985年】
フンペ・フンペ(Humpe・Humpe)『Yama-ha(これが人生だ)』
リー・マロウ(Lee Marrow)の『Sayonara (Don’t Stop)』

【1986年】
ザ・クリーチャーズ(The Creatures)『Japan』。
ジグ・ジグ・スパトニック(Sigue Sigue Sputnik)『LOVE Missile F1-11』

【1992年】
メカノ(Mecano)『Japón』

【1993年】
ヒューマン・リーグ(Human League)のYMOカバー『Kimi Ni Mune Kyun』

【1999年】
DMX Krew『KONNICHI WA!』『Denki No Melodi』

【2000年】
スウェイザック(Swayzak)『Japan Air』

【2001年】
フリーズポップ(Freezepop)『テニスのボイフレンド(Tennis Boyfriend)』
Secret Secret『Nichiyobi』

【2002年】
ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)『Hiroshima』

【2003年】
この年発売のボックスセットに収録されたカルチャー・クラブ(Culture Club)『Hiroshima』は、以前からステージで歌われている。

【2004年】
エール(Air)『Alone In Kyoto』

そのほか、こんなのも・・・

 

 ”貿易摩擦”とか”Japan as No.1″とか云われた1980年代、諸外国ではついこないだ大負けに負けたはずなのに気がつけば経済大国にのし上がっていたこの小さな島国への関心が高まり、映画やTVドラマでことさらに日本を扱うケースが急増しました。たいていは日本人がビックリするような、ミョ~な描き方だったんですけどねぇ。そのイメージはカメラを首からぶら下げた観光客の集団、電気製品、電子機器、性能がよくて低価格の小型車、相撲、刀を振り回すサムライ(ジョン・ベルーシのサムライ・デリ)、そして強暴なヤクザ。・・・今もあまり変わってないかもしれません(笑)。

変わってないといえば、我々日本人のアメリカ大衆文化に対する強い憧れも、田中絹代のアメションの時代から、ほとんど一貫してますね。
郷ひろみの『アメリカかぶれ』や桑田佳祐の『ROCK AND ROLL HERO』では、そうした愛好の念と軍事・政治・経済面での反発が常に背中合わせにある心理状態が、自嘲ぎみに告白されています。

CD「ONE SIDED LOVE then SAKATUMI」ルイ・ジョーダン さて、日本ものの極め付けを2曲紹介して終わりにしましょう。
 ひとつはおなじみルイ・ジョーダン。1968年のLP『ONE SIDED LOVE then SAKATUMI』に収められている『サカトゥミ(Sakatumi)』という曲(右の写真は2000年イギリスの復刻盤CD)。

 アルバム、ジャケットのオチャラケぶりからは想像できないくらいいいデキなんですけど、この曲はやってくれちゃってますよー。サカトゥミはどうやら東京から来た日本人の名前のようですね。
 考えてみれば68年ごろに仕事や留学でアメリカに行ってる日本人は、『ティファニーで朝食を』のユニオシみたいな変人か、逆に刻苦勉励の堅物だったでしょうから、当時のアメリカ人からすると奇異に映ったんでしょうなぁ。

 もう一曲。
 冗談音楽の大家スパイク・ジョーンズの『ジャパニーズ・スコキアーン(JAPANESE SKOKIAAN)』(下の写真は日本発売コンパクト盤)。ラルフ・マーテリー楽団やフォア・ラッズが1954年に、ビル・ヘイリーが1959年にヒットさせ、ルイ・アームストロング、ペレス・プラード楽団の録音でも親しまれているジンバブエ産の曲『スコーキアン』の替え歌で、東京から来たサックスを吹く日本人スコキモトをオチョクリまくっている、日本人としては笑うに笑えない、でも笑ってしまうなかなかの逸品です。

コンパクト盤「ジャパニーズ・スコキアーン」スパイク・ジョーンズ

 さてさて、広島・長崎の原爆にも負けないパワーを持っていると歌う『フジマヤ・ママ』はチト無神経に過ぎるんじゃないかというお話でしたが――、
 考えてみると我々日本人もかつては『酋長の娘』、『満洲娘』(服部富子)、『姑娘(クーニャン)可愛いや』(岸井 明、平井英子)、『アイレ可愛や』(笠置シヅ子とその楽団)など、大東亜共栄圏の版図に収めた異国の女性を一方的な理解で歌にしていたし、帝国軍人の戦う相手を「すべて烏合の衆なるぞ」と極め付けていたこともあったわけです。
 そしてまた、そのような高みに立った傲慢さ、無反省、自己批判のなさを「恥」と思える成熟した時代精神も我々はすでに経験してるわけで、
 その意味では「現代文明の基準でいうと、アメリカは45歳で日本人は12歳」とマッカーサーが言った時点からはや半世紀以上が経過して、その間、徒(いたづら)に老成してしまった日本人が、ちっとも成長しないアメリカ人をいつのまにやら追い越してしまった観がある昨今ではあります。
(2009年5月19日)
(2010年12月2日改稿)

 

追加記事

Suki Yaki Hot Saki Sue

ルイ・ジョーダンの『サカトゥミ』にヒントを得ていると思われる歌詞。
(2009年10月26日)

追加記事

1960年7月ビクター発売の歌謡曲に『ワンダフル日本』(歌:灰田勝彦、リンダ・ビーチ)というのがあります。
なんか気になりますね。私は未聴です。
(2010年3月11日)

追加記事

 歌手のクミコ(55)が歌う「INORI~祈り~」が、最新のUSEN総合チャートで1位になった。広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった故佐々木禎子さんにささげた反戦歌だ。3日、禎子さんが折った鶴が展示されている米ニューヨークの米中枢同時テロ追悼施設で親族らが世界平和を誓った。
 2月24日に発売した「INORI…」は、発売から約2カ月たちUSEN総合チャートで急上昇。坂本冬美の話題曲「また君に恋してる」などを抑え1位に上り詰めた。
 禎子さんの兄・佐々木雅弘さん(68)の次男で、シンガー・ソングライターの佐々木祐滋さん(39)が作詞作曲。戦争反対をテーマにした曲が同チャートにランクインするのは、森山良子(62)の「さとうきび畑」(01年)以来で、クミコは「このような歌が多くの方に聴いていただいていると思うと驚きと同時に大変うれしく思います」と話している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100505-00000046-spn-ent

ひさびさの“反戦歌”ということですが、昔の反戦歌にありがちなストレートなメッセージではなく、訣れを前に折り鶴に託された思いを切々と歌い上げるという表現になっています。

折り鶴で思い出すのは千葉紘子の『折鶴』。こちらは反戦ではなく青春の感傷を歌ってます。

(2010年5月4日)

追加記事

(広島県)府中町立府中小の児童が被爆者の体験談を基に詞を作り、同小OBの歌手吉川晃司さんが作曲した「あの夏を忘れない」が完成し、5日、同小体育館で児童と保護者ら約1000人による合唱が披露された。吉川さんは「子どもたちが純粋に感じた言葉を紡いで作った曲を歌い継いでいきたい」と話した。
 歌は、広島に原爆が投下された瞬間の「あの日お日さまが割れて 青空が消えて 残った影」から始まり、「幸せってなんだろう」と、今の人たちが当然と受け止めている平和や幸せの大切さを訴える内容。
 昨春から曲作りの準備が始まり、吉川さんも打ち合わせに何度も同小を訪れ、8月に完成した。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20101106-OYT8T00006.htm

(2010年11月6日)

追加記事

数え切れぬ 爆発 閃光に 引き裂かれたわが心よ――。
 旧ソ連が核実験を続けたカザフスタン・セミパラチンスクで歌い継がれる「ザマナイ」。カザフ語で「時代」「あの時」を意味する曲に、人々は愛する者を失った悲しみや未来への希望を込めた。同じ被爆地・ヒロシマのNGOがこの日本語版を手がけ、歌手TOMOKOさん(東京都)が歌うCD1000枚が完成、世界中の被爆者が手を取り合って核廃絶を訴える。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20101110-OYT8T01198.htm

(2010年11月12日)

追加記事

YouTubeに上がっている原爆ソングをいくつか拾ってみました。

(2011年4月7日)

追加記事

Yvonne Carré – Geisha Twist(1962)
Decca D 19393 German

日本への具体的言及が『フジヤマ・ママ』より多少は増えた感じです。
(2011年12月15日)

 

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