僕たちの大好きな団地

僕たちの大好きな団地
洋泉社刊 シリーズStartLine 13『僕たちの大好きな団地』定価1200円+税
昭和30年代に「団地」ブームがあったなんて今の若い人には理解できないかもしれませんね。
憧れるあまり団地の歌さえ作られたほどです。

朝日ソノラマ1961年5月号

(写真上)朝日ソノラマ1961年5月号(4月21日発行)14・15ページ
『団地アパート・ニュータウン』
 作詞:速水俊夫
 作曲:高井達夫
 うた:千葉信男
作詞者がよせた一文には、
『このホームソングは、団地に住む人々の、こうした「ホッとした幸福感」に、スポットを当てて描いてみました』
とあります。この歌は1961年の4月、呉羽紡績(当時。1966年に東洋紡績と合併)の提供するラジオ番組で主に西日本を中心にオンエアされたそうです。

そしてまた団地といえば、この歌をうたっている千葉信男もちょい役で出演している、名匠久松静児監督の映画『喜劇 駅前団地』(1961年)が有名ですね。(※この本でも紹介されてます=46ページ)
団地造成、開発ラッシュ、周辺住民と団地の新住民、そして金儲けと色恋沙汰――
森繁、伴淳、フランキー、森光子、淡島千景、淡路恵子とおなじみの顔ぶれですが三木のり平は出ておりません。
8月13日東宝系公開で、併映は佐藤允、加山雄三、白川由美、星由里子出演の青春海洋アクション『紅の海』でした。

それから映画つながりで言えば、今でもときどきテレビで引用される昔の団地の映像があります。
あれは株式会社日経映画社(現社名は株式会社日経映像)が1960年に制作した、公団ひばりヶ丘団地のPR映画『団地への招待』という作品です。(※これもこの本にちゃんと紹介されてます=48ページ)
同社にはほかにも貴重な映像がたくさん眠ってるんですよ。

団地の歌、ほかに山中みゆきの『団地のお嬢さん』(1963年)なんてのもありましたよ。
東京五輪のころには、人々の憧れはマンションへ移っていきました。フランク永井が『マンション・ブルース』(1967年)とか歌ってますし、マンション低層階の独特のムードを写しとった『マンション202』河野みどり(1970年)なんてのもあります。
70年代も末になると、数が増えたせいか家賃も下がり、勤め人でも住居として気軽に賃借できるようになりました。
春のある日のこと、マンションのエレベーターを降りた瞬間、いい男にジロリと見られたショックで、ハートがストップ・モーションみたいになっちゃった――という歌はズバリ1979年。でもあのころ、オシャレなのは名前だけで、実はエレベーターが設置されてないとか、そういうウソみたいな物件がけっこうあったんです。

浜見平団地の建替え。第一期先工区に該当する約570戸の移転作業が、3月末までに終了する見込みだ。早ければ今年の7月にも団地の除却工事が開始される予定で、建替えへ向けて本格的に動き始めている。
 同団地は、良好な公共住宅の提供を目的とした「公団住宅制度」に基づき昭和39年に建設。約3400戸の県内随一のマンモス団地として市内南西部の地域拠点となっていた。しかし、建設から約40年が経ち、老朽化などを理由に建替えが決定した。

http://www.townnews.co.jp/020area_page/03_fri/02_chig/2007_1/02_23/chig_top1.html

今はもう団地という言い方はあまりしなくなりました。かつての有名団地も次々建て替えられてますしね。
たとえば若い人があえて団地という言葉を使うときは否定的ニュアンスの場合が多い気がします。
宮藤官九郎の初監督映画『真夜中の弥次さん喜多さん』で音楽を担当したロックバンドZAZEN BOYSの『INSTANT RADICAL』(2004年)という曲の歌い出しは♪マンション団地の連なりに…というものですが、幸福なムードはカケラもありません。MSCの『六丁目団地』とかもそうですね。
というわけで、あの時代のあの団地は、いよいよノスタルジーの対象になりおおせた、ということでしょう。

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追加記事

2007年5月11日放送のテレビ朝日『タモリ倶楽部「昭和の時代にタイムスリップ! 団地探訪」』は、八王子の都市住宅技術研究所にある『集合住宅歴史館』を見学するという内容でした。
明らかに『僕たちの大好きな団地』をネタ元にした企画ですね(笑)
(2007年5月12日)

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ひばりが丘団地で「減築」実験、最上階撤去で老朽化対策
 「ひばりが丘団地」は東京都東久留米、西東京の両市にまたがる計184棟2714戸のマンモス団地。1960年前後に建設され、老朽化が進み、建て替えも始まっている。
 実験の対象は、既に住民が退去した4階建て1棟(エレベーターなし、24戸)。工事は最上階を撤去し、3階建てにする。現在はすべて2DK(35平方メートル)だが、戸数を半分以下の11戸に減らす。2~3階の床をくりぬいてメゾネット化するなどして、居住空間を広げる。09年に完成予定。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070820i405.htm

「1960年前後に建設」じゃ、すべて取り壊して、一から作り直したほうがいいと思いますよ。
素材が素材ですからね。西洋の石造りの建造物とはぜんぜん違うんですから。
(2007年8月21日)

追加記事

2007年10月31日、TBSの『NEWS23』が特集『昭和の幻を“団地”に探す人たち』を放送しました。
これもまたネタ元は『僕たちの大好きな団地』でしょう。
後半は住民の高齢化問題にスポットを当てていて、ニュース番組らしい感じでした。
(2007年11月6日)

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 独立行政法人・都市再生機構(本社・横浜市、UR)は、所有する団地など賃貸集合住宅約77万戸のうち最大で約15万戸について、段階的に閉鎖していく方針を固めた。
 団地の老朽化やURが抱える債務の縮小などが理由。閉鎖される15万戸の入居者は40万人前後に上り、URは、URの別の住宅への転居を要請し、引っ越し費用などを負担する考え。
 約半世紀にわたって公共住宅の建設・運営を担ってきたURが団地を閉鎖し、住民に転居を求めるのは初めて。住民組織からは反対の声が上がっている。
 閉鎖対象となるのは、1960年前後に建設されて老朽化が進んだり、交通の便の悪さから空室率が高かったりする団地が中心。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071207-00000001-yom-soci

地震対策などを考えれば立て替え・住み替えは致し方ないでしょうね。
でも入居中の老人たちにはそれなりのケアをしてほしいものです。
(2007年12月7日)

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少子高齢化に伴って人口が減り始めた地方の都市などでは、団地やビルの空き部屋が増えて管理上問題となっています。昭和30年代に造成された大阪府堺市の団地では、独立行政法人・都市再生機構が、現在は使われていない3棟で、建物の一部を取り壊し、耐震性や居住性を高める「減築」の工事をことし4月までに試験的に行いました。26日は大阪市や西宮市など14の自治体から都市整備などの担当者が視察に訪れ、まず4階と5階部分を取り除いて3階建てに変更した建物の内部を見ました。建物は軽くなり耐震性が向上したほか、新たにベランダを設けるなどの改修も行われています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101026/k10014837361000.html

学生さんや若夫婦、単身者が払えるような家賃なら、空き部屋が埋まるような気がしますが、
それほど入居希望者がいないもんなんでしょうか?
(2010年10月26日)

追加記事

2011年4月18日のテレビ朝日『スーパーJチャンネル』で特集『二つのニュータウン明暗 かつての「中流の象徴」が 進む“限界団地”化』が放送され、
多摩ニュータウンを紹介する1971年の東映ニュースが使われました。
(2011年4月18日)

 

鈴木ヒロミツ

 歌手やドラマの脇役として活躍した俳優の鈴木ヒロミツ(すずき・ひろみつ、本名弘満=ひろみつ)さんが十四日午前十時二分、肝細胞がんのため東京都千代田区の病院で死去した。六十歳。東京都出身。葬儀・告別式は十六日午前十一時半から東京都文京区小石川三ノ一四ノ六、伝通院で。喪主は長男雄大(ゆうだい)氏。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200703140314.html

シングル「月光仮面」モップスシングル「たどりついたらいつも雨ふり」モップス

モップスはGSでなくロックバンド、しかもサイケデリック志向でした。
「朝まで待てない」はGS路線への転向、「月光仮面」は鈴木ヒロミツのキャラクターを活かしたコミックソング、「たどりついたらいつも雨ふり」は日本的なフォークロック(すなわちニューミュージックのさきがけ)と、路線的に揺れ続けましたが、結果的には鈴木ヒロミツという芸能人を生み出す母体としてモップスは存在したといえましょう。
解散後は某教団の広告塔としても活躍されましたが、記事にある伝通院は浄土宗の名刹ですね。
「月光仮面」は今から考えるとよく川内康範氏がOKを出したものです。なにしろ「ガンチョギンチョガンチョデヅイダ」ですから。