日別アーカイブ: 2009/05/19 火曜日

フジヤマ・ママもママの内

 子供の頃「フジヤマ・ママ」なんていうロックンロールが流行っていて、歌詞にはヒロシマという言葉があった。それは原爆が爆発するようにママにはエネルギーがあるという比喩に使われていた。一九五〇年代、アメリカの一般人にとっては、原爆がそんな風にヒット曲の歌詞に歌われても、抵抗ないものだったのだろう。
<鈴木幸一『まだ宵の口』 週刊文春2009年5月21日号P89より一部引用>

 

 『フジヤマ・ママ』への言及は珍しいので、記事をクリップさせていただきました。
 たしかによく考えてみると、詞の内容がやや国辱的ではあります。
 原爆を落とした国が軽々にこうした歌を作り、それがそれなりにヒットしてしまったのは、アメリカの軍や政府が厳重に情報統制をし、その惨状が国民の耳目に届かぬようにしたことが背景にあったからと推察されます。つまり事実の隠蔽・国民に対する欺瞞はまんまと成功していた、というわけです。
 日本でそうした情報が出るようになったのは講和条約発効後のことで、しかも左翼運動の流れの中で少しずつ出てきたということもあり(つまり反米は左翼という戦後的理解から)、レコード会社も日本を歌ったヒット曲だからと考えもせずローカル盤を企画したのでしょう、ビクターの雪村いづみが1958年5月、テイチクの沢たまきが同年6月にそれぞれの訳詞で出しています。
 ちなみに韓国出身の双子姉妹ユニット レッド・ペッパー・ガールズも、亜蘭知子の新しい訳詞で2008年9月発売のインディーズ・アルバムの中でカバーしています。

SP・シングル「フジヤマ・ママ」雪村づみいづみシングル「ロッカチッカ/フジヤマ・ママ」沢たまき
 

 『フジヤマ・ママ』のオリジナルは白人女性歌手ワンダ・ジャクソンですが、そのワンダ盤も黒人R&B歌手アーネスティン・アレン(Annisteen Allen)のカバーでした。(アーネスティンと憶えたせいか近年のアニスティーンという表記にはどうもピンときません)
 ウィリー・メイ・ビッグ・ママ・ソーントンの “Hound Dog” 、ロイホール、ビッグ・メイベル・スミスの “Whole Lotta Shakin’ Goin’ On”、ザ・グラディオラスの “Little Darlin'”、ジ・アイズレー・ブラザースの “I’m Gonna Knock On Your Door” などと同じで、出来は断然オリジナルのほうがいいのですが、
 これについてはすでにいろんな人がブログで書いてますし、幸いなことに YouTube でアーネスティン・アレンのも聴けちゃいますので、そちらを参照してください。

シングル「フジヤマ・ママ」アーネスティン・アレン

(上)アーネスティン・アレン『フジヤマ・ママ』米キャピトル 1955年2月。

 アーネスティン・アレンが歌手として在籍していたラッキー・ミリンダー楽団はハーレムの有名なジャズ・クラブ『サヴォイ・ボールルーム』を本拠地にしていたバンドで、カテゴリーとしてはビッグ・バンド・ジャズなんですが、ジェイ・マクシャン、ライオネル・ハンプトン、アンディ・カーク、アースキン・ホーキンス、バディ・ジョンソンといった人たちと同じように、のちのR&Bサウンドの母体となるようなジャンプ系のスイングをやっておりました。1956年にキングから『ホンキー・トンク(Honky Tonk)』のヒットを飛ばすあのビル・ドゲットも一時関係していたとか。バンドの全盛期はシスター・ロゼッタというミリンダーもお気に入りの女性シンガーがいたころで、40年代も終わりに近いアーネスティン・アレンの時代は経営的にも大変だったようです。
 そもそも白人のスイート、黒人のジャンプ、その中間のスイングに関わらず、ビッグバンドには専属歌手が付き物でして、
 スタン・ケントン楽団にはジューン・クリスティやクリス・コナー、チャーリー・バーネット楽団にはケイ・スター(『ロック・アンド・ロール・ワルツ』は雪村いづみもカバー)、ライオネル・ハンプトン楽団にはベティ・カーター、ダイナ・ワシントン、カウント・ベイシー楽団にはヘレン・ヒュームズといったふうにそれぞれ在籍し、やがてピンで名をなすようになるわけです。
 独立後の路線は必ずしもジャズ・ボーカルではなく、ポピュラー・ソング、R&B、時にはハリウッド女優など、各自の持ち味を活かしたジャンルに進んでいくのが普通でした。
 アーネスティン・アレンはバンドとは相性が悪かったらしく、早々に出ていって、女性R&B歌手としてヘレン・ヒュームズ、リトル・エスター(エスター・フィリップス)、ルース・ブラウン、エッタ・ジェームズあたりに伍して一時代を築いていきます。このあたりが実に面白い。聴き応えがあるんですよ。
 ラッキー・ミリンダー専属時代のヒット曲『レット・イット・ロール(Let It Roll)』は本人も気に入ってるらしく、1961年にこの曲をタイトルにしたLPを出してます。
 1940年代がブラック・ミュージックの地殻変動期とすれば、50年代は大噴火の時代です。本流のジャズと同様にR&B(レイス・ミュージック)もスモール・コンボが中心となり、いよいよロックンロール黄金時代へ突入!ということになります。

 さて、ワンダ・ジャクソンなんですが、1954年5月30日にシングル『ラビン・カントリー・スタイル(Lovin’ Country Style)/ユー・キャント・ハブ・マイ・ラブ(You Can’t Have My Love)』でデッカよりデビューした人で、曲のタイトルどおり純然たるC&Wの人でした。
 下のLPは、ワンダが同社で出したファーストアルバム『ラビン・カントリー・スタイル(Lovin’ Country Style)』です。彼女の特徴であるダミ声も多少聞かれます。

LP「ラビン・カントリー・スタイル」ワンダ・ジャクソン

 1956年、キャピトルに移籍したワンダは、C&Wから流行のロカビリーにスタイルを変え、1973年にキャピトルを離れるまで、ロカビリーやポップカントリーのレコードを出し続けました。
 『フジヤマ・ママ』は1957年11月の発売でキャピトルでは6枚目のシングルです。
 しかし意外なことにはキャピトルでの最大のヒット『レッツ・ハヴ・ア・パーティ(Let’s Have A Party)』は1960年6月の発売で、ヒットは8月がヤマでした。つまりロカビリースタイルが廃(すた)れるころにようやく人気歌手として花開いた、ということになります。

 『フジヤマ・ママ』にはドゥーワップグループによる同名異曲のあることをご存知でしょうか。
 ヒット曲のタイトルだけいただいて、別な曲をデッチ上げるというセコいパターンはけっこうありまして、たとえば、ビル・ヘイリーの『ロック・アラウンド・ザ・クロック』(1954年4月12日録音)がヒットするとニュー・オーリンズのリル・ミレット(Li’l Millet)という人が同じタイトルの別の歌を吹き込む(1956年)みたいなことがあるわけです。
 故ルーファス・トーマスも『Rocking Around The Clock』というビル・ヘイリーかブレンダ・リーが分らないようなインスト曲を遺してます。

 ちなみにビル・ヘイリーのは、フィラデルフィアの白人バンド ソニー・ディー&ヒズ・ナイツ(Sonny Dae and His Knights)の同名元歌(1954年3月20日録音)を、ハンク・ウィリアムスの『ムーブ・イット・オン・オーバー(Move It On Over)』(1947年)のメロディと、ニュー・オーリンズのプリミティヴなセカンドライン、すなわち帰りの葬列で奏されるあのご陽気なデキシーのサウンド、そしてジャンプやウェスタン・スイングでしばしば用いられる演奏パターンを使って、詞はそのままに事実上改変した作品です。
 また、それらとはまったく別の曲で、ウォリー・マーサーという人の『ロック・アラウンド・ザ・クロック』が1952年にドットからリリースされていて、中村とうようが1996年にCD復刻しております。この曲の存在がソニー・ディーやビル・ヘイリーに影響したのか、しないのか。
 アラウンド・ザ・クロックという言葉自体、四六時中という意味のイディオムですから、(Eight Days a Week、一週間に十日来いも近いニュアンスでしょうか)、そういう曲名がいくつかあってもべつだん不思議じゃないのかもしれませんがね。

Bill Haley and His Comets -(We’re Gonna)Rock Around The Clock(1954/05/10)

Composer: Jimmy De Knight, Max C. Freedman
Producer: Milt Gabler
First recorded by Sonny Dae in March of 1954, the future “national anthem of rock’n roll” was soon thereafter waxed by Haley in his first session for Decca Records on April 12th. Upon its release, the single charted briefly on Cash Box (but not on Billboard, despite website entries to the contrary) and then lay mostly dormant through the end of the year. But in the spring of’55, once people heard it played over the titles of the hit movie “Blackboard Jungle,” Haley’s “Rock Around The Clock” exploded, spending 8 weeks atop Billboard’s best-sellers chart, and eventually selling a purported 25 million copies worldwide. Other 1955 Bill Haley hits included in this collection: “Dim Dim The Lights” “Mambo Rock” “Birth Of The Boogie” “Rock-A-Beatin’ Boogie” “Razzle-Dazzle” and “Burn That Candle.”

Sonny Dae and His Knights -(We’re Gonna)Rock Around The Clock(1954/03)

Composer: Jimmy De Knight, Max C. Freedman
Producer:
The original single was issued on Arcade AR-123 -(We’re Gonna)Rock Around The Clock (Jimmy DeKnight-Max Freedman) by Sonny Dae And His Knights, recorded March 20, 1954
The story goes that this was written for Bill Haley, but he was unable to wax his own iconic version until 23 days after this first recording of the song by Dae. Haley’s then lay largely dormant until the following year when it caught fire after being heard during the opening titles of the 1955 film “Blackboard Jungle.”

<参考>
Wally Mercer – Rock Around The Clock(1952)

Composer: Wally Mercer
Arranger: Wally Mercer
Producer:

 で、『フジヤマ・ママ』に戻りますけど、ドゥーワップグループによる同名異曲というのが、
1959年、グローダス・ミュージック(Glodus Music、ニューヨーク・ブロードウェイ)のCLAYレーベルよりリリースされたジ・アンテナズの『フジヤマ・ママ(Fuji-Yama Mama)』で(写真下)、このシングルは現在、eBayのオークションでは70ドル前後の値が付いてるようです。

シングル「フジヤマ・ママ」ジ・アンテナズ

 同じく『フジヤマ・ママ』に触発されたと思われるものにハリー・カリ(Harry Kari)の『ヨコハマ・ママ(Yokohama Mama)』というのがあるようですが、私は未聴です。

CD「CHOP SUEY ROCK - SONGS ABOUT THE ORIENT VOL.1」(左) ジ・アンテナズの『フジヤマ・ママ』が収録されているHOT & SOUR RECOADSリリースのオムニバスLP『CHOP SUEY ROCK – SONGS ABOUT THE ORIENT VOL.1』(1995年、写真はそのCD版)

 このジ・アンテナズとは別に、ナッシュビル出身の新進3人組パンク~パワーポップ系バンドでジ・アンテナズ(The Antennas)というのがいて、けっこう人気があるようです。

 『フジヤマ・ママ』のように、日本を歌った楽曲(日本もの)というとウィリアム・S・ギルバートとアーサー・サリヴァンの1885年初演のオペレッタ『ミカド(The Mikado)』あたりが嚆矢(こうし)でしょう。
 ポップソングでは戦前の曲に、『プア・バタフライ(Poor Butterfly)』というのがありまして、これは1916年ジョン・L・ゴールデンとレイモンド・ハベルのコンビが、ジャコモ・プッチーニの1904年初演のオペラ『蝶々夫人(Madama Butterfly)』にヒントを得て作った曲といいますから、やはり異国情緒としてのオリエンタリズム、エキゾチック・ジャパンの流れです。

Red Nichols and His Five Pennies – Poor Butterfly(1928)
vocal: Scrappy Lambert

‘Rust Jazz’ identifies soloists Miff Mole (trombone) and Fud Livingston (clarinet) on this extended variable-tempo ‘concert arrangement,’ released on a 12-inch disc. It was one of three takes–all eventually issued–of “Poor Butterfly” that were recorded at the same March 1928 session. The Nichols band would also record an updated 1939 version for Bluebird.

Paul Whiteman and His Orchestra – Cho-Cho-San(1921)
おなじみ Puccini のメロディを Hugo Frey がジャズふうにアレンジしたもの。

 もう1曲『蝶々夫人』に取材した『ナガサキ(Nagasaki)』という有名な曲があり、こちらは1928年、ハリー・ウォーレンとモルト・ディクソンの作。

Ipana Troubadours – Nagasaki(1928)
vocal: Irving Kaufman
recorded in NYC June 29, 1928

A new transfer of a previously-posted title (and with a better label scan). For the flip side “Down Where The Sun Goes Down,”

 私はこれをグレン・ミラー四重奏団の演奏(1947年録音)で初めて聴きまして、あまりエキゾチックじゃないんで「なぁ~んだ」と、ちょっとガッカリしてたんです。その後1979年ごろだったですか、キャブ・キャロウェイがやはりこの『ナガサキ』をやってることを知って、これが1935年2月の録音ということで、グレン・ミラーより逆に古いんで「へぇー」と思った。
 で、さっそく聴いてみたらグレン・ミラー盤にはなかった歌詞があり、キャブが鼻にかかった例の調子で歌ってて、いつものヘンなスキャットが入りまくり。でも、まぁ日本に対する悪意とかオチョクリとかはなくて、私はグレン・ミラー盤よりこっちのほうが気に入ってるんですがね。

 1945年以降の日本ものでは、46年シカゴで録音されたブルースで、東条英機の名が出てくるホマー・ハリス(Homer Harris)の『原子爆弾ブルーズ(ATOMIC BOMB BLUES)』が原爆投下そのものを扱っております。ただ、歌詞に感情的な言葉はなく、敵国日本への哀れみをまるで琵琶法師のような感じで唄ってるのが印象的です。
 原爆を扱っている楽曲はブルースのみならず、カントリー、ゴスペル、ロックなど各ジャンルに存在してまして、1982年に公開された核兵器に関するドキュメンタリー映画『アトミック・カフェ(The Atomic Cafe)』でそれらがふんだんに使われました。サントラ盤(下写真)には17曲が収められています。

LP「アトミック・カフェ」サントラ

Yohana – À Hiroshima(1968)
Written By Saint-Jevin, Janco Nilovic
シングル『C’est lui(He Is)』のB面。

 うたごえ運動系や商業歌謡曲でもいくつかありますが、明確なる反戦歌としてそれらとは一線を画し高く屹立しているのは、何といっても
  高石友也『死んだ女の子』 1967(昭和42)年
でしょう。原詩はトルコからソ連へ亡命した左翼系詩人ナジム・ヒクメットによるもので、作曲はかの外山雄三。
 訳された日本語詩を見ると『千の風になって』の霊魂観に非常に近いものを感じます。こういうのは山川草木云々の汎神論的曖昧さに生きる日本人には受け入れ易いのではないでしょうか。
 この歌、奄美大島出身の元ちとせが2005年の夏にカバーしているそうです。

こういうのはどうでしょう。
バリー・マクガイア『明日なき世界(Eve of Destruction)』などに較べると、洒落っ気があるという印象です。それでも企業の固有名詞が歌詞に出てくるだけで、当時としてはドキドキする部分がありました。

 うたごえ系では
  作詞:G・ムスタキ、作曲:ヒロコ・ムトー『ヒロシマ』
  作詞・作曲:山本さとし『ヒロシマの有る国で』
  作詞・作曲:東京原爆被害者協議会『ヒロシマから』
  作詞:関鑑子、作曲:ブランテル『ヒロシマ』
  里見一郎『ヒロシマ』(作者不詳)
とかが、広島の原爆をそのまま扱ってます。私はジョルジュ・ムスタキと山本さとしの作品が、歌として一般にもアピールするかなと感じました。
 さて、一方、歌謡曲をその完成度から見ていくと、
  藤山一郎『長崎の鐘』 1949(昭和24)年
  扇ひろ子『原爆の子の像』 1965(昭和40)年 ※扇ひろ子は自身も被爆を体験している。
  中山千夏『広島の川』 1975(昭和50)年
  島倉千代子『ひろしまの母』 1977(昭和52)年
の4曲ということになると思います。
 次点で
  宇都美 清『あゝ広島に花咲けど』
  乙羽信子、宇都美 清『あゝ広島の鐘は鳴る』
  美空ひばり『一本の鉛筆』(広島平和音楽祭 参加曲)
ですかね。
 それらとは異なる立場で原爆を扱ってる歌ももちろんありました。たとえば1963(昭和38)年の『広島新曲』(歌=灰田勝彦、柴田珠江、宮島三郎)。灰田勝彦自身による作詞・作曲で、「~じゃけの」という訛りが多用されている、広島カープがらみのご当地小唄なのですが、冒頭「きのこ雲なら昔の夢よ、今じゃ…」とあり、被爆の町のイメージを払拭し新たな一歩を踏み出したいという、市民の複雑な思いが反映されてるようにも感じられます。そうした思いはしかし、絨緞爆撃で焦土と化し、ようやく景観だけは復旧したそのころの各都市に共通するものだったのではないでしょうかね。
 考えるのを止めて忘れてしまうことが過去に区切りをつけることになるのかどうかは別として、被爆者を含むあの戦争の内外の被災者が平和の到来ゆえに置き去りとなってしまったことは、大いなる皮肉というしかありません。

朝鮮戦争(1950/06/25―1953/07/27休戦協定締結)が事実上終わったことで帰還する米兵が増えたせいでしょうか、後方基地となっていたニッポンをテーマにしたこんな歌もヒットしています。

Kay Cee Jones – The Japanese Farewell Song(1955/10)

Composer: Hasegawa Yoshida-Freddy Morgan
conducted by Lou Raderman
Pop Chart Peaks: Cash Box 44, Billboard 52, Music Vendor 74
The time has come for us to say ‘sayonara’…and you might recall hearing this tune played in the background of both the movie and TV series “M*A*S*H.” Jones’ birth name was Ruthie Reece.

Mark Dinning – The Japanese Farewell Song
from the album “Wanderin'”(1960)

 アメリカで1957年に公開された映画に『Sayonara』(邦題:サヨナラ)という作品がありました。メインはマーロン・ブランドと高美以子(たか・みいこ)の恋愛話でしたが、出演者レッド・バトンズの相手役を演じた日本人ジャズ歌手 ナンシー梅木こと梅木美代志がその演技が認められてアカデミー助演女優賞を受賞しております。高美以子がうたう主題歌はエディ・フィッシャー盤と競作となりました。

Luis Mariano – Sayonara(1959)

Conductor – Maurice Darnell
Lyrics By – Irving Berlin
Music By – G. Bérard

 そして同じ年、フランキー・アヴァロンやファビアンと同じチャンセラー(Chancellor)レコード所属の女性歌手ジョディ・サンズ(Jodie Sands)が『Please Don’t Say Sayonara』なるシングルを出しています。これがいささかナイス過ぎると言っても過言じゃない、いや、この際エクセレントと称すべき佳曲でしてね・・・

バート・バカラック、ハル・デヴィッドが東京オリンピックの年1964年に作ったボビー・ゴールズボロ(当時はゴールズボローと伸ばした表記)の『ジャパニーズ・ボーイ・アイ・ラブ・ユー』もいま聞くといとおしい感じがします。

ザ・デイヴ・ブルーベック・カルテットのアルバム『日本の印象(Jazz Impressions of Japan)』(1964年8月リリース)は同年5月の日本ツアーの思い出や印象をモチーフに、6月にニューヨークで録音されたものです。曲目は
 1. トーキョー・トラフィック(Tokyo Traffic)
 2. ライジング・サン(Rising Sun)
 3. トキのテーマ(Toki’s Theme[From the CBS-TV series “Mr. Broadway”])
 4. フジヤマ(Fujiyama)
 5. 禅・イズ・ホエン(Zen Is When)これのみ1960年録音
 6. 街が泣いている(The City Is Crying)
 7. 大阪ブルース(Osaka Blues)
 8. 琴ソング(Koto Song)
で、氏の日本理解がいかほどものかが窺われます。

その翌年の歌でこういうのがあります。
フジヤマ、ヨコアマ(フランス語ではHを発音しません)が連発されてます。

 東京を歌った海外の楽曲については、
『東京の歌ベストコレクション100』のための資料 東京 more register movement
に載せてありますので割愛するとして、
私の守備範囲外となる1973年以降の曲でどんなのがあるか、ネットで調べてみることにしましょう。

【1973年】
ジェーン・バーキン(Jane Birkin)『カワサキ(Kawasaki)』バイクのカワサキ。

【1978年】
ビー・パップ・デラックス(Be Bop Deluxe)『Japan』

【1979年】
ジャパン(Japan)『ライフ・イン・トウキョウ(Life in Tokyo)』
ジンギスカン(Dschinghis Khan)『Samurai』
ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)『想い出のスマハマ(Sumahama)』

【1980年】
トーカウ・ボーイズ(Tokow Boys)『Welcome To Japan』
ゲイリー・ニューマン『別れよう(This Wreckage)』
ポリフォニック・サイズ(Polyphonic Size)『Nagasaki Mon Amour』
クラス(CRASS)『Nagasaki Nightmare』 ※長崎への原爆投下とその惨状をイメージした反戦メッセージのパンクロック。
デニー・レイン(Denny Laine)『Japanese Tears』
ザ・ヴェイパーズ(The Vapors)『Turn To Japanese』

The Vapors – Turning Japanese(1980)
Official music video

【1981年】
クラフトワーク(Kraftwerk)『Dentaku』。同年の志蔵威『電卓』は日本語カバー。
ポリフォニック・サイズ(Polyphonic Size)『Kyoto』
1981年全英第1位の1発ヒット アネカ(Aneka)『Japanese Boy』

【1982年】
ロスト・グリンゴス(Lost Gringos)『Nippon Samba』

【1983年】
スティックス(Styx)『ミスター・ロボット(Mr. Roboto)』
アンドシーヌ(Indochine)『Okinawa』
ゲイリー・ムーア(Gary Moore)『Hiroshima』

【1984年】
アルファヴィル(Alphaville)『Big in Japan』
デイジーチェイン(Daisy Chain)『No Time To Stop Believing In Love』

【1985年】
フンペ・フンペ(Humpe・Humpe)『Yama-ha(これが人生だ)』
リー・マロウ(Lee Marrow)の『Sayonara(Don’t Stop)』

【1986年】
ザ・クリーチャーズ(The Creatures)『Japan』。
ジグ・ジグ・スパトニック(Sigue Sigue Sputnik)『LOVE Missile F1-11』

【1992年】
メカノ(Mecano)『Japón』

【1993年】
ヒューマン・リーグ(Human League)のYMOカバー『Kimi Ni Mune Kyun』

【1999年】
DMX Krew『KONNICHI WA!』『Denki No Melodi』

【2000年】
スウェイザック(Swayzak)『Japan Air』

【2001年】
フリーズポップ(Freezepop)『テニスのボイフレンド(Tennis Boyfriend)』
Secret Secret『Nichiyobi』

【2002年】
ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)『Hiroshima』

【2003年】
この年発売のボックスセットに収録されたカルチャー・クラブ(Culture Club)『Hiroshima』は、以前からステージで歌われている。

【2004年】
エール(Air)『Alone In Kyoto』

そのほか、こんなのも・・・

 

 ”貿易摩擦”とか”Japan as No.1″とか云われた1980年代、諸外国ではついこないだ大負けに負けたはずなのに気がつけば経済大国にのし上がっていたこの小さな島国への関心が高まり、映画やTVドラマでことさらに日本を扱うケースが急増しました。たいていは日本人がビックリするような、ミョ~な描き方だったんですけどねぇ。そのイメージはカメラを首からぶら下げた観光客の集団、電気製品、電子機器、性能がよくて低価格の小型車、相撲、刀を振り回すサムライ(ジョン・ベルーシのサムライ・デリ)、そして強暴なヤクザ。・・・今もあまり変わってないかもしれません(笑)。

変わってないといえば、我々日本人のアメリカ大衆文化に対する強い憧れも、田中絹代のアメションの時代から、ほとんど一貫してますね。
郷ひろみの『アメリカかぶれ』や桑田佳祐の『ROCK AND ROLL HERO』では、そうした愛好の念と軍事・政治・経済面での反発が常に背中合わせにある心理状態が、自嘲ぎみに告白されています。

CD「ONE SIDED LOVE then SAKATUMI」ルイ・ジョーダン さて、日本ものの極め付けを2曲紹介して終わりにしましょう。
 ひとつはおなじみルイ・ジョーダン。1968年のLP『ONE SIDED LOVE then SAKATUMI』に収められている『サカトゥミ(Sakatumi)』という曲(右の写真は2000年イギリスの復刻盤CD)。

 アルバム、ジャケットのオチャラケぶりからは想像できないくらいいいデキなんですけど、この曲はやってくれちゃってますよー。サカトゥミ(Sock it to me の連想。68年流行のスラング)はどうやら東京から来た日本人の名前のようですね。
 考えてみれば68年ごろに仕事や留学でアメリカに行ってる日本人は、『ティファニーで朝食を』のユニオシみたいな変人か、逆に刻苦勉励の堅物だったでしょうから、当時のアメリカ人の目には奇異に映ったんでしょうなぁ。

 もう一曲。
 冗談音楽の大家スパイク・ジョーンズの『ジャパニーズ・スコキアーン(JAPANESE SKOKIAAN)』(下の写真は日本発売コンパクト盤)。ラルフ・マーテリー楽団やフォア・ラッズが1954年に、ビル・ヘイリーが1959年にヒットさせ、ルイ・アームストロング、ペレス・プラード楽団の録音でも親しまれているジンバブエ産の曲『スコーキアン』の替え歌で、東京から来たサックスを吹く日本人スコキモトをオチョクリまくっている、日本人としては笑うに笑えない、でも笑ってしまうなかなかの逸品です。

コンパクト盤「ジャパニーズ・スコキアーン」スパイク・ジョーンズ

 さてさて、広島・長崎の原爆にも負けないパワーを持っていると歌う『フジマヤ・ママ』はチト無神経に過ぎるんじゃないかというお話でしたが――、
 考えてみると我々日本人もかつては『酋長の娘』、『満洲娘』(服部富子)、『泣くな姑娘(クーニャン)』(田端義夫)、『姑娘可愛いや』(岸井 明、平井英子)、『アイレ可愛や』(笠置シヅ子とその楽団)など、大東亜共栄圏の版図に収めた異国の女性を一方的な理解で歌にしていたし、帝国軍人の戦う相手を「すべて烏合の衆なるぞ」と極め付けていたこともあったわけです。
 そしてまた、そのような高みに立った傲慢さ、無反省、自己批判のなさを「恥」と思える成熟した時代精神も我々はすでに経験してるわけで、
 その意味では「現代文明の基準でいうと、アメリカは45歳で日本人は12歳」とマッカーサーが言った時点からはや半世紀以上が経過して、その間、徒(いたづら)に老成してしまった日本人が、ちっとも成長しないアメリカ人をいつのまにやら追い越してしまった観がある昨今ではあります。
(2009年5月19日)
(2010年12月2日改稿)

 

追加記事

Suki Yaki Hot Saki Sue

ルイ・ジョーダンの『サカトゥミ』にヒントを得ていると思われる歌詞。
(2009年10月26日)

追加記事

1960年7月ビクター発売の歌謡曲に『ワンダフル日本』(歌:灰田勝彦、リンダ・ビーチ)というのがあります。
なんか気になりますね。私は未聴です。
(2010年3月11日)

追加記事

 歌手のクミコ(55)が歌う「INORI~祈り~」が、最新のUSEN総合チャートで1位になった。広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった故佐々木禎子さんにささげた反戦歌だ。3日、禎子さんが折った鶴が展示されている米ニューヨークの米中枢同時テロ追悼施設で親族らが世界平和を誓った。
 2月24日に発売した「INORI…」は、発売から約2カ月たちUSEN総合チャートで急上昇。坂本冬美の話題曲「また君に恋してる」などを抑え1位に上り詰めた。
 禎子さんの兄・佐々木雅弘さん(68)の次男で、シンガー・ソングライターの佐々木祐滋さん(39)が作詞作曲。戦争反対をテーマにした曲が同チャートにランクインするのは、森山良子(62)の「さとうきび畑」(01年)以来で、クミコは「このような歌が多くの方に聴いていただいていると思うと驚きと同時に大変うれしく思います」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100505-00000046-spn-ent

ひさびさの“反戦歌”ということですが、昔の反戦歌にありがちなストレートなメッセージではなく、訣れを前に折り鶴に託された思いを切々と歌い上げるという表現になっています。

折り鶴で思い出すのは千葉紘子の『折鶴』。こちらは反戦ではなく青春の感傷を歌ってます。

(2010年5月4日)

追加記事

(広島県)府中町立府中小の児童が被爆者の体験談を基に詞を作り、同小OBの歌手吉川晃司さんが作曲した「あの夏を忘れない」が完成し、5日、同小体育館で児童と保護者ら約1000人による合唱が披露された。吉川さんは「子どもたちが純粋に感じた言葉を紡いで作った曲を歌い継いでいきたい」と話した。
 歌は、広島に原爆が投下された瞬間の「あの日お日さまが割れて 青空が消えて 残った影」から始まり、「幸せってなんだろう」と、今の人たちが当然と受け止めている平和や幸せの大切さを訴える内容。
 昨春から曲作りの準備が始まり、吉川さんも打ち合わせに何度も同小を訪れ、8月に完成した。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20101106-OYT8T00006.htm

(2010年11月6日)

追加記事

The Unifics – Toshisumasu

これ、日本のこと歌ってませんか?
(2010年11月17日)

追加記事

数え切れぬ 爆発 閃光に 引き裂かれたわが心よ――。
 旧ソ連が核実験を続けたカザフスタン・セミパラチンスクで歌い継がれる「ザマナイ」。カザフ語で「時代」「あの時」を意味する曲に、人々は愛する者を失った悲しみや未来への希望を込めた。同じ被爆地・ヒロシマのNGOがこの日本語版を手がけ、歌手TOMOKOさん(東京都)が歌うCD1000枚が完成、世界中の被爆者が手を取り合って核廃絶を訴える。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20101110-OYT8T01198.htm

(2010年11月12日)

追加記事

(2010年12月26日)

追加記事

YouTubeに上がっている原爆ソングをいくつか拾ってみました。

(2011年4月7日)

追加記事

Yvonne Carré – Geisha Twist(1962)
Decca D 19393 German

Pierre Brachet Orchestra – Geisha Cha Cha

Gino Montebello Orchestra – Geisha cha cha

日本への具体的言及が『フジヤマ・ママ』より多少は増えた感じです。
(2011年12月15日)

追加記事

日本敗北から6年。驕る勝者の、いづれ変わらぬ植民地風景。

Betty Grable – Japanese Girl Like American Boy Too Much
from the movie “Call Me Mister”(1951)

沖縄返還・本土復帰40年の折りに引用するのはチト憚られますが、、、
(2012年5月6日)

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Povel på Berns – The Sukiyaki Syndrome
公開日: 2011/10/19

  ※(追記:この動画は削除されました

 

これこれ、日本人の変わらぬイメージ(笑)

ハバハバ [hubba-hubba]
「早く早く」「急げ」の意。第二次大戦後、駐留軍の米兵が使って流行した。

http://www.weblio.jp/content/%E3%83%8F%E3%83%90%E3%83%8F%E3%83%90

Perry Como – Dig You Later a Hubba Hubba Hubba(1945)
「Japan」とか「Tokyo」という言葉が出てくる。「ハバハバ」とは急げという意味。
一節折り込まれる歌はコモ自身のヒット”Till the End of Time”(1945)時の終わりまで。

  ※(追記:この動画は削除されました

 

<参考>
Billy Crash Craddock – Hubba Hubba

  ※(追記:この動画は削除されました

 

(2013年6月17日)

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Dutch Indo-rock impacted Singapore Pop Music in the early 1960’s.
The BLUE DIAMONDS – “Tokyo Geisha” (1964)
The BLUE DIAMONDS, brothers RUUD and RIEM DE WOLFF, performed at the Singapore Badminton Hall in 1960, leaving a long-lasting impression on their Singaporean fans.
This English song, “Tokyo Geisha,” was their thematic follow-up to their 1963 world-wide English hit, “Sukiyaki.” It is a collector’s item now.
www.youtube.com/watch?v=696K6p5IHSQ

The Blue Diamonds – Tokio-Geisha(1964)

Johnny Duncan And The Blue Grass Boys – Geisha Girl(1958)

(2013年8月11日)

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Paul Specht and His Hotel Astor Orchestra – Japanese Moon

Paul Specht (violin/conductor ) and His Hotel Astor Orchestra, recorded in New York Sept 16, 1922. Columbia A-3716 [80547]

1922年。かなり古いですよ。ホテル付きの楽団みたいですけど、どこのホテルでしょ?
(2013年8月19日)

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なんだかなぁ、、、
(2014年4月28日)

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Chuck Bowers – You And I Are In The Same Old Mood(1958/02)

初めて聞いた曲。売れなかったみたい。
(2014年8月22日)

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Collins and Harlan – Darktown Strutters’ Ball(1917)
“Jelly Roll Blues” の曲名が歌詞に出てくる。

recorded in NYC December 21, 1917
One of the best-selling early versions of the much-recorded pop and jazz standard, performed by the prolific recording duo of Arthur Collins and Byron G. Harlan.

Cab Calloway and his Orchestra – You Rascal You(1931)

Mal Hallett and his Orchestra – The Boston Tea Party(1936)
vocal: Buddy Welcome
楽団のテーマ。

Hank Williams – Move It On Over(1947)

Wesley Tuttle – Yodelin’ Boogie(1949)

Lucky Millinder and his Orchestra – Bongo Boogie(1951)
vocal: Annisteen Allen

Lou Monte – Darktown Strutters Ball(Italian Style) (1954/01)
orchestra conducted by Hugo Winterhalter

Italian-American entertainer Monte enjoyed his greatest recording successes with such novelties as “Lazy Mary” (1958), “Pepino The Italian Mouse” (1962), and this top-10 re-thinking of the 1917 pop-jazz standard, sung partly in Italian.

ビル・ヘイリー版の『ロック・アラウンド・ザ・クロック』に影響したのは、やはり “Move It On Over” だろうね。
(2015年2月11日)

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(2015年4月11日)

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Yvette Giraud – Sayonara

The Living End – Rising Sun(2007)
“Tokyo Rose is on the Telephone” という歌詞があるが、とくに日本とは関連なさそうな内容。

  ※(追記:この動画は削除されました

 

Richie Cole With Eddie Jefferson – Tokyo Rose Sings The Hollywood Blues
from the album “Hollywood Madness”(1980)

Bass: Marshall Hawkins
Drums: Les DeMerle
Engineer: Jel Soifer
Engineer [Mix]: Jay Graden
Guitar: Bruce Forman
Percussion: Michael Spiro
Piano: Dick Hindman
Producer: Tim Hauser
Saxophone [Alto]: Richie Cole
Recorded at Home Grown Fidelity Studio, Studio City, Calif. 4-25-79. Mixed at Garden Rake Music, Studio City, Calif.

(2015年6月15日)

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Boogie Belgique – Ms. Yutani(official music video)

2012/09/12 に公開
Track 10 of the album “Time For A Boogie”.

例によって日本なのに中華風音楽。

(2015年8月18日)

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The Japanese Love Industry

外人が興味津々の、性風俗産業。
2020年を前にして、どうなっていくのか。
(2015年9月8日)

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スペインの歌手リリアン・デ・セリスの歌。

Lilian de Celis – Amor Japonés(1958)

Lilian de Celis – Amor Japonés

(2015年9月9日)

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151214_01
Source: .. improve your score! Flickr

原爆投下で遊ばせる1950年代アメリカのおもちゃ。
(2015年12月14日)

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(2016年3月1日)

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矢島美容室 – ニホンノミカタ-ネバダカラキマシタ-(2008)

(2016年4月12日)

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以下、オペレッタ『ヴィクトリアと軽騎兵』の「私のママは横浜生まれ」を採り上げた投稿。

(2017年3月20日)

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日本人への軽蔑と憎悪を煽るアニメ。
いづこも同じだね、プロパガンダ手法は。

Tokio Jokio | 1943 | World War 2 Era Propaganda Cartoon
The Best Film Archives
2016/11/19 に公開

(2016年11月20日)

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(2017年4月4日)

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Robyn Hitchcock – “Sayonara Judge”
Sawyer Sessions
2017/04/13 に公開

至極まじめな歌。

(2017年4月14日)

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The Cellos – Rang Tang Ding Dong(I Am The Japanese Sandman)(1957)
冒頭、Gary Lewis & The Playboysの “This Diamond Ring”(恋のダイアモンド・リング)(1965)を連想した。

Paul Whiteman and his Orchestra – The Japanese Sandman(1928 version)

recorded in NYC Februry 7, 1928
“The Japanese Sandman,” the same two songs which had in 1920 been paired on Whiteman’s monumentally popular (acoustically-recorded) Victor 18690 release.

Paul Whiteman and his Ambassador Orchestra – The Japanese Sandman(1920)

recorded in Camden NJ August 19, 1920
This also-popular flip side of Whiteman’s famous career-launching hit “Whispering” was later updated by the band in 1928

(2018年3月2日)

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Tokyo Bound / Over Japan – The Geisha Boy(Ost) [1958]

Walter Scharf (Composer)
Walter Scharf (Conductor)
Paramount Pictures Studio Orchestra (Orchestra)
The Geisha Boy (Ost) [1958]

『底抜け慰問屋行ったり来たり』の邦題で1959年4月15日、日本で公開されている。
(2018年6月3日)

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Alfonso Ortiz Tirado – Japonesita
タイトルはスペイン語で「日本人」。

(2018年8月30日)

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“A Majority of One”(米公開:1961/12/27)一人で多数決 trailer
日本が舞台のコメディ映画。ロザリンド・ラッセルとアレック・ギネスが和服を着てお座敷で乾杯するシーンがある。

(2018年10月14日)