015 タリラリラン・ブルース

 (左)『タリラリラン・ブルース』 作詞・作曲・歌:信楽 潤。発売:1970年11月5日、企画・制作=大映株式会社、製造・発売=日本コロムビア株式会社。
 おととい8月2日、漫画家赤塚不二夫死去の報に接し、留まることのない“時の流れ”を感じて、寂莫たる思いでいっぱいになりました。なにしろ赤塚不二夫、筒井康隆、モンティ・パイソンの“ナンセンス”は私の人格形成に大きな影響を与え、私であることを決定づけたのですから。

 赤塚作品の中でもナンセンス度の高い『天才バカボン』は雑誌連載当初から大学生に強い支持を受けておりました。
 彼らが受験勉強をしていた60年代前半は、大学進学はまだまだ特別なことで、高校のクラスも進学コースと就職コースに、当り前のように分けられていた時代です。それでも団塊の世代というくらいでなにしろ人数が多いのでおのずと競争も激しくなります。進学希望者はみな予備校・進学塾に通い、常在戦場の意気で試験試験に明け暮れていましたから、テレビを見るなど言語道断、漫画なんか読んでるヒマはなく、したがってあの時代に有名大学に受かった人たちは、『鉄腕アトム』も『鉄人28号』も『おそ松くん』もリアルタイムには読んではおらず、『踊って歌って大合戦』も『そっくりショー』も『太閤記』もほとんど見ていないはずです。
 その反動でしょうね、ノンポリの軟派学生やマルクスは触りだけって連中は特に赤塚作品が大好きで、プラカードや立て看板にニャロメを描いたりシュプレヒコールで「サンセーのハンターイ、ナノダ」なんて言って組織の幹部に叱られたりしてました。電車の中で大人が平然と漫画本を読むようになったのは彼らからじゃないですか?
 団塊世代とはひとまわり違う私はというと『おそ松くん』で赤塚作品と出会い、『天才バカボン』『もーれつア太郎』あたりまで雑誌でフォローし、しばらくして『まんがNo.1』で面白い赤塚作品と再会したという流れでした。受験戦争とも無縁で、漫画を読む時間はたくさんあったのですが、いかんせん家がビンボーで、貸本、立ち読み、まわし読みしか接する手段がない。「ひまがある時ゃ金がない」という、まるで九ちゃん音頭みたいな日々を送っておりました。

 ところで私は前の記事
more register movement 》 赤塚不二夫死去
で『天才バカボン』のフレーズが出てくる歌を紹介させていただきましたが、実はもう1枚、忘れちゃいけないお盤(さら)があるんですよ。それが今回採り上げる信楽 潤の『タリラリラン・ブルース』です。
 この歌は映画『タリラリラン高校生』(大映東京)の挿入歌となりましたが、リリースは映画公開の前年の1970年11月でした。

 当時日本映画は「斜陽産業」と呼ばれ衰退の一途をたどっておりました。
 70年元旦に日活の経営危機が報じられ、6月第1週から大映と配給部門を統合し『ダイニチ映配』がスタート。大映では関根恵子、渥美マリ、八並映子、そして松坂慶子らを、日活では夏純子、丘みつ子、山本陽子、梶芽衣子らを主役級に使い、経営危機を逆手にとって新しい若者像を描く斬新な意欲作が作られるようになり、いくつか傑作も生まれました。『タリラリラン高校生』はその中ではなかなかの佳作であり、時代の雰囲気をよく伝えている作品でした。大蔵新東宝もそうでしたが、配給部門を持つ映画会社は末期にいいシャシンが生まれることがあるんですよね。
 1971年9月末で『ダイニチ映配』から日活が離脱し、大映は11月20日公開の2作を最後に配給を停止。11月29日に自主廃業を宣言して事実上倒産しました。

 学生運動も69年1月19日の東大安田講堂陥落を機に急速に退潮、70年6月23日の日米安保条約自動延長でほぼ終止符が打たれたという、『タリラリラン・ブルース』はそういう時代を生きた大学生の自己総括の歌でもあったわけです。したがってA面は青春篇、B面は社会篇となっておりまして、卒業あるいは中退を軸として、自らの青春を振り返りまた展望して大いなる喪失感と失望を感じてると、まぁそういうことですね。ただし『「いちご白書」をもう一度』のようなウェットな感傷はそこにはありません。

 さてこの『タリラリラン・ブルース』、テンポ・曲調こそ異なれども、コンセプトはズバリ1970年版の『ホンダラ行進曲』でしょう。片や行進曲、こなたブルース。この違いには戦前・戦後生まれそれぞれの気分が、そのまま反映されていると考えていい。昭和ヒトケタ+昭和10年代生まれが遮二無二突き進んで築き上げたのが高度成長時代であり、その枠に初めは反発しつつもけっきょく過剰適応していったのが戦後の団塊世代。シニカルな目線で己を笑ってみせる態度は同じでも、主体性の度合いにかなりの差が認められます。

 ブルースとはいっても『タリラリラン・ブルース』は黒人音楽のBlues形式ではなく、憂鬱な気分をテーマにした数行の詞をくりかえすという、あくまでも歌謡曲のブルースでありまして、まぁ『受験生ブルース』『港町ブルース』『お座敷小唄』『女心の唄』などと大差はありません。それどころか、どこか寮歌のような雰囲気さえ感ぜられます。それでも70年版『ホンダラ行進曲』といえるのは、(1)言葉に出来ない気分を謎のフレーズで表現している、(2)明瞭な句を意味不明な句で受けるというパターンで構成されている、という重大な特徴が共通しているからです。

 そこには、「言わぬが花」「それを言っちゃぁおしめぇよ」「みなまで言うな」というイチジクの葉・モザイク的な意味合いと、気分の最大公約数としての曖昧模糊としたフレーズという性格と、口に出して唱えることで何かが現実に影響を与える気にさせる言霊信仰(呪文・陀羅尼・唱えごと)が看て取れるのです。
 そもそも日本語には曖昧な表現が多く、歌の詞となるとセンテンスが短いだけに余計に意味がぼやけるということがあります。そこへ以てしてホンダラダーだのタリラリラーンですから、ズルいっちゃズルいです。

 この歌、私は当時聞いてるんですよね。どこでどのような状況で聞いたかはまったく憶えてません。それでも耳に残っていて、ずっと後にレコードを入手して「あぁこれがあの曲か」と得心した次第。団塊世代のテーマソングとして、もう一度リバイバルさせたい名曲であると、私は思ってるんです。

 『タリラリラン・ブルース』の作詞・作曲者であり、歌唱者である信楽 潤とは一体どこの誰なんでしょうか。その名を初めて聞いたという人も多いでしょう。実は私も詳しくはないんですが、どうやら信楽 潤という人は信楽潤三であり信楽 順であり信楽順三であるらしいのです。
 以下、そうだという前提で書きますが、ご本人に確認したわけではありませんので念のため。

 信楽潤三=信楽 順=信楽 潤=信楽順三は、1962年8月ポリドールから発売された、竹田公彦のシングル『ひとりで恋しよう』(A面は中島安敏作曲『ハートにノック』)の作曲者として世に出た方でした。しばらく間がありまして、1968年、故・林家三平の肝いりで東芝音工からデビューした花菱エコーズの第1弾シングル『女の泣く街』(作詞:中杉のぶ、作曲:信楽潤三)の作曲者として名前が出てきます。
ポリドール(当時:日本グラモフォン、現:ユニバーサル)専属の作曲・作詞家となったのは1970年だそうですから、三浦正弘とアロハ・ブラザース『ラリラリ東京』の“放送禁止事件”より後ということになります。
1979年、狩人の『アメリカ橋』(ワーナー・パイオニア)が大ヒット。この曲は今もカラオケでよく歌われてますね。
その後クリエイターの仕事以外にもボイストレーナー、歌唱指導、ピアニスト、キーボード奏者としても活躍なさっています。

 以下、ポリドールからシングル盤としてリリースされた作品のリスト(1962~1976年)を見てみましょう。

●「信楽 順」名義
 あなたに抱かれて死にたい(作詞・作曲)/ザ・ルビーズ 68年9月
 虹をさがそう(作曲)/加藤登紀子  68年9月
 ラリラリ東京(作詞・作曲)/三浦正弘とアロハ・ブラザース 68年9月
 あなたのためにだけ(作詞・作曲)/三浦正弘とアロハ・ブラザース 68年9月
 まぼろしのシェラザード(作曲)/アイドルズ 68年9月
 恋歌街ブルース(作曲)/神戸一郎 69年7月
 鼠が六匹(作曲)/西ちくま 69年8月

●「信楽 潤」名義
 再会情歌(採譜)/小林あけみ 69年10月
 ひとりで眠らせて(作曲)/島津美木 69年12月
 女流れ唄(作詞・作曲)/神戸一郎 70年2月、70年5月(A面として再リリース)
 当世たたき売り節(作詞・作曲)/ガラこと西ちくま 70年2月
 ミミの甘い生活(作曲)/沢 久美 70年2月
 私のキライなもの(作曲)/沢 久美 70年2月
 水色のラブ・レター(作曲)/愛田健二 70年3月
 夢中なのよ(作曲)/秋 美子 70年3月
 今が一番悪いとき(作詞・作曲)/川口たかし 70年3月
 新宿のためいき(作曲)/杉 慎吾 70年9月
 盛り場おんな(作曲)/杉 慎吾 70年9月
 天国と地獄(作曲)/殿様キングス 70年10月
 或る別れ(作曲)/なだ・つかさ 70年11月
 おじいちゃん好き(作詞)/左卜全とひまわりキティーズ 70年3月
 夜の花びら(作曲)/杉 慎吾 71年3月
 おんなのワルツ(作曲)/杉 慎吾 71年3月
 愛のはじめに(作曲)/松沢のの 71年10月
 港あおもり(作曲)/及川三千代 71年11月
 文の助茶屋の思い出(作曲)/なだ・つかさ 72年5月
 雨の階段(作曲)/なだ・つかさ  72年5月
 さいはての港町(作曲)/徳川一郎 72年7月

●「信楽順三」名義
 ひとりで恋しよう/竹田公彦 62年8月
 冷たい星の下に/園まり 65年3月
 空っぽ酒(作曲)/鳳 恵子 76年8月
 アメリカ橋(作曲)/湖東美歌 76年9月
 木枯らしのシンフォニー(作曲)/湖東美歌 76年9月
 白い手紙(作曲)/菅原洋一 76年12月

ポリドール以外では
 星空のワルツ(作曲)/チャダ 77年 ビクター音産
 メロメロ東京(作詞・作曲)/殿さまキングス 78年 ビクター音産
 おんど笠岡(作曲)/B&B 81年 CBS・ソニー
ほか、いろいろあるのですが、
代表作を挙げるとすれば、やはり『アメリカ橋』でしょう。
ご自身で主宰している音楽教室の名前も『アメリカ橋歌謡学院』となっています。
(山川豊の『アメリカ橋』は作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃の別の曲です)

 私は、1984年徳間ジャパン発売のLP『面白愉快で懐かし原盤 ~反復横飛び懸垂逆上がり~』で、信楽 潤の『タリラリラン・ブルース』を入れたわけですが、これには、
大映が徳間書店に買収され(実際は会社を管理していた労働組合との買収契約。2002年、角川が徳間から大映を買収)、当時グループ傘下であったことから、大映レコードの音源も当時の徳間ジャパンの所有だろうということでオーダーしたところ、音源は見つからないが使ってよしとの返事があり、私の所有しているシングル盤からマスタリングして収録した、
という経緯があります。
『タリラリラン・ブルース』のマスターテープがどこに蔵(しま)われてるのか、私は今も知りません。

(2008年8月5日)
(2010年11月11日改訂)

 

追加記事

「タリラリラン・ブルース」を使用したCFのコンテを考えてみました。
商品は「菊泉」という名の架空の日本酒。
15秒。
短いカットを積み重ねる。

六十歳代の男女が集う同窓会の会場。
頭が禿げ上がった男性同士が互いを見ながら、お前誰だったっけという顔。
一人が、ヘルメットをかぶって見せる。

カットイン。モノクロ写真。ヘルメットをかぶりゲバ棒を振るっている学生たち。

あッあのときのお前かと気がつく。二人、第三の人物に気がつき正面を向く。

エレキギターを持ったおじさんが、ヨッという感じで手を振る。

カットイン。モノクロ映像。下半身でそろいのステップを踏みながら演奏しているグループサウンズのバンド。

談笑してる三人が、オーッ?と一斉に視線を投げると、

派手な中年女性3人がそれぞれにポーズ。

カットイン。色の悪いカラー映像。ワンピースのミニスカートにブーツ姿のGOGOガール。

同窓会会場の舞台で、肩を組み寮歌を歌ってる感じで「タリラリラン・ブルース」を高歌放吟する大勢の男女。
背景には『俺たちの同窓会 テーゼ「がんばれニッポン」』の横断幕。
このカットの歌声がこのCF冒頭からラストまで流れている。
「ゲバゲバしたけど」から「だーから」もしくは「だーから、おぉれは」まで。

白バックに商品。文字メッセージとオトコのナレーション『まだまだやるぞ! 俺たちの菊泉』。
小さく「異義なーし」の声。

(2010年2月15日)