2008/8/28 木曜日

「昭和折釘」あります?

カテゴリー: broadside ballad — eiji @ 22:26:24

スーパーにネジ回しやヤスリなどを置いてる金物コーナーがあり、なにげに見てたら「昭和折釘」なる商品を見つけちゃいました。
どうやら建築・内装業界で用いられる一般名詞らしい。
L字型の額受け部分に捻足(ネジになってる釘)が付いてます。
ちかごろは「昭和歌謡」とか「昭和の香りのする風景」なんて言い方がされるようになり、「明治」などはもう知ってる人さえおりませんから、昭和も当然ノスタルジーの対象だ。
その昭和の名を冠した「折釘」が使われる住宅も、おそらくは昭和の木造住宅でないわけがない。
洋風の家に「昭和折釘」は不釣合いです。
それにしても「昭和折釘」――なぜ昭和なのか?
御真影の額を支えるためにでも開発されたのでしょうか?
う~ん・・・ワカリマセン。

 

2008/8/22 金曜日

アンチ・グラマラス趣味?

カテゴリー: broadside ballad — eiji @ 2:51:38

ベトナムの刑務所で約3年間服役していた英ロックミュージシャンのゲイリー・グリッター(本名ポール・ガッド=64)が20日夜、香港で入国を拒否された。
(中略)
英国に帰国した場合は、治安当局の性犯罪者リストに登録される。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200808210007.html

 

えっ、ゲイリー・グリッターってあのグラムロックのGary Glitterか?!
シャレんならんわなこりゃ。
タシーロを凌駕しちゃっるよ。
でもなぜかCDは廃盤処分にならずちゃんと売ってるところが不思議。

 

2008/8/16 土曜日

ブラックミュージックを世界に知らしめた功労者

カテゴリー: broadside ballad — eiji @ 21:54:40

米音楽プロデューサーのジェリー・ウェクスラー氏が15日、米フロリダ州の自宅で心疾患のため死去した。91歳。
 17年、ニューヨーク生まれ。40年代後半、米ビルボード誌で働き始め「R&B(リズム・アンド・ブルース)」の用語を発案。50年代からはアトランティック・レコードの経営に参加し、アレサ・フランクリンやレイ・チャールズらの人気を高めた。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_08/g2008081608_all.html

アトランティックがブラックミュージック、アメリカンポップスに与えた影響は計り知れないものがあります。モータウンでさえアトランティックと較べれば巨大百貨店に対する個人経営のブティック程度の存在です。
もしもエルビス・プレスリーがRCAでなく、アトランティックと契約していたとしたら、どんな歌を歌ってたでしょうか?
考えるだけでゾクゾクしてきます。

2008/8/12 火曜日

むかしボイン、いま巨乳

カテゴリー: broadside ballad — eiji @ 22:25:17

 元交際相手の女性に復縁を迫るために電話をかけ続けたとして、大阪府警淀川署は12日、ストーカー規制法違反の疑いで、兵庫県西宮市の落語家、月亭可朝容疑者(70)=本名・鈴木傑=を逮捕した。
(中略)
 月亭可朝容疑者は昭和33年、林家染奴の芸名で落語家としてデビュー。カンカン帽をトレードマークに、ギターを使った漫談で売り出し、一躍有名となった。昭和43年に月亭文都ゆかりの亭号である月亭を復活させ、初代月亭可朝を襲名した。月亭八方さんらを弟子に持っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080812-00000932-san-soci

ストーカー規制法の悪いところは「恋愛感情」によるストーカー行為しか規制しないとこですね。
恋愛感情が無ければただの迷惑行為になってしまいます。
それにしても古希を迎えた人がストーカーですか。
やっぱり相手はボインだったのでしょうか?
カチョウといえば今や次長課長、芋洗坂係長まで揃って、月亭可朝を知らない若い人も多いようです。

シングル「嘆きのボイン」月亭可朝『嘆きのボイン』
作詞・作曲・歌:月亭可朝
テイチク
1969年12月発売。
この歌を歌ってる可朝サンを当時テレビで見ております。
東京オリンピックが近づいた1963、4年ころ、それまで関西芸人が席巻していたテレビのお笑い番組では東京勢がようやく盛り返しつつあったのですが、
オリンピックが終ると今度は万博ということで、再び花登筺が台風の目となって反転攻勢が始まり、
特に日活で関西芸人が大挙して出演、テレビでも「ヤングおー!おー!」が東京で人気となって、三枝、仁鶴、小染、きん枝、八方、文珍といった面々が全国区の人気者となっていきました。
可朝サンもそうした万博前の関西ブームに乗って登場しましたが、少なくとも東京では『嘆きのボイン』は打ち上げ花火のように大きく、しかし短いヒットだったように記憶しています。
この曲のいいところは哀愁を帯びたメロディでしょう。その物悲しさは『五木の子守唄』を連想させます。コミックソングというと普通どうしてもオチャラケ・ムードになりがちですが、こちらは端(はした)ない語り口とどこか捨てきれない純情と中年男の醒めた達観が渾然一体となって、うらぶれた哀切を湛える不思議な一曲となりました。

シングル「泣くなおっぱいちゃん」星まり子女性の胸の大きさを歌った歌としては、こちらの楽曲もそこそこ知られております。
『泣くなおっぱいちゃん』
作詞:富永一朗
作曲:井上忠夫
編曲:森岡賢一郎
歌:星まり子、東映児童合唱団
ミノルフォン(徳間音工)
1973年5月発売。
1974年10月公開の東映京都作品『女番長(スケバン) 玉突き遊び』の挿入歌にもなりました。
作詞は『チンコロ姐ちゃん』で知られる漫画家 富永一朗。鶏みたいに尖がった口、ぷっくり膨らんだ胸、でっ尻(ちり)の女性の絵がこの人の特徴ですね。

そうそう、尻といえば、先日も知人と、
万一、女に圧殺されることになったら、胸か?尻か?
で、口角泡を飛ばす大激論となりまして、
私は女性は腕力がないから胸の谷間を押し付けられても窒息するだけの時間がなく中途半端に苦しいだけだ、やはりここはパツキン・ジン外チャン姐の、メガトン級のダイナマイトなおヒップに圧し潰されてこそ、男子の本懐・本望ではないか云々と、尻派として堂々の大論陣を張ったところです。
そう、私は常に申します「”Come Back 尻ィ Girl” is written by Barry Mann. It was first released by Steve Lawrence」と。
そしてカラオケでは『尻たくないの』を歌います。
胸は手のひらで隠れるくらいがよろしい。巨乳など暴力的です。私は粉ミルクで育ったせいか、乳首には袖にされたという思いもあり、どうもパイオツとはフランクな態度で付き合えません。
もっとも巨尻・巨乳ともに多産の象徴でありますから、大谷崎の如く女性(にょしょう)を賛美し拝跪するの一分は認められるところでありまして、
胸尻論争も一時休戦にし、知人とは和議の杯を酌み交わしたのでした。

過日、風呂場にゴキブリが出ました。2年ぶりです。
用意おさおさ怠りなく風呂場の棚にしまっておいた「ゴキジェット」で一発撃退。
やはり防衛力は必要だなと改めて痛感した次第です。
連中も尻でも光ればホタルのように愛されたかもしれませんが、こればかりはマァしかたがない。

噂によると、おとなり韓国じゃ遺伝子組み換えでなんでも「光る動物」てのを造っちまったんだそうで。
まことに神をも畏れぬ暴挙ですが、もしその実験がほんとに成功したのなら、「光る人間」も可能になるかもしれません。
尻派の私としては美女の光る尻にさそわれてフラフラと魔境に迷い込むんじゃないかと、今からトテモトテモトテモ心配です。
啄木もぢりで一首
    世の中の怪しさをのみ吸ふごとき光る美尻の今も目にあり

追加記事

 元交際相手の女性にストーカー行為を繰り返したとして逮捕された上方落語家、月亭可朝(70)が28日午後、大阪市内で会見を開き、「女性を傷つけたことは、ごめんなさい」と謝罪した。
 ストーカー規制法違反罪で大阪簡裁から罰金30万円の略式命令を受け、釈放された後、初めて公の場に姿を見せた可朝。この日は、トレードマークのちょびひげとカンカン帽、紺色シャツ姿-という芸人らしい姿で現れ、「ええ歳してヨメはん以外の女性を好きになってしまいました」と50代の元交際相手について説明した。
http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20080828/Fuji_EN_320080828004.html

(2008年8月28日)

 

2008/8/11 月曜日

アイザック・ヘイズ死去

カテゴリー: broadside ballad — eiji @ 22:10:01

 米ソウル歌手のアイザック・ヘイズ氏が10日、メンフィスで死去した。65歳だった。友人で元マネジャーのオンジー・ホーン氏がロイターに語った。ヘイズ氏の夫人と話して死亡を確認したとしている。
 ヘイズ氏は、アル・グリーンや故ジェームス・ブラウン、スティービー・ワンダーとともに1970年代初頭の音楽シーンで活躍した黒人ミュージシャンの1人。1971年には米映画「黒いジャガー」のテーマ曲で黒人作曲家として初めてアカデミー賞を受賞した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080811-00000830-reu-ent

「黒いジャガー」はユニークで完成度が高かったですね。
ジャズもソウルもロックも、スタイルのバリエーションは70年代前半で出尽くした観があり、枯れたというか完成したというか、そういう印象でした。
当時、私は「黒いジャガー」を好きではなかった。新しすぎたんです、サウンドが。
私がR&B、ブルースへの旅を始めるのはこの歌の2年後でした。

YouTube - Isaac Hayes - Shaft

 

2008/8/8 金曜日

「大脱走」ブロンソンのモデル

カテゴリー: broadside ballad — eiji @ 13:41:46

第2次世界大戦中、ドイツ軍の捕虜収容所から集団脱走を企て、ハリウッド映画「大脱走」でチャールズ・ブロンソン演じるトンネル掘りのモデルになった英国の元空軍軍人エリック・ダウリング氏がこのほど英ブリストルの老人ホームで死去した。92歳だった。7日付の英紙は「大脱走の真の英雄死す」(デーリー・ミラー)などと報じている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080807-00000201-jij-int

今年(2008年)1月18日、同じく『大脱走』のモデルとなったバートラム・ジェームズ元英空軍少佐がやはり享年92歳で亡くなってます。
人間の営為が名実ともに歴史となるには、少なくとも百年は必要ということでしょう。

2008/8/5 火曜日

015 タリラリラン・ブルース

カテゴリー: わたしをつくった101枚 — eiji @ 1:48:26

わたしをつくった101枚

シングル「タリラリラン・ブルース」信楽 潤 (左)『タリラリラン・ブルース』 作詞・作曲・歌:信楽 潤。発売:1970年11月5日、企画・制作=大映株式会社、製造・発売=日本コロムビア株式会社。
 おととい8月2日、漫画家赤塚不二夫死去の報に接し、留まることのない“時の流れ”を感じて、寂莫たる思いでいっぱいになりました。なにしろ赤塚不二夫、筒井康隆、モンティ・パイソンの“ナンセンス”は私の人格形成に大きな影響を与え、私であることを決定づけたのですから。

 赤塚作品の中でもナンセンス度の高い『天才バカボン』は雑誌連載当初から大学生に強い支持を受けておりました。
 彼らが受験勉強をしていた60年代前半は、大学進学はまだまだ特別なことで、高校のクラスも進学コースと就職コースに、当り前のように分けられていた時代です。それでも団塊の世代というくらいでなにしろ人数が多いのでおのずと競争も激しくなります。進学希望者はみな予備校・進学塾に通い、常在戦場の意気で試験試験に明け暮れていましたから、テレビを見るなど言語道断、漫画なんか読んでるヒマはなく、したがってあの時代に有名大学に受かった人たちは、『鉄腕アトム』も『鉄人28号』も『おそ松くん』もリアルタイムには読んではおらず、『踊って歌って大合戦』も『そっくりショー』も『太閤記』もほとんど見ていないはずです。
 その反動でしょうね、ノンポリの軟派学生やマルクスは触りだけって連中は特に赤塚作品が大好きで、プラカードや立て看板にニャロメを描いたりシュプレヒコールで「サンセーのハンターイ、ナノダ」なんて言って組織の幹部に叱られたりしてました。電車の中で大人が平然と漫画本を読むようになったのは彼らからじゃないですか?
 団塊世代とはひとまわり違う私はというと『おそ松くん』で赤塚作品と出会い、『天才バカボン』『もーれつア太郎』あたりまで雑誌でフォローし、しばらくして『まんがNo.1』で面白い赤塚作品と再会したという流れでした。受験戦争とも無縁で、漫画を読む時間はたくさんあったのですが、いかんせん家がビンボーで、貸本、立ち読み、まわし読みしか接する手段がない。「ひまがある時ゃ金がない」という、まるで九ちゃん音頭みたいな日々を送っておりました。

 ところで私は前の記事
more register movement 》 赤塚不二夫死去
で『天才バカボン』のフレーズが出てくる歌を紹介させていただきましたが、実はもう1枚、忘れちゃいけないお盤(さら)があるんですよ。それが今回採り上げる信楽 潤の『タリラリラン・ブルース』です。
 この歌は映画『タリラリラン高校生』(大映東京)の挿入歌となりましたが、リリースは映画公開の前年の1970年11月でした。

 当時日本映画は「斜陽産業」と呼ばれ衰退の一途をたどっておりました。
 70年元旦に日活の経営危機が報じられ、6月第1週から大映と配給部門を統合し『ダイニチ映配』がスタート。大映では関根恵子、渥美マリ、八並映子、そして松坂慶子らが、日活では夏純子、丘みつ子、山本陽子、梶芽衣子らを主役級に使い、経営危機を逆手にとって新しい若者像を描く斬新な意欲作が作られるようになり、いくつか傑作も生まれました。『タリラリラン高校生』はその中ではなかなかの佳作であり、時代の雰囲気をよく伝えている作品でした。大蔵新東宝もそうでしたが、配給部門を持つ映画会社は末期にいいシャシンが生まれることがあるんですよね。
 1971年9月末で『ダイニチ映配』から日活が離脱し、大映は11月20日公開の2作を最後に配給を停止。11月29日に自主廃業を宣言して事実上倒産しました。

 学生運動も69年1月19日の東大安田講堂陥落を機に急速に退潮、70年6月23日の日米安保条約自動延長でほぼ終止符が打たれたという、『タリラリラン・ブルース』はそういう時代を生きた大学生の自己総括の歌でもあったわけです。したがってA面は青春篇、B面は社会篇となっておりまして、卒業あるいは中退を軸として、自らの青春を振り返りまた展望して大いなる喪失感と失望を感じてると、まぁそういうことですね。ただし『「いちご白書」をもう一度』のようなウェットな感傷はそこにはありません。

 さてこの『タリラリラン・ブルース』、テンポ・曲調こそ異なれども、コンセプトはズバリ1970年版の『ホンダラ行進曲』でしょう。片や行進曲、こなたブルース。この違いには戦前・戦後生まれそれぞれの気分が、そのまま反映されていると考えていい。昭和ヒトケタ+昭和10年代生まれが遮二無二突き進んで築き上げたのが高度成長時代であり、その枠に初めは反発しつつもけっきょく過剰適応していったのが戦後の団塊世代。シニカルな目線で己を笑ってみせる態度は同じでも、主体性の度合いにかなりの差が認められます。

 ブルースとはいっても『タリラリラン・ブルース』は黒人音楽のBlues形式ではなく、憂鬱な気分をテーマにした数行の詞をくりかえすという、あくまでも歌謡曲のブルースでありまして、まぁ『受験生ブルース』『港町ブルース』『お座敷小唄』『女心の唄』などと大差はありません。それどころか、どこか寮歌のような雰囲気さえ感ぜられます。それでも70年版『ホンダラ行進曲』といえるのは、(1)言葉に出来ない気分を謎のフレーズで表現している、(2)明瞭な句を意味不明な句で受けるというパターンで構成されている、という重大な特徴が共通しているからです。

 そこには、「言わぬが花」「それを言っちゃぁおしめぇよ」「みなまで言うな」というイチジクの葉・モザイク的な意味合いと、気分の最大公約数としての曖昧模糊としたフレーズという性格と、口に出して唱えることで何かが現実に影響を与える気にさせる言霊信仰(呪文・陀羅尼・唱えごと)が看て取れるのです。
 そもそも日本語には曖昧な表現が多く、歌の詞となるとセンテンスが短いだけに余計に意味がぼやけるということがあります。そこへ以てしてホンダラダーだのタリラリラーンですから、ズルいっちゃズルいです。

 この歌、私は当時聞いてるんですよね。どこでどのような状況で聞いたかはまったく憶えてません。それでも耳に残っていて、ずっと後にレコードを入手して「あぁこれがあの曲か」と得心した次第。団塊世代のテーマソングとして、もう一度リバイバルさせたい名曲であると、私は思ってるんです。

 『タリラリラン・ブルース』の作詞・作曲者であり、歌唱者である信楽 潤とは一体どこの誰なんでしょうか。その名を初めて聞いたという人も多いでしょう。実は私も詳しくはないんですが、どうやら信楽 潤という人は信楽潤三であり信楽 順であり信楽順三であるらしいのです。
 以下、そうだという前提で書きますが、ご本人に確認したわけではありませんので念のため。

 信楽潤三=信楽 順=信楽 潤=信楽順三は、故・林家三平の肝いりで1968年東芝音工からデビューした花菱エコーズの第1弾シングル『女の泣く街』(作詞:中杉のぶ、作曲:信楽潤三)の作曲者として世に出た方でした。直後にポリドール(当時:日本グラモフォン、現:ユニバーサル)専属の作曲・作詞家となり、その後クリエイターの仕事以外にもボイストレーナー、歌唱指導、ピアニスト、キーボード奏者としても活躍なさっています。
 ポリドールからシングル盤としてリリースされた作品のリスト(1968~1976年)を見てみましょう。

●「信楽 順」名義
 あなたに抱かれて死にたい(作詞・作曲)/ザ・ルビーズ 68年9月
 虹をさがそう(作曲)/加藤登紀子  68年9月
 ラリラリ東京(作詞・作曲)/三浦正弘とアロハ・ブラザース 68年9月
 あなたのためにだけ(作詞・作曲)/三浦正弘とアロハ・ブラザース 68年9月
 まぼろしのシェラザード(作曲)/アイドルズ 68年9月
 恋歌街ブルース(作曲)/神戸一郎 69年7月
 鼠が六匹(作曲)/西ちくま 69年8月

●「信楽 潤」名義
 再会情歌(採譜)/小林あけみ 69年10月
 ひとりで眠らせて(作曲)/島津美木 69年12月
 女流れ唄(作詞・作曲)/神戸一郎 70年2月、70年5月(A面として再リリース)
 当世たたき売り節(作詞・作曲)/ガラこと西ちくま 70年2月
 ミミの甘い生活(作曲)/沢 久美 70年2月
 私のキライなもの(作曲)/沢 久美 70年2月
 水色のラブ・レター(作曲)/愛田健二 70年3月
 夢中なのよ(作曲)/秋 美子 70年3月
 今が一番悪いとき(作詞・作曲)/川口たかし 70年3月
 新宿のためいき(作曲)/杉 慎吾 70年9月
 盛り場おんな(作曲)/杉 慎吾 70年9月
 天国と地獄(作曲)/殿様キングス 70年10月
 或る別れ(作曲)/なだ・つかさ 70年11月
 おじいちゃん好き(作詞)/左卜全とひまわりキティーズ 70年3月
 夜の花びら(作曲)/杉 慎吾 71年3月
 おんなのワルツ(作曲)/杉 慎吾 71年3月
 愛のはじめに(作曲)/松沢のの 71年10月
 港あおもり(作曲)/及川三千代 71年11月
 文の助茶屋の思い出(作曲)/なだ・つかさ 72年5月
 雨の階段(作曲)/なだ・つかさ  72年5月
 さいはての港町(作曲)/徳川一郎 72年7月

●「信楽順三」名義
 空っぽ酒(作曲)/鳳 恵子 76年8月
 アメリカ橋(作曲)/湖東美歌 76年9月
 木枯らしのシンフォニー(作曲)/湖東美歌 76年9月
 白い手紙(作曲)/菅原洋一 76年12月

ポリドール以外では
 星空のワルツ(作曲)/チャダ 77年 ビクター音産
 メロメロ東京(作詞・作曲)/殿さまキングス 78年 ビクター音産
 おんど笠岡(作曲)/B&B 81年 CBS・ソニー
ほか、いろいろあるのですが、
やはり代表作を挙げるとすれば狩人でヒットした『アメリカ橋』でしょう。
ご自身で主宰している音楽教室の名前も『アメリカ橋歌謡学院』となっています。

 私は、1984年徳間ジャパン発売のLP『面白愉快で懐かし原盤 ~反復横飛び懸垂逆上がり~』で、信楽 潤の『タリラリラン・ブルース』を入れたわけですが、これには、
大映が徳間書店に買収され(実際は会社を管理していた労働組合との買収契約。2002年、角川が徳間から大映を買収)、当時グループ傘下であったことから、大映レコードの音源も当時の徳間ジャパンの所有だろうということでオーダーしたところ、音源は見つからないが使ってよしとの返事があり、私の所有しているシングル盤からマスタリングして収録した、
という経緯があります。
『タリラリラン・ブルース』のマスターテープがどこに蔵(しま)われてるのか、私は今も知りません。

(2008年8月5日)

 

2008/8/3 日曜日

第三の音

カテゴリー: broadside ballad — eiji @ 22:14:11

 終戦直後の1946年から1年4カ月間だけ放送された「ラジオ体操第3」の伴奏レコードが約60年ぶりに逓信総合博物館(東京)で見つかった。「第3」は放送したNHKにも現存せず「幻のレコード」といわれる希少なもの。市民からの寄贈品だが、レコードジャケットにはその表記がなく、同博物館は長年気付かずにいた。
(中略)
10年ほど前に東北地方の郵便局を通じて届いた市民からの寄贈品の一つ。SPレコードで「第3」と、クラシック曲が録音されている。中央のラベルには「第3」の表記があるが、ジャケットはラジオ体操とは無関係の江利チエミ(52年デビュー)とペギー葉山(同)の写真。最近になって博物館職員が中身に気付いた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080803-00000006-nnp-soci

レーベル部分の写真は手作りだったのでしょうか。貰い物だとこんな風に扱われるんですかねぇ。
そういえば寄付された高価な名画を燃えるゴミに出した役所もありましたっけ。
公共施設になんか寄付するもんじゃありませんね。

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