新 お名前異聞 活色(かついろ)の巻

Mandalay Liberated – 1945 | Today In History | 20 Mar 17

British Movietone
2017/03/19 に公開
On March 20, 1945, during World War II, British troops under Gen. William J. Slim captured the city of Mandalay in Myanmar (formerly Burma) from the Japanese.
Both Indian troops and men from the United Kingdom fought their way into the centre of Mandalay. The enemy’s last stand was made at Fort Dufferin which was bombed by Hurricanes. The pagoda at one of the gates of the Fort was an important target and soon after this went up in flames Mandalay was ours.

今日は何の日?
イギリス軍がビルマ(現ミャンマー)のマンダレーを日本軍から奪還した日。

マンダレー (မန္တလေး, Mandalay) は、ミャンマー(以前のビルマ)でヤンゴンに次ぐ第2の都市
(中略)
マンダレーは、ちょうど29年後の第三次英緬戦争の間、占領されることになる。当代の王であるティーボー・ミンと王妃スパヤラットは、王宮から退去することを強いられ、結局インドに亡命した。王宮は、 Dufferin 要塞と改名され、イギリスとインドの軍隊が宿営するために使われ、多くの驚くべき財宝が略奪された。その中で最も優れたものの一部は、大英帝国に還送され、今なおヴィクトリア&アルバート美術館で見ることができる。

アトゥーマシー僧院は火災によって失われる前の姿の忠実なレプリカとして再建された。
第二次世界大戦中は、日本軍が、中国の補給線を断つことを狙って、インドシナを占領した。しかし、1939年1月には、ビルマを経由する新たな補給線が既に開通していた。これは、ビルマルートとして知られるようになったもので、ラングーン(ヤンゴン)からマンダレー、ラシオ、保山市及び昆明市を経由して重慶市に至るものであった。何万トンもの軍需物資がこの道を通って中国の民族主義者に届けられ、日本軍を苦況に陥れたために、日本軍はこの補給線を断とうと躍起になった。そのため、日本は、地元民族主義者集団の支援を狙って、三十人の志士に率いられたビルマ独立義勇軍 (BIA) の設立を援助した。彼らの指揮の下で、日本はビルマに進攻し、マンダレーを1942年5月2日に占領した。
王宮を含む要塞は日本軍の兵站部に転用され、イギリス軍がラングーンの都と港とを奪回するための地上作戦の一部として1945年3月にマンダレーを解放したのに先立って、激しい爆撃にさらされた。王宮は完全に焼失し、王立造幣局と時鐘塔のように一対の石造りの建物を組み合わせた王宮は、石造りの台座を残すのみとなった。その後、ネ・ウィンが1980年代に忠実な複製を建設した。

1948年、ビルマはイギリスからの独立を宣言し、ビルマ連邦の結成とともに、マンダレーはマンダレー地方域の区都となった。
2000年代に入ってから、多くの中国人移民が移住しており、元からの住民が追い出される事例が発生している模様である。

<マンダレー – Wikipedia>

Mandalay, Myanmar in 4K (Ultra HD)
Amazing Places on Our Planet
2015/04/29 に公開

 

J Me vs Ba Htoo – Yangon Vs Mandalay(2016)

  ※(略)

 

Sithu Aye – Mandalay(2013)

Blackmore’s Night – Way To Mandalay(2012)

Robbie Williams – The Road To Mandalay
From the album “Sing When You’re Winning”(2000)

Frank Sinatra – On The Road To Mandalay (1998 Digital Remaster)
from the album “Come Fly With Me”(1958)

John Mogensen – Mandalay(1973)
Denmark

Four Jacks – Mandalay(1961)
Denmark

Arranged By – John Mogensen
Translated By – Kai Friis-Møller
Written By – Oley Speaks, Rudyard Kipling

Mogens Wieth – Mandalay(1942)

Rudyard Kiplings digt “Mandalay”, sunget af Mogens Wieth i 1942.
Guitar: Berthel Skjoldborg.

Peter Dawson – On the road to Mandalay

Australian bass-baritone singing one of those songs recalling a time that we English are not allowed to mention these days, unless we condemn it of course.

Lawrence Tibbett With Orchestra ‎- On The Road To Mandalay

 

背呂様のサヂェスチョンをこの際、虚心に、また真摯に受け止め、生まれて初めて軽喜劇『ヴィクトリアと軽騎兵』と向き合ってみましたのヂャ。

Marek Weber und sein Orchester mit Refraingesang – Meine Mama(war aus Yokohama)
Foxtrot aus der Operette: “Victoria und ihr Husar”
Aufnahme: 20. August 1930
マレク・ウェーバーと彼のオーケストラ、コーラス –
台本:アルフレッド・グリュンワルド、フリッツ・レーナー=ベーダ、作曲:パウル・アブラハム オペレッタ『ヴィクトリアと軽騎兵』よりフォックストロット「私のママは横浜生まれ」
録音:1930年8月20日

Studio Orchestra, Oscar Denes, Franz Schönbaumsfeld und Lizzi Waldmuller
Viktoria und ihr Husar (Sung in German)
– Meine Mama war aus Jokohama(1930)

Paul Kuhn, Jacqueline Boyer – Meine Mama war aus Yokohama

Kirsten Kühnert (McK.) “Meine Mama war aus Yokohama”
Tiffilinchen
2015/02/27 に公開

Friedrichstadtpalast, aus der Revue “Wanted – Blume von H.” 1998,

Meine Mama war aus Yokohama
Asfw190taire
2012/01/25 にアップロード

“Meine Mama war aus Yokohama”
“Viktoria und ihr Husar” Sommeroperette Coburg 2011
Nadja Plattner,Jan ReimitzChoreographie:Jan Reimitz

以下、「日本をテーマにした歌」関連の投稿。

以下、「横浜」「Yokohama」を含む投稿。

有名なのが、三田渡に建立された大清皇帝功徳碑でしょう。李氏朝鮮の仁祖は、ホンタイジに背き、大清国に対する朝貢や明への派兵を断わったことで、朝鮮半島は清国に蹂躙され、あっというまに降伏せざるをえませんでした。
そして仁祖はホンタイジに対して三跪九叩頭の礼を取り、いかに自らが誤っていたかを認めさせられることになりました。そのことを満州語、モンゴル語、漢語で記した石版が大清皇帝功徳碑です。
現在では「屈辱碑」とも呼ばれていますが、日清戦争で日本が勝利し、大韓帝国として独立したことにより、中国の使者を迎えるための迎恩門とともに破棄されたのです。現在ではそれが再び掘り返されてソウルに復元されています。

<韓国、国家存亡の危機。中国への再属国化で起きる未曾有の悲劇 – まぐまぐニュース! より一部引用>
http://www.mag2.com/p/news/243327

【世界の中の韓国】世界史の中の韓国
2014年08月14日13時27分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
アジア大陸の一番端に席を占めた韓半島(朝鮮半島)は19世紀まで世界史にほとんど登場さえしなかった隠遁の国であった。当時は朝鮮にとっては中国と日本が世界の全てのようであったから。1853年にフェリー提督が黒船4隻を引き連れてやって来て日本を開国させ、1860年に英国が清国と阿片戦争を行い、アジアは歴史の荒波に巻きこまれる。だが、世の中の変化を体感できない朝鮮は結局、日帝の植民地に転落して暗鬱に20世紀を迎えた。忘れられた国、崩壊した国は解放を迎えたが、1948年に大韓民国と朝鮮人民共和国に分断され、その後肯定的にも否定的にも世界史に大きい影響を及ぼし始めた。

何よりも50年に勃発した韓国戦争(朝鮮戦争)は世界政治の地図を大きく変えた。まず永久に軍隊を持つことができない日本が自衛隊として再武装し、四分五裂していた右派政党らが55年に自由民主党として集結して37年以上の長期に渡り執権した。日本は確実な右翼国家になった。敗戦国であるドイツも55年に日本のように連邦防衛軍(Bundeswehr)で再武装した。米国はちょうど吹き始めた反共マッカーシー旋風に韓国戦争が油を注ぎ、共産主義者などを粛清して徹底した反共国家になった。

しかし、韓国戦争で最も大きな恩恵を受けたのはスペインのフランコ独裁政権だった。第2次世界大戦後唯一生き残ったファシズム独裁政権だったため自由陣営、共産陣営全体から排斥を受けて大使館が追い出され、国連加入も拒否されるなど蚊帳の外の境遇であった。韓国戦争が勃発すると西側陣営はいちはやくフランコ政権を味方に引き込むために外交関係を開設して国連にも加入させた。そのような政権が75年まで維持されたのだから、とにかく世界の歴史に韓半島が大きな役割を果したわけだ。

しかし、大韓民国が現代史を大きく変えたのはまさに88年のソウルオリンピックだ。東欧圏崩壊の直接的な口実になったためだ。これは当事者である過去の東欧圏の人々がたびたびする話なのだが、当の韓国人ばかり知らずにいる。彼らは共産党の宣伝により韓国が乞食の群れがうじゃうじゃいる国、悲惨で貧しい国だと思っていた。しかしソウルオリンピックがテレビで中継され、驚くべきほど発達した豊かな大韓民国に大きな衝撃を受け、はじめて共産党の宣伝にだまされていたことを知ったというのだ。ソウルオリンピックが不平・不満に膨らみきった東欧圏という風船を破裂させた針だったという話だ。ソウルオリンピックが開かれてから1年後、東欧圏が崩壊し始めたのは決して偶然でない。このように世界歴史を変えた契機を作った大韓民国の地位がフランシスコ法王の訪韓で一層高まっている。
イ・ウォンボク徳星(トクソン)女子大学客員教授
http://japanese.joins.com/article/882/188882.html

「19世紀まで世界史にほとんど登場さえしなかった」理由は語られていない。
残念ながら歴代中国王朝の衛星国・冊封国(さくほうこく)・朝貢国(ちょうこうこく)であったこと。
朝鮮半島全体を統一する確固たる王朝が高麗朝鮮まで出来なかったこと。
歴史記録が少ないこと。
西欧が注目する something が無かったか、たまたま注目されなかったこと。
――等ではないかと推察される。

以下、「韓国」「朝鮮戦争」「38度線」「鉄のカーテン」「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」「Old Soldiers Never Die」「Deck Of Cards」「半島有事」を含む投稿。

 

2017/01/25
トヨタ自動車は24日、2019年秋に米インディアナ州の工場での生産能力を今より4万台増強し、新規に400人を雇用すると正式発表した。投資額は約6億ドル(約680億円)。
トランプ大統領が自動車各社に米国での雇用増を求めるなか、これに対応した形となる。トランプ政権が掲げる「米国第一」主義が日本企業にも及んできた。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGN24H5E_U7A120C1000000/

2017/03/01
 入居した企業がIoTソリューションを試行錯誤できる施設が米インディアナ州にまもなく完成する。それがIndiana IoT Lab-Fishersだ。
 米インディアナ州のIoTエコシステムが大きく飛躍しようとしている。Indiana IoT Lab-Fishersは米国時間2月21日、広がりつつあるIoT分野のプロジェクトで企業が研究やイノベーション、コラボレーションを実施できる場を提供すると発表した。
https://japan.zdnet.com/article/35097187/

2017/03/04
ペンス米副大統領がインディアナ州知事時代に公務で私用のメールアカウントを使っていたことが4日までに分かった。
これを受けペンス氏は、自身の状況と昨年の大統領選をゆるがせたヒラリー・クリントン元国務長官の私用メール問題をめぐる騒動は「比較にならない」と弁明した。
http://www.cnn.co.jp/usa/35097564.html

米インディアナ州。
あゝそういう州があったなと誰しも思うだろうが、
では北米大陸のどのあたりにあるか、正確に指し示すことがあなたにはできるだろうか。

Eddy Arnold – Back Home Again In Indiana(1959)

Art Tatum Trio – Indiana(1953)

Erroll Garner – Back Home Again In Indiana(1950)


Source: インディアナ州 – Wikipedia

 

インディアンの地名に由来するアメリカの24州
(中略)
オハイオ(Ohio)「オハイオ」(おはよう)と太陽に呼びかけた日神信仰の言葉

<ドン・R・スミサナ著、吉田信啓訳・解説、徳間書店刊『ネイティブ・アメリカンが証明した 古代、アメリカは日本だった! 「失われた旭日帝国」の謎を解く』1994年第2刷 121ページ より一部引用>

ピザの起源 續 more register movement
で採り上げた、いわゆるトンデモ本である。

オハイオとは、インディアンのイロコイ族の言葉で、「美しい川」ないし「偉大な川」という意味である ohi-yo’ から派生した。 州名の由来については他にも異論があるが、昔から州内に自生するトチノキに因んで “Buckeye State” と呼ばれており、州民も「バッカイ」と呼ばれている。

<オハイオ州 – Wikipedia>

「オハイオ=おはよう」説は、「くだらない=百済無い」説 同様、学界的には一笑に付されている。

Glenn Miller And His Orchestra ‎- Beautiful Ohio(1940)

Al Jolson – O H I O(O My! O!)(1921)
2度目の引用。

  ※(追記:この動画は削除されました

 

追加記事

2017/03/25
韓国と中国の交流が経済から政治にまで及び、徐々に関係が緊密化すると、韓国人と中国人は同じ酒の席で「われわれは心を一つにして力を合わせ、日本人の野郎を打倒しよう」と叫びながら乾杯した。これは一時両国の酒の席でよく使われた乾杯の音頭だそうだ。この話を冗談のように日本人の知人に伝えた。酒の席でのちょっと大げさな冗談だが、この知人は「同じ民主主義の国なのにそんなことがあり得るのか」と非常に驚いた様子だった。この日本人は「韓国と日本はどちらも米国の同盟国だから、韓国と日本は友好国ではないのか」とも言った。そのあまりの純粋な驚きにかえって記者の方が驚いた。

<【コラム】韓国の「中国傾斜」、日本の批判は正しかった-Chosun online 朝鮮日報 より一部引用>
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/03/24/2017032401721.html

(2017年3月25日)

追加記事

2017/04/20
 トランプ氏の発言が飛び出したのは、12日の米紙ウォールストリート・ジャーナルとのインタビュー。今月初めの米中首脳会談の際、習氏から中国と朝鮮半島の歴史について“講義”を受けた中で、「韓国は実は中国の一部だったことがある(Korea actually used to be a part of China)」と説明されたとしている。
 これが習氏の実際の発言通りなのか、トランプ氏の誤解や通訳ミスによるものなのかは不明。トランプ氏としては、中国と朝鮮半島には複雑な歴史があることを強調する意図があったとみられる。
 これに対し、韓国メディアが反応。中央日報(日本語電子版)は、韓国外交部の当局者が「報道の内容が事実かどうかはさておき、過去の数千年間、韓中関係の歴史において韓国が中国の一部ではなかったという点は国際社会が認める明白な歴史的事実」と語ったなどと伝えている。
http://www.sankei.com/world/news/170420/wor1704200034-n1.html

(2017年4月20日)

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