「夜明けのコーヒー」を飲んだ二人がやがて 別れの朝に「冷めた紅茶」を飲み干した頃の ことだ。喫茶店自体ヴォーグでなくなり、従 って歌謡曲にも懐旧・追憶という線以外では 登場しなくなっていた。
当時、作詞家だった私は「甘いシュガーティ/午後のテラスの風 …苦いレモンティ/未練の香りが切ないわ」といった月並な歌詞を紡いではB面やアルバム曲に使ってもらっていた。ディレクターとの打ち合わせはたいてい六本木の『パブカーディナル』。有名人が集まる店なのにコーヒーは当時としては珍しくお代り自由だった。そこで引き合わされた対流社のY編集長から喫茶店と歌について書けと依頼を受けた。
とりあえず大阪の灘万カフェあたりから書き起こしジャズ~歌声~ロカビリー喫茶、欧米コーヒーハウスで生まれた革命と文化、ついでに米フォークブームとカフェ・オ・ゴーゴーまで盛り込み、紅茶の詞を書いたことを棚に上げ『有楽町で逢いましょう』や『東京ラプソディー』のティールームからは何も生まれなかったなどと書いた。当然、歌でもそれは風景でしかない。私はだから暗喩として紅茶を用いた。のち〃ミルクティーで胸まで灼ける〃『横須賀ストーリー』を聞いてコーヒーほどでないにせよその可能性を確かめ安堵したりした。即席コーヒーが甘いコーヒーを家庭に普及させ、缶コーヒーが喫茶空間を解放してしまった。70年代末あたりから「お茶しない?」と街角でナンパする連中が現れた。詩情より欲情か。(笑)
長渕の『JEEP』では主人公がコーヒーを飲むのはドライブインである。90年だからファミレスでもいいようなもんだがそこは一人じゃ入りにくかろう。とにかくもはや喫茶店の存在は何も語り得なくなっていた。ノーパン喫茶がそうだったように今どきのマンガ喫茶も歌にはならないだろう。
前出Y編が『コーヒー・ルンバ』でアラブのお坊さんがホレ薬として処方するだろ、あれは逆だな、それを確かめよう、と云う。連れ込まれたのはマンションの一室。なるほど客はエジプトのアホアのように水たばこを吸っている。すわ万博以来ふえた不良外人の巣窟か、だがもう後には退けぬ。奥の部屋ではお経版『ムスターファ』みたいのを歌いながら輪舞している。性欲・食欲を抑えるこの興奮剤はフィフィの神秘主義では欠かせないのだ。
「最もサイケな喫茶店ソングれしゅね!」
歌舞の輪に入った私はいつしか縺れる舌でそう叫んでいた。
初出:雑誌『東京人』2000年5月号(No.153)
『最もサイケな喫茶店』改題