「それで日本で最初の喫茶店ソングって何なの」
「さてそこだ」
ジュクに不似合のシャンから問われ得々と語る。
「まず日本最初の喫茶店だが横浜外人居留地の外では慶応元年プロイセン人開店のコーヒーハウス。当時根岸湾をミシシッピ湾と称してたから南部風かと思えばお上品な欧風でね。米国じゃ開拓民がコーヒーを常飲してたのに船員はなぜかアルコールばかり。婦女子愛好のケーキ屋が前後5年に租界内で増えたから紅茶を出す茶屋も同じ頃だったろう。茶屋といえばお茶は唐風文華。印度北東にアッサム、ダージリンがあるように茶は仏教と一緒で三国伝来、加工法が違うから紅茶にはならねど、ま、ヒーコとおなじで初めは薬扱い、勅撰漢詩集にも賦されちゃってるし。時代劇の茶屋なんかだと原点は室町時代の門前市でさ、明治初年まで続く一服一文銭の商い。徳川の世でも物騒な峠には無く宿場だけだったそうだ。喫茶店なのに悪所の案内もするようになって元禄の頃に引手茶屋とか出合茶屋とかに分れたんだな」
と一啜り。
折しも『ブラックコーヒー』。トミー・ワットか、DIGじゃまず聞かない。
「さて、バーやカフェーが大衆化したのは大正時代だ。ただしこのカフェーは洋食屋とキャバレーの折衷物だったり女給のいる酒場だったりと幅広い。折衷のは文人・芸術家が喫茶店的に使うことも多かったし『カフェーの夜』なんてオペレッタが流行るほど人気だったらしい。大正13年の『洒落男』のカフェーは間違いなく酒場だけど昭和4年の『神田小唄』となるとこれはもう書生っぽやプロや小僧さんたちの溜り場だったミルクホールだろうね。エプロンさんがレコードかけたりするとなれば音楽喫茶の嚆矢といえるかも。同4年の国内楽曲『お菓子と娘』は巴里の座って食べるケーキ屋が舞台。となれば紅茶かコーヒーは出して当たり前。森永のキャンディーストアが大正12年、コロンバンがその翌年。今日の喫茶店の隆盛は店内で食べられるこういった洋菓子店へ女性客を集めたことに原点があるんじゃないかな。そしてお茶とお菓子を前にだんまり極めこむ例の『小さな喫茶店』は昭和も10年です。同11年『東京ラプソディー』じゃ喫茶店にティールームのルビがある。ここにもケーキの影が……」
茶話をきりあげ『ジ・アザー』へ誘うが断られた。のちに女は小田をマネてか北米へ行ったと噂に聞いた。現地の喫茶店がいかなる茶を出すか、ついぞ聞く機会はなかった。
新宿『ぼろん亭』にて
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