日別アーカイブ: 2009/05/17 日曜日

マンガみたいなケメ子

けさのフジテレビ『めざましどようびメガ』(09:55~10:45)で、高田純次が「平凡パンチ」名義で『ケメ子の歌』のCD・着うたをリリースした、というニュースをやっていました。
初耳だったので検索したら今年1月からすでに配信が始まってたんですね。

マキシシングル「ケメ子の歌」平凡パンチことし1月からレコチョク、@ポニーキャニオンにて着うた(R)が配信されている、’60年代の名曲「ケメ子の歌」。この懐かしの名曲をカバーしている正体不明のアーティスト「平凡パンチ」の正体が16日、タレントの高田純次であることが発表された。
馬場祥弘の作詞・作曲による「ケメ子の歌」は、’68年にザ・ダーツとザ・ジャイアンツの競作で発売され、ザ・ダーツ盤がオリコンチャートで2位、ザ・ジャイアンツ盤がオリコンチャートで6位を記録。その後、松平ケメ子の「私がケメ子よ」、滝しんじの「ケメ子がなんだい」といったアンサー・ソングも作られるなど、〃一大ケメ子ブーム〃を巻き起こした作品だ。
http://news.livedoor.com/article/detail/4113387/

記事を見たら「馬場祥弘の作詞・作曲」と書いてある・・・・
あれ? あの曲はたしか作者不詳のクレジットじゃなかったっけ?

女性の名前をタイトルにした歌は多いですね。ビーナスやクレオパトラのような天下の美女はもちろん、ありふれた名の女性の歌も数えだしたらきりがない。
ケメ子のころはまさに昭和元禄真っ只中。林家三平が袴姿で「よしこさーん」って歌ってましたし、東京ぼん太は「ペケ子ちゃん」ネタで笑わして、レコードにも吹き込んでます。
いつの時代でもそういうのはあるんです。
じゃぁケメ子がなぜあのときヒットしたのかっていえば、たぶん、その名前がそれまでになかったからでしょう。すこぶるマンガ的じゃないですか。
歌詩に出てくるケメ子はいつの時代にも必ずいる、活動的で少し軽い女の子。例えばフラッパーでありモガでありアプレであり、現代では「ケメ子」であると。
違うのは男のほうがいささか女々しく弱ッチイってこと。2009年の現代では「草食男子」とか言うみたいですが、当時はそういうのの出始めというか、認知され始めで、
その後、団塊世代は「モーレツ社員」から「マイホームパパ」に宗旨替えして、女性の側も男に「やさしさ」や「やすらぎ」を求めるようになった、という流れです。

『ケメ子の歌』は記事にあるとおり、昭和43(1968)年にザ・ダーツとザ・ジャイアンツの競作で発表され、 始まったばかりのオリコン・チャートではダーツ盤が2位、ジャイアンツ盤が6位を記録した、とまぁ、そういうことなんですが、謎の部分も多い。
例えばほぼ同時に競作盤が出て、すぐに映画が作られるからには誰かがイニシアチブを取ってるはずで、それならば同一の楽曲のはず。
二つのバージョンはだいたい同じような内容なのですが、歌詩に若干の異同がある。これがわざとなのか、ネライなのか?
クレジットで作者不詳としても、たとえばJASRACには作者を明示しているかもしれない。そのへんの裏事情が判らないんですよ。
あたかも誰かが作って大学生の間で歌われてるような、そんなムードをわざわざ作っているかのようです。

シングル「ケメ子の歌」ザ・ダーツザ・ダーツ『ケメ子の歌』
作者不詳
採譜・補作:浜口庫之介
日本コロムビア 1968年2月1日
ミディアムスローで、ニール・セダカ『かわいいあの娘』(Next Door To An Angel)をまんまパクったコーラスに、冒頭、セリフから入るというスタイル。どちらかというとフォークっぽい編曲で、歌もマジメな人たちが精一杯ふざけてる感じです。
68年2月というと、CBSレーベルが日本コロムビアからCBS・ソニーへ移動する直前です。パーシー・フェイスのレコードが店頭から消えたと思ったらその年の夏のある日、突然別の会社から出たんでビックリしちゃうんです。マそりゃいいとして、
このダーツ盤も下のジャイアンツ盤も、どちらもデヴィッド・セヴィルのチップマンクス(Chipmunks)やフォークルの「帰って来たヨッパライ」風の、テープを早回しした甲高いコーラスが使われてます。ちなみに歌詞カードには『浜口庫之介』と印刷されてます。単純な誤植だとしたらよほど急いでたんでしょう。

シングル「ケメ子の唄」ザ・ジャイアンツザ・ジャイアンツ『ケメ子の唄』
作詩・作曲:不詳
補詩・採譜:浜口庫之助、編曲:寺岡真三
ビクター 1968年1月25日
こっちはアップテンポで、コーラスは『情熱の花』風の「ヤーヤーヤー」。早回しコーラスも大活躍して賑やかです。
データではダーツ盤のほうが売れたとなってますが、当時私はジャイアンツ盤が好きで、レコードもこっちを買ってます。
映画はどうだったですかねぇ、、、記憶にありませんねぇ、、、

シングル「ヨッパラッタお嬢さん」ピンキー・チックス同年3月、前年暮に東芝からリリースされた『帰って来たヨッパライ』のヒットに便乗したこんなレコードがリリースされています。
ピンキー・チックスの『ヨッパラッタお嬢さん』。
女性6人組のエレキバンドで早回しコーラスをふんだんに使ってます。『ケメ子の歌』と競合するかと思いきやテレビ向きでないと思われたのかほとんど露出もなく終りました。
ダンスと歌のグループとしてスタートしたといいますから女性版ジャニーズ、あるいは西野バレエ団的なところを目指していたのでしょうか?
安田道代(のち大楠道代)主演の大映『女賭博師乗り込む』(1968)では実名で出演、安田と共演しています。

シングル「私がケメ子よ」松平ケメ子さて、ケメ子の歌が流行ったので、東芝音工が悪ノリして作ったのが、このレコードです。
松平ケメ子の『私がケメ子よ』。
作詩:柳家小せん、補作詩:宇井天平、作曲・編曲:萩原哲晶
歌詩に『愛するアニタ』とか『ブルー・シャトウ』とか、GSのヒット曲名が折り込まれてるところが印象的ですが、曲は萩原哲晶にしてはイマイチ。
B面は『ケメ子の歌』で、歌詩はダーツ盤、ジャイアンツ盤とも違っています。

シングル「ケメ子がなんだい」滝しんじさらに、ケメ子と名が付けば売れるだろうというので作られたのが、
滝しんじ『ケメ子がなんだい』。
作詩・作曲:橋本和彦
補作詩:幸田栄
補作曲:遠藤実
編曲:只野通泰
ミノルフォン 1968年4月20日(臨発)
ケメ子とは別れた、もううんざりだ、という内容のコミックソングで、急ごしらえにしてはかなりいい出来となりました。
滝しんじ(本名=高越誠一)は昭和24年、北海道生まれ。当時ミノルフォンに所属していた藤健次に見出された、とあります。
藤健次といえば元スリーファンキーズの高倉一志。藤健次になってからは日活の任侠モノにも出演してましたっけね。

そんなこんなのケメ子ものですが、当然、リルものを意識していたわけです。
昭和9年に流行った『上海リル』、昭和26年の津村謙『上海帰りのリル』。
サテそれからというものは『霧の港のリル』『銀座リル』『風の噂はリル』『リルを探してくれないか』ときて、『私がリルよ』。
おや、『私がケメ子よ』はこのパターンかってわけで、
次はヨーコものにつながっていきますが、
流行(はやり) ってのは、オモシロイもんですなぁ。

<参考>
David Seville & The Chipmunks – Alvin’s Harmonica(1959)

<参考>
The Chipmunks(Alvin, Theodore & Simon)with The Music of David Seville – The Chipmunk Song(1958)
The Chipmunk Song(Christmas Don’t Be Late)

<参考>
David Seville – Witch Doctor(1958)

<参考>
David Seville My Friend The Witch Doctor 1958
エド・サリバン・ショー

追加記事

(2015年4月27日)